01



「千空、早くっ!次はどっちに行けば良い?」
「…ったく、はしゃぐんじゃねぇよ。向こうは逃げたりしねぇんだからよ」
「分かってるけれど、早く会いたいんだもん。目覚めてから、大分時間空いちゃったし」
「アイツは、んなことで怒ったりしねぇわ」


復活した頃よりも暖かになった空気を全身で受け、早る心臓を持て余しながら、大きく息を吸う。

小さめの花束を抱えてタカタカと忙しなく歩く私と違い、酒の入ったヒョウタンと雨傘を両手に持ちながらゆったりと歩く千空を何度も振り返っては、獣道の方向を確認して一足早く歩く。

時折立ち止まっては疲れたような息を吐く千空に、「傘とか、荷物になるなら置いてくれば良かったのに」と言うと「イヤ、必要だ」と言って首を振るばかりだった。


「番傘は持ち手の部分の竹が太てぇ分、骨組み部分も合わせるとそこそこの重量になる。今度作る時は、もう少し軽量化するか…」
「嵐よりも曇りの日の方が多いのに。…そんなに重いなら花束と交換する?」
「いーから、前向いて歩け」
「むぅ…」


歩調の遅い千空の腕を時々強引に引きながら雑木林を抜けると、切り立った崖に囲まれた小高い土塚が見え、声を上げて駆け寄る。


墓標と思われる切石が至る所に掲げられ、此所が間違いなく村の共同墓地であることが分かった。


禿げて乾いた土塚の手前で小さく手を合わせ、心の中で小さく「お邪魔します」と唱えてからその土塚に足を踏み入れる。
意外と傾斜がある斜面をゆっくりと昇っていく最中、踏み出そうとした先に百足がチョロリと顔を出した。
踏み出しかけた足を引っ込めてしまい、そのままバランスを崩す。

後ろから来ていた千空に咄嗟に背中を支えて貰っていなければ、みっともなくひっくり返っていたかも知れない。


「ッぶねぇな!」
「ごめん…」
「おら、コッチだ。足下に気を付けて歩けよ」

入れ替わりに、先を歩き始めた千空の背中を追いかける。
滑らないように足下を見ながら歩いていると、今度は不意に立ち止まった千空の背中に鼻をぶつけて蹲った。


「痛い…」
「お前といるとホント退屈しねぇわな。ほら、ついたぞ」


土塚のほぼ頂点。千空に示された場所を見下ろすと、そこには明らかにボコボコに破壊された墓石が鎮座していた。
名前も何も刻まれていない、元々不格好な形をしていたと思われる人工的な塊であったモノ。

千空の養父である、石神百夜の墓石だ。


「久しぶり、じゃ可笑しいか。3700年ぶり、百夜」
「ま、死んでんだが」
「言い方…」


ボコボコに割れた墓石の前で膝をつき、石の傍に麻で出来たハンカチを敷いてから手作りの不格好な花束を置くと、千空も腰を曲げてその花束の傍に酒の入ったヒョウタンを並べた。

「親父はあんまり酒を飲むタイプでも無かったがな」
「ラーメンの方が良かったかな?」
「食い物粗末にするわけにはいかねぇだろ。ラーメンを供えるなんて聞いた事もねぇし。
そもそも、俺らは仏教徒でもねぇんだ。律儀に五供(ごく)を守ってやることもねぇ」
「はは、千空は無宗教、無神論者だもんね」


そのボロボロな墓石を前に、目を閉じてそっと手を合わせる。

線香も無いし、野生動物に荒らされることも考慮すると、気のきいたお供え物の用意は出来ない。

墓石もボッコボコで、此所に百夜の遺体はない。
千空に言わせれば、霊魂なんて物もない。
此所には、何もない。
誰も、居ない。


(……でも、私はずっと会いたかったよ。百夜)


百夜が千空の為に紡いだ百物語を、私は全て聴いた。

「現代人のお前が聞いたら、何か使える情報があるかも知れねぇ」という村長指令の下、時間があるときに村巫女様のルリから、百物語を諳んじて貰った。
一日二日で終わるかと思ったのに、まさか一月ちょいかかるなんて思わなかったけど。

むしろ、千空に「案外早かったじゃねぇーか」とあっけからんと言われた時、ちょっとだけイラッとしたのは仕方ないと思う。

昨日の夜にやっと百物語を全部制覇して、百物語の最後の物語を聞き終わったら猛烈に百夜に会いたくなって、千空にせがんで連れてきて貰ったのだ。


(最後まで聞いたけれど、科学マンじゃない私が聞いてもピンとくる情報は結局無かったんだよね…)


百物語の最後の物語は、百夜から千空へと注がれている愛情の深さや信頼が伝わって……もうこの親子は二度と会うことが出来ないのだという事実に、胸が痛くなる。

千空は石化した人類70億人を全て助けると言っていた。
今は割れていない石像しか助ける事は出来ないけれど、いずれ割れてる石像の人も生き返らせる方法を見つけるだろう。

でも、その人類の中に、千空が一番会いたいと願っている人の石像は、何処にもない。
どんなに祈って願っても、二度と叶うことはないと思うと胸が苦しい。


目を開けても、そこには物言わぬ墓石が鎮座しているだけで、小さくため息が漏れる。

(今後の千空の人生が豊かで、幸せなものであるように、私もずっと祈るから。
だから、ずっと見守っていてね。……百夜)



