食客 07 フワッと翻った服を直し、降り立った場所から周囲を見渡すも、そこは見慣れない回廊だった。 一度も通ったことはないだろうが、一応王宮の中なのは間違いなさそうだ。 すぐ近くにシン達も…と考えた瞬間、何処からか光るルフが飛んできて頬を掠める。 飛んできた方へ視線を向けると、薄らと開いている扉があり、そこから人の声が聞こえた。 扉を開けるために取っ手に掴もうとすると、シンの声が中から漏れてくる。 「ーーーそれで、先方はなんだって?」 「迎えは要らない。ただ、事は内密にとしか言って居ませんでしたね。 彼方が船が陸を離れる直前に寄越された伝達文のようで…今更断れません。恐らく到着するのは1日〜2日後でしょう」 「珍しいな。てっきり迎えを寄越せと言ってくると思ったんだが……王宮内で一番上等な客室を準備しておいてくれるか?」 「畏まりました」 シンとジャーファルさんが何やら神妙な顔で話し合っており、割り込める雰囲気ではなかった。 中に入るタイミングを見失い、どうしようかと逡巡しているとギシッと軋んだ音を立て、唐突に向こう側から扉を開けられてしまう。 向こうから開けたのはジャーファルさんで、「どうぞ?」と満面の笑みで此方を見下ろす。 いつも通りの笑顔の筈なのに、花街の裏通りでシンと飲んでいた時に垣間見えた時のような……少し背筋がひんやりする笑顔だ。 取っ手を掴み損ねて宙を引っ掻いていた手を降ろし、二人に頭を下げて部屋へと足を踏み入れた。 「お二人を探していました。立ち聞きするつもりは無かったのです……中に入るタイミングが解らなくて」 「いや、気にしなくていい。そこの椅子に座っていいぞ。…それで、何の用で俺たちを探していたんだ?」 だだ広い部屋の中央には、大理石で出来た巨大な円卓が据えられており、その端にシンが足を組んで腰掛けていた。 部屋の雰囲気から、此所は会議か何かで使われるような部屋なのだろうと推測出来たが、部屋の中にいたのはシンとジャーファルさんの二人だけ。 そんな中に長居するつもりもなく、シンからの申し出を丁寧に断わってから姿勢を正して二人に向き直る。 「大した事じゃないんです。女将さんが近々国を出ると言っていたので……落ち着いて云える内に、お礼とお別れの伝えておこうかと思いまして」 「「え」」 驚いたような二人の声がハモる中、「短い間でしたが、お世話になりました」と感謝の言葉も伝えながら深々と頭を下げた。 ゆっくりと頭を上げようとすると、シンとジャーファルさんが一瞬だけお互いの顔色を見るように見合って、すぐに此方に向き直る。 ガタンと音を立てながら勢いよく立ち上がり、近づいてきたシンに、両肩を掴まれる。 「……なあ、あまね。 良かったら、シンドリアにこのまま住まないか?」 「それは、どういう」 「その通りの意味だ。食客として、この国を支えて貰えないだろうか。 知っている通り、この国はどんな人種も、どんな境遇の人間も受け入れる。あまねが何者であろうと、俺たちは構わない」 ヤムライハの下で、朝から晩まで研究し放題。なんなら、専用の部屋を用意してもいい。 どうだ、悪い環境じゃない筈だ。 そう優しく囁いてくるシンの奥で、何処か悲しそうな顔をしたジャーファルさんの顔が見え隠れする。 真っ直ぐな二人の視線に晒される中、首を振ってから深々と頭を下げた。 「魅力的なお誘いですが、お断りします。 これ以上ご迷惑かける訳にはいきませんし、私には行かなければいけない場所があるんです」 きっぱりと断ると、柳眉を下げて悲しそうな表情をしたシンが「……残念だ」と呟いて肩から手を離す。 「あまねのおかげで、だいぶ研究が捗ったと、ヤムライハも喜んでいた」 「ふふ、お役に立てて光栄です」 「……それで、一体いつ国を出発するんだ?」 「まだ未定ですが、3日以内に出るかとおも」 そこまで言いかけた声を遮るように、ゴンゴンと警鐘を鳴らすようなけたたましい音が島のそこら中から鳴り響き、シン達の目が窓の外へと向けられた。 静かだった島中が一気に沸き立つように騒がしくなり、活気づいてくる。 「久々だなぁ」 「そうですね。半年ぶりくらいでしょうか」 「??」 楽しそうな顔をして外へと視線を向けていたシン達に倣って顔を向ける。 すると、窓の外にはシンドリアの島を囲む絶壁が見えた。 そして、そこを器用によじ登ってきている巨大な南海生物の姿があり、「ええええッ!!?」と思わず驚愕の声が漏れる。 その姿は巨大なウツボで、剥き出しになっている巨大な目をキョロキョロさせながら、細長い口から鉄砲水のような水を吐き出しては木々をなぎ倒す。 旅船一個よりも大きいと思われる巨躯をくねらせ、近くの民家を破壊しながら王宮の方にゆっくりと向かってきていた。 