異端皇子と花嫁 | ナノ
食客 05 


……約一月後。

煌帝国、第一皇子の寝所に近い書庫。
そこは、練兄弟で秘密の話し合いがもたれるときにもよく使われる場所でもある。

その中で、壁に掛かっている世界地図を眺めながら、紅明があきれた声を漏らす。

「兄王様………もし、それが本当ならば彼方の国に居る諜報員は処罰しますか?」
「ああ。簡単に向こうに寝返る兵など、必要ないからな」
「畏まりました、そのように伝えておきましょう。それで、あの子は?」
「そろそろ来るだろう」


その言葉通り、乱暴に書庫の扉を開け放って駆け込んできた紅覇。

不機嫌さを隠すことなく、ズンズンと入って来るなりバンっと机を叩く。


「また反勢力が出たんだって?」
「まあまあ落ち着いて、其処に座りなさい」

渋々といった風に近くの椅子に腰掛けるが、イライラとしているのを隠す様子もない。
ここ最近、新しい軍属地の獲得する度に反乱や軍内部の離反が起こり、その都度対応に追われていた。

中には、大人しく煌に従ったと見せかけつつ、禁城内で要人を暗殺しようと計画する輩まで。


「…紅玉も城内で襲われかけたけど、紅玉の従者が眷属器に目覚めたおかげで無事だったってのに」
「その前は白瑛殿ですね。天山高原で白瑛殿に反旗を翻した呂斎は今も牢に捕らえて裁判待ちです」
「そんな奴さっさと殺しちゃえばいいのに。なんなら僕がやるよ?」
「彼は、それなりに人望も実力もあった人物なのですよ。現に白瑛殿に手を向けた時、一万の兵が離反して彼側に付きました。
……だからこそ、白瑛殿の部隊に加えたのですが…まあそれは後にしましょう。とりあえず、今は呼び出した内容を説明させてください」


黒い扇を持ち直し、スッと兄へ視線を向けると無言で此方を見据えていた。
目で返答を返し、紅覇に向き合う。


「紅覇、私たちが各主要国に諜報員を送っているのは知っていますね?
それは、勿論主要国もそうですが、これから制圧しようとしている国もそうです」
「うん、最近はバルバッド攻略に力を入れてるよね。向こうにはもう銀行屋が居るし紅玉の婚約も決まった。…近々、内乱も起きる手筈になってる」

「ええ。直接的な侵略は兵士の反乱を招きやすい。だから、出来るだけその国の弱味を揺すぶる形を取るために、諜報員を派遣しているのですが……そんな中、最近シンドリアにいる諜報員からの報告書が格段に減りましてね」
「……」
「今までは政務に関わる詳細な情報まであったのが、無いとあれば疑って当然。そこで先日、その諜報員達の調査を別部隊に行わせてみたのですが……」


そこまで言うと、紅覇の目が据わり、目の下の隈も相まってかなり目付きが悪くなる。

この子は、そういう事に潔癖な部分がある分、仕方ないのかもしれない。


「………それで?」
「ええ。そこで判明したのが、諜報員数名が失踪しているとの事でした。恐らく一名は異動かと思われますが、急な配置替えだったらしく、本人達以外辞令を聞いておらず、連絡もつかないというのが現状です。
他の諜報員達は、失踪しているのを分かって黙っていた、もしくは黙秘させられていた可能性がありますので、国からの援助を全て打ち切り、そのまま親族諸とも国外追放処分を取る予定です」
「そう……」

小さくため息をついて腰かけている椅子の背もたれに寄りかかり、伸びをする紅覇。
「もう処罰が決まってるのなら、良いや〜」と言いながら力を抜いて足をブラブラさせる。


すっかりリラックスしている紅覇を前に、軽く兄に目配せすると、「続けろ」と言わんばかりにジッと見返され、つい肩を竦める。


「それで、ここからが本題なのですが……彼らがそこまでして何を隠しているのかと気になりましてね。引き続き調査を行わせました。
その結果、どうやら今、シンドバッド王の身内だという人物が滞在している事を掴みまして」
「ふぅん……。家族の存在は、確かに弱味になるかもね〜」
「その人物がですね………」




