意中の彼は剣道部 「はああ、相変わらず美しいです」 「かっこいい」 「素敵ですわ、紅覇様…っ」 武道館と教室のある棟を繋ぐ通路には女子達が集まり、剣道部の部活中の紅覇様の姿を盗み見ては黄色い声を上げる。 夏に行われた先輩達の引退試合が明け、正式に剣道部の部長に抜擢された紅覇様の人気は相変わらずで、県大会の個人戦で三位に入るほどの実力。 それも、日々の鍛錬の賜物だろう。 ……剣道試合の時、男女共に白か紺の胴着と袴を着ると決まっているらしく、大概の部員は試合の時に着ているのと同じ色の胴着と袴を着用している。 なのに普段部内で練習している時の紅覇様は、上は白の胴着に下はくすんだ赤色の袴を着用していて、まるで神社の巫女さんのようだ。 白か紺色の胴着を着ている部員の中では凄く目立つ。 防具を頭につけていようが、遠くて顔が見えなくても一瞬でどこに居るか分かる程だ。 おかげで……こうして少し離れていても、紅覇様の勇姿を覗き見る事が出来て有り難い。 (……ほんと素敵です、紅覇様) 黄色い歓声のする方から少し離れ、武道館の正面玄関の方からコソコソ隠れながら紅覇様の勇姿を盗み見ては緩みそうになる口を覆う。 整列した部員たちに向き合うように立ち、皆と一緒に準備体操を行っている姿も麗しい。 あんな素敵な人が私の婚約者だなんて、今でも信じられない。 婚約者だと学校中に知られているせいで変に注目されており、紅覇様も隠す気が無いというか……むしろ言いふらしているせいで、紅覇様のファンの一部からはあまり良く思われていない。 だから、紅覇様ファンの方々が居る傍にはあまり近寄る事が出来ず、コソコソとこんな処から盗み見る羽目になっている。 正面玄関から武道館内は筒抜けになっているから、正面玄関のスライド扉に隠れるようにしながら中の様子をうかがっていた。 私は部活も何も入っていないから、授業が終わればすぐに帰ることが出来る。 本来なら、もう用のない生徒は帰るべきなのだけれど……今日は早く終わる日だから一緒に帰ろうと言われており、こうして暇を持て余していた。 (……こんな事してないで、勉強でもしてようかな) ふぅ…と小さくため息をつき、半身を隠していた扉から離れようとすると後ろにいた金髪の生徒にぶつかってしまい、慌てて謝罪の言葉を述べる。 「良いって、気にすんな!……えっと、天音、だったか?」 「え?あの…、どちら様ですか?」 「え!?」 そう此方が問いかけると、金髪の男子生徒が肩に引っかけるように持っていたスクールバックがずるっと肩を滑る。 しばらく目をパチパチとさせながら驚きの表情を浮かべたのち、すぐにハッとした顔になって「ごめん!」と土下座しそうな勢いで頭を下げられた。 「紅覇から名前を聞いててさ、勝手に知り合ってた気になってた!ごめん! 俺は剣道部副部長で2年のアリババ・サルージャ。よろしく!」 「初めまして、アリババさん。私は1年の」 「おう、よく知ってるぜ。紅覇や紅玉から話だけは聞いてるからさ。あいつの婚約者なんだって? 紅覇ならもう来てる筈だから、もし何か用事があるんなら呼んでやろうか?」 「大丈夫です。多分、部活が終われば携帯に連絡が入ると思いますので…。少しだけ、様子が見たかっただけなんです」 道場に繋がる通路の方へと視線を向けると、その横顔を見下ろしたアリババがスンッと真顔になって下唇をギュムと強く噛み締める。 「はぁ〜…いいよな、婚約者。俺も彼女ほしい」 「?はい?」 「何でもないよ。んで、中にも入らねぇの?」 「いえいえ!中までお邪魔するわけには!部活の妨げになってはいけませんから!」 手を振りながらそう伝えると、「そっか」と穏やかな顔で笑いながら肩からズレた鞄を背負い直す。 「紅覇のやつ、部長になってからはりきってるもんな。 いっつも『ほんと、この防具臭くてあり得ないんだけど〜!匂い移るしぃ!』とか言う癖に、何だかんだやってるし。 大学に行ってもしばらく続けて、剣道四段まで取りたいっつってたぜ」 「紅覇様らしいです」 「良いよなぁ〜俺なんてこの前三段落ちたばっかりだっつーのに。また今度の昇段審査頑張らねえと」 「今度はいつですか?…秋でしたっけ」 「そうそう。大学の通知表に載せたいから、来年の夏までには取りてぇんだよな〜。部活引退した後まで受験勉強と昇段審査の並列はきっついし」 あちぃ〜と手で首元を扇ぎながらスクール鞄を一旦床に放り、外履きを靴箱に仕舞い込むアリババ。 捲り上げているワイシャツから覗く細腕はしっかりと筋肉がついており、スクール鞄を持ち上げた左手の平にも竹刀を振る事で出来るタコがはっきりと見えた。 生まれながらの金色の髪と軽快な口調からは伺うことが出来ない、彼の努力の証を目にして天音は自然と口元が緩む。 「応援してますね、アリババさん」 「おう、サンキュー。可愛い子に応援されると俄然やる気が出るぜ!」 「……へぇ〜重役出勤の上に、人の婚約者口説くだなんて、随分次の昇段審査には自信があるみたいじゃない〜アリババ?」 紅い髪が首をくすぐったかと思えば、後ろから白い腕が伸びてきて肩に回され、ぎゅーっと背後から抱きしめられる。 