「な、なんですかアレ……っ!」 「南海生物。普段なら海上警備の者が追い払ってくれるんだが、稀に警戒網をくぐり抜けて領海内に侵入してしまうんだ」 「……えええー…」 あんな巨大な生物、見たことがない。 未開海域の生態は解明されていないし……生物が異常に大きいのにも、何かしらの理由があるのかもしれない。 でも、あんな大きさの生物が暴れ回っているのに、何故シン達はこんなに落ち着き払っているのだろうか…? 「久々に俺がやろう」 「おや、珍しいですね」 「たまにはな。あまねも見ておくと良い」 派手にガラス戸を開け放ってテラスに出ると、王宮に向かってくる南海生物を真っ直ぐ見据えながら腰に下げている剣をゆっくりと引き抜く。 剣の柄から青白い電気が走り、八芒星が煌めいてシンのマゴイがそこに吸われていくのが見えた。 『出でよ、バアル』 テラスの手すりに立つと、剣から生まれた雷がシンの両腕を包んでいく。 雷が触れた腕の皮膚が青いウロコに覆われ、形の変わった刀身が雷を纏って怪しく光った。 周囲の天気までがその金属器の力に引かれるように顔色を変えていき、シンと向き合うように此方を見た南海生物が怯えるように動きを止める。 ”バララーク・サイカッ!!” カッと青白い光が煌めいたかと思えば、一直線に伸びた光の刀身が一瞬で巨大生物の首を離断する。 その光景を食い入るように見ているジャーファルさんの隣で、ミスタニア共和国でも見た金属器の光を見つめる。 青白い光を纏った背中に、畏怖の感情が再び吹き返した。 「もう、早く行かないと!」 「分かってるわよ〜!ぁ、ジャーファル様!お疲れ様です」 「お疲れ様です!」 回廊の奥から現れた女官たちは普段の地味な格好ではなく、踊り子のような露出の多い煌びやかな衣装を纏って現れる。 壁に寄りかかるようにして立っていたジャーファルは、穏やかな笑顔で二人に笑いかけた。 「お二人ともお疲れ様。行ってらっしゃい」 「っはい!」 「行ってきます〜」 キャっキャと楽しげな声を上げながら去っていく背中を見送ると、ギッとジャーファルの傍にあった扉が細く開く。 「準備出来ました、ジャーファル様」 「ありがとう。では、貴女たちは向こうの仕事をお願いします」 「畏まりました」 ジャーファルに一礼して下がった女官達。 露出の多い衣装を翻し、やや急ぎ足で去って行く背中を見送ると、控えめに扉をノックして取っ手を引く。 「入りますよ、あまね」 中途半端に開いていた扉を開けると、部屋の端に立てられた衝立の奥でゴソゴソと人の気配が動いた。 貴金属と絹の擦れる音と共に、小さな影がおずおずと顔を出す。 上半身は胸元しか覆われておらず、肘から手首にかけて薄布の袖がフワリとフィッシュテールのように広がる。 腰には薄布で作られたストレートスカートが揺れるも、腰の際どいラインまで大胆なスリットが左右に入っていた。 衣装の至るところに金製のビーズが下げられ、足首のアンクレットが動く度にシャラッと音をたてる。 頭につけられたベールの下で困惑した顔を隠さないあまねに、「とてもよく似合ってますよ」と柔らかく声をかけた。 「これ、他の方よりも心なしか派手じゃないですか…?」 「そんなことありませんよ」 「…うぅ…、恥ずかしい。こんなに露出が多い服、初めて着ました。ほとんど見えてるし、下着みたい…」 「そういう衣装なので。さあさあ、行きますよ」 卓上に置かれていた花輪の詰まった籠と、南海生物を模したお面を手渡す。 お面を裏返したりしながらじっくり眺めているあまねに籠を持たせ、マハラガーンの宴について再度簡単に伝える。 南海生物を皆で食して楽しむ事、そして女性は周りの人に花を配って回ることなど。 国家で取り組んでいるイベントであること。 ふむふむと真剣に聞いている姿が微笑ましくて、「じゃあ、お願いしますね」と言いながらついつい幼い子にするように頭を撫でる。 撫でた後にハッと我に返るも、「解りました」と緊張に頬を赤らめながら元気の良い笑顔で応えた事に安堵の息を漏らす。 「是非楽しんで来てください」 「ありがとうございます。…ジャーファルさんも」 花輪を手にしてぐぐっと背伸びをしようとする姿に気づき、中腰になって背を屈めると首に花輪をかけられる。 王ならまだしも、女官達が私に花輪をかけてくることなんてそうそう無い為、つい苦笑が漏れた。 「ふふ、ありがとう」 「どういたしまして」 嬉しそうに笑う姿につられてしまい、照れ臭い笑みが零れた。 戻る ×
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