if 紅炎の嫁 ※もしも、結婚相手が紅炎だったら。 泣きたくなった。 私の婚姻式の祝宴の席に、紅覇様はいらっしゃった。 未来の皇帝である、紅炎様の婚姻。宰相や同盟国の王等の多くの参列者が集う中、紅炎様の親族が参列している席の前席に座っておられた。 それは、つまり……紅炎様の近しいご兄弟だったという事。 真っ直ぐ私を見ている紅覇様の視線から目を逸らし、式の間紅覇様のご尊顔を見ることは出来なかった。 ベールで隠れていると分かっていても、何処か後ろめたい感情に遮られて、そちらを向けなかった。 式は滞りなく行われ、晴れて私は紅炎様と夫婦となったが心は暗鬱な気持ちでいっぱいだった。 たくさんの侍女達に囲まれて体を磨かれ、丁寧に着飾られては寝所へと送り出される。 夫婦としての最初の仕事ですから!と強調されてしまえば、緊張しない筈がない。 けれど、これから苦手な紅炎様に痛みを与えられるのだと思うと、恐怖しかない。 大きな寝台の上できちっと正座をしつつも、恐怖が抑えきれなくて全身が情けないほどにガタガタと震える。 「おい」 「ひィ、ゃ、ハイッ!!!」 バッと振り返った先には、昼間のきちんとした正装と全く違う寝間着姿の紅炎様がいた。 寝間着の胸元が大胆に開き、逞しい胸板が晒されていて、男らしい色気に更に緊張感が上がってしまう。 湯上がりで髪がしっとりと湿っているのが、余計に色気を増大させている気がする。 遠慮のない歩みで近づいてきた紅炎様に向かって頭を下げた。 噛み合わない歯が鳴ってしまうのを抑えるのでせいいっぱいで、強く目を閉じたまま、紅炎様を見ることは出来ない。 「そう気を張るな。行為を強要はしない」 「…っ、…」 「嫌がる相手を組敷くような趣味も無いのでな」 寝台までやって来ては、私から離れた位置に寝そべると足を投げ出し、枕に背中を預けて書物を読み始める。 全く此方に目もくれずに書物に没入していく紅炎様の姿に、呆れに近い安堵のため息が漏れて全身の強張りが緩んでいった。 「無能扱いされたくなければ、あと半刻は部屋にいるといい。 ……ただ、可能であればもうしばらく此処に居ろ」 「……理由を、訊いても?」 「何故、か…」 書物から一瞬目を離した紅炎様が、ハッと自嘲するような笑みを漏らすと冷めた目で書物へ視線を戻す。 「色んな女をあてがわれるのは、皇太子としての責務だと、云う者がいるからな。 一人居なくなれば、必然的に次が連れて来られるだけだ」 面倒臭い。 そう吐き捨てるように言う紅炎様の言葉に、思わず口元が緩む。 あんなに緊張していたのが嘘のように、肩から力が抜けて一気に気持ちが楽になった。 夫の紅炎様にとって、そういった行為はただの面倒臭い業務であって、可能であれば見送りたい仕事なのだろう。 そんな事よりも、自分の時間を大切にしたいというのが態度からありありと伝わってきて、なんだか笑えてきてしまった。 ぼすっとフカフカの寝台に身を投げ出すと、書物から目を離さない紅炎様を見上げては緩く笑う。 「では、その本が読み終わるまで休むことにします。陛下のお邪魔はしません。 なので、此処に居ても良いでしょうか?」 「………好きにしろ」 ぶっきらぼうにそう云う紅炎様の言葉に忍び笑ってゴロゴロしていたら、いつの間にか夜が明けてしまったらしい。 朝になって眠い目を擦りながら辺りを見渡しても、夫になった人の痕跡は既に何処にも見当たらなかった。 でも一夜を紅炎様の寝所で過ごした事は周りに取っては衝撃的な事であったらしく、私の侍女達が興奮した顔で話していた。 何もないわよ?と二人に伝えたのに、「その事実があることが大切なのですよ」と力強い声で言われてしまえば、言葉を飲むしかない。 なんでも、紅炎様や紅明様はあてがわれた女性の相手はするものの、朝まで過ごすことはしないそうだ。 一度相手をしても、同じ相手を連続して呼ぶこともしない。 そんな中、私は朝まで共に過ごした。 その為、周囲には国を継ぐべき跡取りができるのでは!と無用な期待をさせてしまっているらしい。 当の本人たちは自由に過ごしているだけなのだけれど。 「……私も、次からは本を持っていこうかしら」 「何か申しましたか?」 「いいえ、何でも」 そして………その日を境に、紅炎様と言葉を発しない深夜の逢い引きが始まった。 