いつの間に背後に回られていたのか分からず、ギョッとして身を堅くするとクスクスと後ろで笑う声がした。 「げっ、紅覇」 「遅刻だよアリババ〜。生徒会も副部長も両立するって言ったんなら、ちゃんとやんな?じゃないと、どっちもリコールしてやるんだから〜」 「悪かったって!明日の話し合い用の資料作りしてたんだよ!」 「言い訳とか見苦しいし〜。取り敢えず、早く着替えてきたらぁ?」 分かったよ!と転がるように男子更衣室に入っていった背中を見送ると、「天音だ〜」と甘えた声でスリスリッと頬ずりされる。 「も、やめてください。恥ずかしいので!!」 「え〜〜?なんで〜?」 「皆さんが見てます!!」 正面出入りから道場は丸見え。 ということは、道場内にいる部員達や廊下にいる紅覇様のファンの方々にもイチャついてるのが丸見えだということ。 紅覇様以外の部員達は準備体操を行ってはいるものの、皆が此方にチラチラと視線を向けているのが分かる。 腕から逃れ、ぐいぐいと紅覇様を両手で押しのけると「ちぇ〜」と不服そうに頬を膨らませる。 そんなやり取りの間も、廊下の方の皆からは色々な声が飛び交っていて、今すぐ逃げ出したい気分に駆られた。 「折角来たんだし、見学していかないの〜?」 「邪魔をするつもりは無かったんです」 「お前が邪魔な訳ないじゃん?あそこらへんの五月蠅い奴らのせいなら、今すぐ散すけどぉ?」 廊下の方を指さしながら低い声で呟く紅覇様に、向こうの何人かがビクついて声を潜めた気がした。 「いえいえ!そんな事ありません!それに、これから図書館で勉強でもしようかと思っていましたので!」 「そ〜〜お?」 「っっ!わりぃ紅覇!着替え終わった!」 「はいはい。ちゃんと準備体操もやってよねぇ〜。あ、僕の練習用の竹刀も取ってくれる?」 「人使い荒いな…ちょっと待ってろ。…ほら!」 片手に頭に被る防具を抱えていたアリババさん。もう片方の手で持っていた自分の竹刀を脇に抱え直し、竹刀立ての中からひときわ太い竹刀を引き抜くと紅覇様に手渡した。 「ありがと〜」 「それくらい自分で取れよな」 「何?遅刻して言い訳した上に、口答え〜?」 「っう、悪かったよ!だから、それ振り回すのやめろって」 普通のモノよりも太い竹刀を軽々片手で振り回す紅覇様に、アリババさんが青い顔をしながらそっぽを向く。 ぶんぶんっと振り回す姿を見る限り、そんなに重いものには見えない。 ぼんやりと紅覇様の竹刀を見ていると、「持ってみたい?」と訊かれ、元気よく頷いて竹刀を受け取る。 「おっ、おも……」 「重くなくちゃ鍛えにならないじゃないの。素振りの時にこの重さで慣らしておいて、練習試合や打ち込みの時には普通の重さのやつを使うと、すごく早く動けるんだよねェ」 「顧問の先生は、素振りの形が崩れるとか、腕を痛め易いからって、あんまり薦めてねぇけどな」 「僕、お前と違ってそんな軟弱じゃないから〜」 「けっ、そうかよ」 「どうでもいいけど、そろそろ準備体操終わりそうだから、お前も準備したらぁ?」 「おう!」 防具を片手に抱え、急いで防具が整列している位置に行って防具を置くと、軽い準備体操を始めるアリババさん。 竹刀を紅覇様に返しながら「紅覇様も体操を」と言うも、「僕は皆が来る前に一通りの体操は終わらせてるから〜」とのんびりした声で返される。 「いつも早めに来て準備されてますものね」 「だって武道館暑いんだもん!早く来て窓とか扉とか開けっぱなしにしておかないと、空気が籠もって汗だくになっちゃうし! ……てかさぁ、胴着も臭いし暑苦しいしぃ〜〜。夏場とかホント最悪!」 「ふふ、お疲れ様です」 心から労いの言葉をかけた時、ちょうど紅覇様の後ろで部員たちが準備体操を終えたらしく、一瞬後ろを振り返ってからポンポンと頭を撫でられる。 「そろそろ顧問も来るだろうし、終わったらメールするから校内で待ってな」 「はい、解りました」 防具の匂いの移った手の平が頭から離れたかと思えば、流れるように顎を掬われて唇を奪われていた。 向こう側から悲鳴のような黄色い声が響き、ビックリして振り返った部員達にもバッチリと目撃される。 「…な…なっ!」 「ふふ、部活してこようかなぁ〜」 「こ、こういうのは校内では止めてくださいと、言っ」 「じゃあ、他なら良いんだ〜?ふ〜〜ん?部活の後が楽しみぃ〜」 「っそうじゃありません!」 火照った顔を冷ましながら、機嫌良さそうな背中に向かって叫ぶと「五月蠅い口は縫い付けてやろうか〜?」と楽しそうな声で返され、キュッと唇を引き結ぶ。 「部活終わったら、ちゃあんとお前にも構ってやるからね〜。僕はアリババと違って、全部の事に手ぇ抜く気ないから。 良い子にして待ってたら、ご褒美に可愛がってあげる」 あは、と竹刀片手に微笑む美しい紅覇様に、至る所から黄色い悲鳴が上がっては何人かがその場に卒倒する。 ボッと赤くなっているであろう顔を覆い、その場から逃げるように駆け出した。 20150121 執筆 20190703 編集 公開 戻る ×
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