食客 06 シンドリアで過ごすようになって一ヶ月以上経ち、南国の暑さにも多少慣れてきた。 ただ…慣れないこともある。 「あまね様、お食事が出来ましたので広間にどうぞ」 日を追う毎に王宮内に居る女官や兵士達の態度が恭しくなってきていた。 ただ黒秤塔のヤムライハさんと魔法について語らっているだけで、シンドリアで労苦しながら働いているわけでもないのに……重要な来賓のような扱いに毎日戸惑ってしまう。 色々な意味で温かい国だとは思っていたけれど、これはどういうことなのだろう。 女将さんの手伝いをしながら、ふとその疑問を口にした時に返ってきた答えは驚愕の内容だった。 「そりゃあ……お前をシンの妹だと思ってるからじゃないかい?」 「は、いッ!!?」 「おや、気づいてなかったのか」 「どうしてそんな…!シンと私が兄妹なわけがないじゃないですか!」 確かにシンと兄様は容姿も雰囲気も何となく似ている。 だから私も接しやすくて、一緒に話していると気が楽だと感じていた。 それがいつの間にかそんな噂が立っていただなんて……。 「髪色の系統が似てるのもあるんだろうねぇ」 「………うーん。妹と思われてしまうなんて…シンに迷惑掛かってないと良いのだけれど…」 うーんと小さく呻っていると、隣で黙ってきいていたマスルールさんが不意に口を開く。 「それは無い。むしろ、シンさんの方から『俺の家族なんだ』って言って回っているくらいだ」 「何を考えているの、あの人」 「さあ。…だから、あまねが気にする必要はない」 此方に視線を向けることなく、憮然と言い放つマスルールさん。 私が店を手伝うようになってから、いつの間にか「シンさんの言いつけなんで」と言いながら一緒に並んで立つことが日課になっていた。 おかげでセクハラ染みた事をしてくる人は寄ってこなくなったし、若い女性のお客も足を止めるようになった。と女将も嬉しそうにしている為、私が店に立っている間は常に傍にいる。 初めの頃は、「マスルール様だ」とか「八人将様」と言いながら、マスルールさんに握手を求めたり拝んでくる人もいて、彼はこの国では結構な有名人なのだと、知ってちょっと驚いたりした。 恋人ですか!?って若い女性集団に詰め寄られたこともあるが、即座に二人で否定して帰って貰った事も何回かある。 仕事終わりに宮殿に帰る道すがら、待ち伏せられたことも。 そのたびにマスルールさんが追い払ってくれたけれど。 (ん?……ちょっと待って。アレはそもそもマスルールさんが居なければ、誤解を受けたりする事も無かったんじゃ…?) 隣に立っている巨躯のマスルールさんを無言で見上げると、「…何だ」と中央市の人の往来から目を離さずに問いかけられ、適当にはぐらかす。 隣にマスルールさんが居るから変に目立ったり、髪色がシンに似ているからそういったデマが流れるのかもしれない。 というか……そのマスルールさんを此方に向かわせたのも、家族って公言しているのも、シンだ。 頭の中で、「あはは」と満面の笑みで笑っているシンの顔がよぎり、思わず眉間にしわが寄る。 「なあ、あまね。…聞いてるのかい?」 「へ、あ、はい!すみません」 「いいよ。あのさ、うちはもう他で買った商品の在庫が無くなるんだよ。 今は宿代も飯代もシン達が払ってくれていたから、甘えてだいぶ稼がせて貰った。 だが、売れる物が無くなったらどうしようもないからね。 だから、数日後にはシンドリアを経つ。で、だ……お前はどうしたい?」 そろそろ朝のバザールも人が疎らになってきた。…店じまいの時間だろう。 商品の数を見る限り、今夜には全部売りきれるに違い無い。 そうなると、数日と待たずにこの国を離れる事になるかもしれない。 「シンから、何かしらの研究の手伝いをしてるのは聞いてる。それに、その人に教えを請いているんだろ? ……もし、このまま此所に居たいってなら……」 「いえ、私は女将さん達と行きます」 少し意外そうに目を見開く女将。 てっきり残ると思っていたのだろうが、笑顔で否定する。 「私はまだこの先に行かないといけないんです。だから、もう少しだけ女将さんたちと一緒に行かせて貰えませんか?」 「そうかい。……好きにしな」 顔を反らした女将の声色がなんだか嬉しそうで、此方も思わず口元が緩む。 隣にいたマスルールさんも「そうか」と一言呟いた。 夕方のバザールまでの時間は、黒秤塔のいるヤムライハさんの部屋に行くのが日課なのだけれど、その前にシン達に話をしなければ。と王宮内を歩き回る。 政務をしている塔や、王や側近の寝所になっている宮に顔を出しても、なかなか見当たらない。 でも、王宮内には居る筈なので…と女官や兵士達の申し訳なさそうな困り顔を何度見ただろうか。 王宮内の広々とした中庭の隅で小さく唸ってから、指で地面に魔方陣を描く。 ヤムライハさんの部屋で見た転送と追跡の魔法陣だ。 あの後、資料を勝手に見てしまったことをヤムライハさんにちゃんと謝った。 驚いては居たけれど、「魔導士の好奇心には勝てないものね」と許してくれた。 ……こっそりその魔法を使っている事は伝えてはいないけれど。 何回も試したことけれど、回数を重ねるごとに精度が上がってきている気がする。 まだ、魔法陣で飛ばすことが出来るのは私一人だけだし、そんなに遠くまで行くことは出来ない。 けれど、もっと練習すれば、もっと遠くへ……煌帝国の帝都まで飛べるようになるかもしれない。 そしたら、あの方に会える。 その希望が湧くだけで、心まで浮き足だって来るようだ。 「シン達には、ちゃんとお礼とお別れを言わないと。 もし明日出航ってなってちゃんと話せなかったら、申し訳ないし」 それ以外では、置き手紙を残すか…。 いや、一月以上お世話になった人達に置き手紙一つじゃ、さすがに失礼だ。 やっぱり、早めに伝えておくに超したことはない。 「うん、出来た」 指で小さめに描いた魔法陣を見下ろしてから、周囲を見回して人が居ないことを確認する。 (シンのルフを辿れば……多分、ジャーファルさんにも会える気がする) そんな予感を胸に、魔力を込めた両手で魔法陣に触れると、淡いオレンジ色の光に包まれ、フッと体が一瞬だけ浮遊感に包まれた。 戻る ×
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