藤色の髪と、薄紅の目をした少女らしいんですよ。



「…………………え?」
「勿論、今裏を取っている最中です。シンドバッド王はあの子の兄と似た特徴を持っているとの事ですから、他人のそら似の可能性もかなり高い。
ですが、ここまで探して見つからないとなると、死亡しているのか、それとも意図的に隠されているとしか思えませんし…………紅覇?」


ビックリして固まっていた紅覇が、俯いてギュッと拳を握り締めていた。
どうしたのかと手をさ迷わせるも、そのままフラりと立ち上がる。


「僕が行くよ。直接王宮に乗り込んで、探す」
「何もそこまでしなくとも…」

「もし本当にあの子だったのなら、僕が見間違えるわけがないもん。
…煌とシンドリアは表面上は友好条約を結んでるんだから、お忍びで遊びに来たって言えば断りにくい。
それに、炎兄や明兄ならともかく、僕の噂を聞いた事があるなら……そういう行動をしても、相手は納得するでしょ?」


不敵な顔でそう言い放って背を向ける紅覇。
出入り口の扉にズンズンと大股で歩いて行き、出ようとする寸前に兄王様が「紅覇」と声をかけて呼び止める。


「船を用意させよう。紅玉の迷宮攻略の際に、お前が落とした港が今のところ一番近く、転送魔方陣もある。
用意が終わるまで、部屋で休め」
「ありがとう、炎兄」


兄上の言葉に頭を下げ、静かに退室していく紅覇。
てっきりもっと大きなリアクションをするかと思ったのに、物静かすぎる反応に違和感を覚えた。

どうしたものかと視線を泳がせると、「…行ってやれ」と後ろから言ってきた兄に礼をして下がり、紅覇の後を追う。


供も付けずに来ていたのだろう。
薄暗い回廊を無言で進んでいた紅覇を呼び止める。


「どうしたの、明兄?」
「……紅覇。ちゃんと、寝ていますか」
「え〜?寝てるよ〜」

へらへらとした笑顔を作っているものの、目元にくっきりと出来ている隈を見る限り、説得力がない。

「嘘を仰い。……最近は食事もあまり取らなくなったと聞いてますよ」
「眠てたり食べてる時間が勿体ないだけだよ〜。食事も……混ぜ物がなければもう少し食べるんだけどぉ?」
「……」


ジト目で見上げられてしまい、視線から逃れるように目を反らして口元を羽扇で覆う。

眠っている間に魘されているという報告を紅覇の部下から受け、宮廷医官の指導の下で体の回復メインの食事の内容に切り替え、少量の薬を混ぜさせて出させるようにした。
美容に良くないから、とあまり晩酌をしない子だが、食前酒を勧めれば一口程度は疑いなく飲んでいた。
酒と薬と薬膳がうまく効いたらしく、初めの内は食事の最後の方でうとうとするようになり、だんだん食事を中座するように……。


体が疲れ切っていた事もあったのか、朝まで良く眠るようになったは良い。だが、昼くらいまで目を覚まさない日があった時、とうとう確信を得てしまったらしい。


警戒した紅覇が出された食事を全然取らなくなってしまった、と紅覇の部下達に泣きつかれたのだ。

…まあ、正直私だって勝手に盛られて仕事を邪魔されたら怒るかも知れませんが、この子は今自分がどれだけ命の危険に晒されているのか分かっていない。

戦場では、一瞬の油断が命取りになる。
さっきまで生きていた者が、次の瞬間にはただの肉塊になっていることなど幾らでもある。

そんな戦場にこの子は数ヶ月間ほとんど身を投じて暮らしてきたせいで、自分の体も精神もどれだけ危うい状態なのか、感覚が麻痺して理解できていない。

不養生している身で何を言うのか、と云われるかも知れないが、それでも私はこの子の兄として心配しているつもりなのだ。


「それにさ、薬のせいで多幸感とか凄いから、女を寝所に連れ込みそうになるし?」
「貴方が望むなら、適当な女を見繕いますが」
「やだよ。今僕が欲しいもの知ってる癖に……代替えにするなんて、相手が可哀想だもん」
「……お前らしいですね」


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