「……いつまでそうしてんだ、オイ」
「んー、百夜に報告することが多くって」
「そこには何もねぇだろうがよ」
「人が死んだ後の事は解らないでしょ?現代でも、魂の重さ?とかの解明は出来てないって聞いたよ。もしかしたら、死んだあともずっと百夜は見守ってくれてるかも知れないじゃない」
「ああ、ダンカン・マクドゥーガルの…。
死ぬ直前と直後で体重が21g減ったっていう研究発表だったな。その21gが魂の重さじゃないかっつーことで、そこそこ話題になったってな。
けどな、あれは被検体の数は少ねぇし、何体かは計測に失敗してる。信憑性は薄いわな」


半目でつまらなそうに言う千空を前に、脱力して肩が下がる。
科学マンの千空からしたら、魂や幽霊、天国や地獄のように科学的に証明出来ないものは、存在しないも同然なのだろう。

千空に手を引いて貰いながら立ち上がり、膝についた土埃を払っていると、千空が此方を見ながら腰に手を当てる。


「もし、」
「うん?」
「……もしも、天国なんつーもんがあるんなら。アイツはそっちに行ってんだろ」
「そうだよ。だって、百夜はあんなに良い人で、千空のお父さんなんだから」
「ハッ、オレの親父だからっていうのは理由になってねぇな」


「そろそろ帰んぞ」と踵を返して土塚を降りていく千空へ間延びした返事を返しつつ、百夜の墓石を見下ろした。

口元に手を添え、千空に聞こえないような小声でヒソヒソと墓石に話しかける。


「百夜。あとね、私は相変わらずだよ。進展無しです。
応援してくれてたけれど、これ以上は踏み込めそうにないです。
どういう結果になっても、いつか必ず報告しに来るからね」


それまで、見守っていてください。

両手を合わせて小さくお辞儀をし、下で待っている千空を追いかけて土塚を降りていく。

滑らないように足下に気を付けながら降りている最中、温かい手が肩にトンと置かれたような気がして、一瞬だけバランスを崩した。


「…行ってきます」

ボロボロの墓石へと笑いかけて土塚を降りた辺りで、ポツッと頬に水滴が滴る。
指で拭ってから陰っている空を見上げると、冷たい雫がパラパラと空から降ちて掌で跳ねた。


「雨…本当に降ってきた」

パラつく雨空を見上げていると、赤い雨傘がスッと差し込まれて空と雨を遮る。
前髪を濡らした水滴を手で払いながら振り返ると、得意げな顔をした千空が「だから降るって言ったろ」と笑っていた。



「そろそろ梅雨の時期ではあるけれど、何で雨が降るって解ったの?」
「家に、ガラスん中に水が入った様なオブジェ置いたろ。
ありぁ、“ウェザーボール”っつって、気圧の変化で天気の変化が解る晴雨計なんだよ」


ガラスで出来た丸いボールのワキからひょろりとした取っ手のような管が伸びていて、ボールにも取っ手の中にも色水が満ちているオブジェを千空が家に飾っているのは知っていたけれど……そんなモノで天気が解るなんて。

ガラスボールの表面に、スリ加工で地球儀であるような大陸絵が描かれていたから、てっきり小さな地球儀か何かだと思っていたのだけど、違ったらしい。



「そう言えば、今日は取っ手の上の方まで青い色水が伸びてたかも」
「あ“ァ。テメェが言ってる『取っ手』の管部分の水が一番のミソなんだよ。
低気圧が接近すると、ガラスん中に閉じ込められている水の水面を押す力が弱くなって、代わりに取っ手の管の中の水がググッと上がっていくから『雨予報』。
反対に管の中の水面が下がっていると気圧が上がっているから、『晴れ』るっつー簡単な理屈だな。かなり古くから存在してる、晴雨計だ」
「へぇぇ……」


気圧云々はよく分からないけれど、つまりは管の水が上がってるか下がっているかで簡単なお天気予報が出来るっていうのは解った。
やっぱり千空は凄いや。


一つの赤い雨傘の下に二人で並んで立って、雨脚がやや強くなってきた空を眺める。


「そろそろ帰ろっか。午後はお昼ご飯食べたら、ルリと一緒に子供教室の手伝いする予定なの。
雨だと青空教室が出来ないから、室内で出来る事を考えるしかないね。
お絵かき教室とか…?あ、でも燃えかすの炭素(すす)で作ったペンくらいしか無いんだっけ?」
「いや、蜜蝋があっから、クレヨンならイケるゾ」
「クレヨン!?ほんと!?」
「色粉は適当に乾燥野菜とかを粉末化すればいけっだろ。花とかも使うか。案外すぐできっから、ラボ行くぞ」


千空が歩き出した一歩から遅れてついて歩くと、数歩歩いただけで雨傘からあぶれた肩が濡てしまい、不機嫌顔が「オイ」と言いながら歩を止めた。


「もっと寄れ。そんなんじゃずぶ濡れになんだろうが」
「いや、解ってるんだけれど、近いと歩きづらいかなー…?と思って」
「濡れて風邪引かれる方が1000億パーセント迷惑だわ。さっさとしろ」


渋々近づくとグッと身を寄せられ、当たり前のように自然と腕を組まされた事で反射的に変な顔をしているだろうけれど、仕方ない。


「腕まで組まなくても良くない?」
「?いつも手ェ繋いでくるヤツが何言ってんだ。それに、昼までに何色かクレヨンを量産するにはマンパワーが必要だからなァ。コレは仲良しこよしじゃあねぇ、“連行”だ」
「きゃー。ドイヒー作業に付き合わされるーっ」
「だから、ゲンの真似しても全然似てねぇっつってんだろ」



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