紅炎様の寝台でお互い寝そべりながら、好きな本を読んで過ごす。 ただ、好きなことをして過ごしては、幸せな気持ちのまま寝落ちするという贅沢な時間を互いに満喫しているだけだった。 そこにはお互いに対する遠慮どころか、対話すらない。 そうする内に、いつの間にか私は紅炎様の隣に居ても恐怖を感じることは無くなった。 むしろ、この遠慮しなくてよい無言の時間が気が楽で良いとさえ感じた。 ……大臣たちが「一月も、持つなんて奇跡だ…」と囁きながら私を見る中、しれっと視線から逃れて書庫へと歩を向ける。 紅炎様の書庫も、たくさん本があって楽しいのだけれど、系統がやや偏っているのが難点でもある。 なので、魔法についての本が読みたい時は、禁城内の書庫を利用することにした。 紅炎様の口添えで、禁城内の書庫であれば何処でも入れるようにしていただけたのもすごく有難い。 煌は魔法についての研究も行っているから、面白い文献を引き当てることある。それが、最近の楽しみになりつつある。 ギッと重たい扉を開け、書庫の中に立ち入っては目的の本棚へと向かう。 今日はどれを読もうか、と足が浮き立つようなウキウキした気持ちで棚の前に足を踏み入れた時、ビクッとして歩みが止まる。 そこには、本棚に背を預けてすやすやと眠っている紅覇様が居た。 薄紅色の髪が胸元に流れ、書庫の上から細く射す光を受けてキラキラしている。 陶器のような滑らかな肌、長い睫毛が目元に影を落とし、穏やかに眠る様は人形のような………いや、天使の寝顔と称しても良いくらいに愛らしさが滲み出ている。 「……はぁ……」 胸が早鐘打っては自然と感嘆のため息が漏れ、そっと近づいて床に膝をつき、その寝顔にしばらく魅入る。 ぐったりと本棚にもたれかかって隠れて休憩するほど、お疲れなのだろう。 心のなかで小さく「お疲れ様です」と労っては、ぺこっと会釈をした。 部屋で休まれた方がゆっくり休めるかも……と、思って部下の方を呼びに行こうとしたが、立ち上がりかけてやっぱり止めた。 せっかく穏やかに眠っている方を起こすのは忍びないし、適当な所で起こして差し上げればいい。 そもそも、婚姻式までは紅覇様と偶然会って話す機会があったものの、あの日を境にして全くお会いすることがなかった。 少しくらいは話したいし、弁明をしたい。 紅覇様が、紅炎様のご兄弟だと知らなかったということと、その上で友人のような馴れ馴れしい態度を取ってしまったという事も謝っておきたい。 ……それに、この綺麗な寝顔をもう少しだけ眺めていたかったという下心もあった。 本棚に背を預けて眠っている紅覇様の隣に腰掛け、同じように本棚にもたれ掛かりながら本を開く。 静かな書庫の中、紅覇様の微かな寝息と私が本をめくる音だけがする静かな空間。 時折ちらりと隣の紅覇様の寝顔を盗み見て、目の保養にしつつ穏やかな時間を過ごす。 「…!」 そんな中、ずるっと紅覇様の体が私の方に傾いて小さな頭がコテンと肩に乗り掛かる。 紅覇様の柔らかで繊細な髪が頬をくすぐり、胸の奥までくすぐったくて忍び笑う。 「……ん?」 「ぁ……、おはようございます紅………いえ、第三皇子様」 「天音?」 私の笑い声で目を覚ましてしまった紅覇様が眠そうに目元を擦ると、途端にハッとした顔をして体を正してしまう。 「申し訳ありません、義姉上に無礼な振る舞いを……」 「お気になさらず。あの……そんな堅苦しくしないでください。私など、ただの妃の一人に過ぎないので、肩の力を抜いてください、皇子様」 「いえ、貴女のお身体は煌の未来の発展の為に必要な……」 そこまで言いかけるも、ふと視線が絡んだ時に何故かお互いに可笑しくなってしまって笑い合う。 「やめよっか、今更だしィ」 「ふふ、そうですね。…お久しぶりです、紅覇様」 「うん。久しぶり、天音」 ん〜と軽く伸びをした紅覇様が、ぽすんっと再び私の肩に頭を預けてもたれ掛かってくる。 さっきよりも何だか重いし、甘えるような仕草で私の腕に自分の腕を絡めた 「もう疲れちゃったぁ〜、なかなか武器を使いこなせなくってさぁ〜」 「大変ですね。お疲れ様です」 「ありがとぉ〜、お前も……その、炎兄の相手お疲れ様」 「?はい。毎日朝から寝るまでずっと本を読む暮らしをしてますので、楽しいです」 そう笑いかけると、首を傾げつつも「そう、なんだ?」といってぎゅうっと私の腕を抱く力を込める紅覇様。 