絶望の一歩手前 『先日の桃、とても美味しかったです』 「別に、あいつに言われたからじゃねーっつの」 きっと持っていったら、いつもみたいに礼を言ってから笑うんだろうな。 そんなことを考えながら、片手に幾つか桃を抱えながら、とことこと第三皇子の屋敷の中を歩いていく。 ふわふわと穏やかなルフが飛んでくる先に居る筈の人物を考えていると、自然と足取りも軽くなってくる。 「おい、ヨメーー……」 風に乗ってくるルフを頼りに角を曲がって縁側に足を踏み入れると、そこには思いもよらない人物まで居て、足が止まった。 静かな風に揺られて、薄紅の長い髪と帽子の飾り紐が波打つ。 普段は公務をしている筈の、第三皇子、紅覇。 そして目的の人物はその紅覇の膝枕の上で、気持ち良さそうにすやすや寝てる。 こちらに気付いた紅覇が人差し指を唇に当てて、「しーっ」と諫めて来る。 「あんまり大声出さないでよねェ、ジュダル君。起きちゃうじゃん」 「んだよ、寝てやがんのか。せっかく俺様が来てやったって言うのに」 「しょうがないよ。昨日ちょっと魔導施設の手伝いに行って疲れちゃったみたい。 どうかしたの、ジュダルくん?てか、天音に何か用あった? ………まさかうちの天音がまたなんかやらかしちゃった?」 まるで子供の心配をする母親のような態度に、何だかイラッとしながらプイッと視線を逸らす。 「別に、なんでもねーよ。用事っていう用事じゃねーし」 「そ〜お?」 よしよし、と普段武器を握っている紅覇の手がヨメの髪を撫でつける。 まるで愛猫を撫でるような愛おしげな優しい手付きを見た時、ズキッと胸が疼いた気がして思わず首を傾げた。 「???」 「ん?」 「いや?何でもネーよ。じゃあ、行くわ」 ギュッと腕の中の桃を抱え直し、この桃の処理どうするかー。と内心で考えていると「ジュダル君さ」と呼び止められる。 「この前、桃をくれたんだって?天音、すごく嬉しそうに話してたよ。 ……その量、もしかして今日もこの子に持ってきてくれたんじゃないの?」 そうやって見透かすように笑った紅覇に対し、「ちげーよ、俺の分だ」と吐き捨てて踵を返す。 素直じゃないなぁ…という声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。 「無駄になっちまったな……」 特に目的もなく、桃を抱えたまま禁城内を歩き回ったのち、ドカッとその場に座り込んで桃にかじりつく。 そして、ガシガシとひたすら桃にかじりつくジュダル。 それを建物の上から見つけた女性は、小さく含み笑いを溢す。 「玉艶様、最近またジュダルが例の姫のところに通っているとお聴きしたのですが」 「良いのよ、私が黙認したの」 玉艶は、窓際に盛られている桃を一つ手に取り、その整った色や形をうっとりと眺める。 「ジュダルの魔法が上達するのは良いことだわ。 それに、傀儡相手じゃそろそろ物足りなくなってきたでしょうに」 桃に爪を立てると、容易く爪が食い込み、ボタボタと果汁が漏れだして床に滴り落ちていく。 それを冷たい目で笑った玉艶は、同じ目で下に居るジュダルを再度見下ろした。 「うふふ、自分の気持ちも分からないんだなんて……馬鹿な子。 それが分かった時……そして、二度と手に入らないと知ってしまった時、どれほど絶望するのかしら。すごく楽しみね」 気づいてしまえば、その一歩先は奈落。 2015 執筆 20160314 修正 20160501 加筆公開 戻る ×
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