他愛のない会話も、紅覇様と過ごしていると楽しくて胸が踊るようだ。 この1ヶ月、猫か侍女くらいしか話し相手が居なかったということもあり、時間を忘れて書庫で会話に華を咲かせる。 私の腕を掴んでいた紅覇様は、会話の最中に私の髪を撫で付けてはその感触にうっとりとした顔をしつつ、三つ編みをしたりして遊び出す。 「ほんと、お前の髪っていいよね。色も綺麗で手触りも最高だし、良い匂いするし……ずっと触っていられそう〜」 「そういって下さるのは紅覇様だけですよ。私も、紅覇様に撫でられるのは気持ちよくて好きです。 紅炎様には触られた事もありませんし」 「………炎兄に?え?そう、なの?」 「?はい。毎晩お会いはしますが、言葉を交わしませんし、指一本触られませんもの。体の良い……その、女避け?に使ってらっしゃるようです。 それに、後宮に居る方とはあまりお話しすることもありません。 だから、こうして久しぶりに紅覇様にお話できたのがすごく嬉しくて………紅覇様?」 頭を捻りながらそう返すと、驚いた表情のまま固まっていた紅覇様の表情がふいに硬くなる。 「……辛い想いはしてない?虐められたりとか」 「いいえ。後宮の姫君は………そうですね、ご挨拶しても無視されるくらいです」 「炎兄は何も言ってないの?」 「無能だと言われたくなかったら、しばらくそこにいろというくらいでしょうか…? でも、行為を強要されないだけ、優しくされ……、っ!?」 腕を放されたかと思えば、正面からガバッと抱きつかれてはポンポンと頭を優しく撫でられる。 その優しい手つきに、胸の奥がきゅうっと少し苦しくなった気がした。 「ごめんね。僕じゃ、何もしてやれなくて」 「そんな事ありません。今日、久々にお会いできて、すごくすごく嬉しかったんです! 私のお話でも楽しそうに聴いてくれます。 紅覇様は、お優しいです。 でも……私は国の虜囚ですから、そんなに気を使わなくていいんです」 「………」 ぽんぽん、とお返しをするように紅覇様の背中を撫でると、ふいに離れた紅覇様はなんとも言えない複雑な顔をしていた。 「その言葉、僕嫌いだよ」 「失礼しました。でも、言葉の通りなのは事実です。私の仕事はただ生きる事だけです。毎日退屈ではありますが……魔法も使わないから、隠す必要がないのは楽です」 「お前は、魔導士なのに?」 「そうですね。でも、覚悟していた事でもあります」 帝国は、巨大な組織。 組織内の力関係を均一に保つ為、そして私自身の安全の為にも紅炎様とは形だけの夫婦を維持している方が良いとお兄様にも言われました。 他国から来た姫がもし皇太子の子を産めば、暗殺のリスクが跳ね上がるし、貴族階級の者たちがこぞって御子の取り合う。 それに、紅炎様には他にお考えがあるらしいから、何もするな。とお兄様から申しつけられているので。 「そもそも嫁いだ以上、これ以上勝手なことは出来ませんもの」 「お前は……それで良いの?そんな、人間以下の……家畜みたいな生活を、今後数十年間死ぬまで本当に続けていく気なの!?」 「はい、勿論です。それが私の義務ですから。……でも、そうですね。 やっぱり一人は退屈ですので……時々、会いに来て頂けると嬉しいです。 私紅覇様が大好きなので、一緒に居るともう楽しくって、時間も忘れることが出来るんです。お願い出来ますか?」 「……」 「……紅覇様?」 ふと、紅覇様のご尊顔が近づいたかと思えば、鼻先がぶつかりそうな距離で一瞬見つめ合ったのち、唇に柔らかい感触が当たった。 「…んっ」 顔が、近い。 それが紅覇様の唇だと気づいた時には、バッと身を離して思わず紅覇様を突き飛ばしていた。 「い、今、のっ!」 「………」 「失礼します!」 慌てて逃げ出し、回廊を駆け抜けながら触れ合った唇を指でなぞる。 後宮の奥にある自室に滑り込むように入る込むと、私の形相に驚いた侍女たちがおろおろしながら近づいてくる。 「……どう、いうことですか……紅覇様……っ」 真っ赤な顔を両手で覆い、熱い想いと強い罪悪感の相反する感情の鬩ぎ合いの中、唸るような声を漏らしてその場に縮み混んだ。 20150121 執筆 20191009 編集 戻る ×
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