「ひばりさーん、いますかー?」
応接室の扉を開けて中を覗くも部屋の主はお出かけ中らしく、ガランとしていた。
もしいつものように、彼が居たら「うざい」だの「キモい」だの「消えろ」だの言われて追い出されてしまうだろう。
「うふふ、しっつれーしまーすっ」
浮足立って部屋に入り、真っ先に彼専用の机に近付いた時、名前は椅子に掛かっていた学ランに目をつけた。
「…………」
キョロキョロしてから学ランをとって肌触りの良い裏地に顔を埋めると、スーとそれに染み付いた匂いを堪能する。
「……ん、今日も凄く良い匂いがする……」
スーハースーハーと呼吸を繰り返していると、なんとも言えない甘美なフェロモン臭にクラクラしてくる。
(全く、こんな匂いプンプンさせるからモテるんですよ)
再び深呼吸しようとした瞬間、ガラリと背後の扉が開いて凄まじい殺気。
「名前………君、何してるの?」 「雲雀さんの匂い嗅いでました」 「…………気持ち悪い。吐き気がする。僕の学ランに触らないで変態」
「酷い言いようですぅー」
すーはーしようとしたら、トンファーを構えられ慌てて椅子にかけ直す。
「毎回来るけど、何にも用がないなら此処に来るな。そして僕のモノに触るな。匂いを嗅ぐな、気持ち悪い」 「うーん……そんなに迷惑かけてないと思いますけどー」 「迷惑をかけてない?ハッ、ココまで僕の気分を害して置いてよくそんな口がきけるね?………はっきり言うよ、迷惑」 「そーですか」
ひょこひょこ、と出入口に近付くとトンファーで身構えた雲雀の横を通った名前はふっと雲雀を振り返る。
「すみませんー。私、迷惑をかけるつもりはなかったんですー」 「その、間延びした話し方止めてイライラする。来るだけでも充分迷惑だ、視界に入って欲しくもない」
「ほほーう……ラジャーです。わかりました、善処します」
「じゃあ、さよなら」と言うとタタタッと颯爽と去っていく名前の背中を一瞥して、ため息を漏らす。
そもそも、僕は何をしているんだ。
茶髪天然パーマに、ブレザーの中にフード付きのパーカーも着ていて短めのスカートにハイソックスを履いている。
上履きだって、踵を潰している。
違反だらけじゃないか、なのにどうしてあの気持ち悪い女を咬み殺さない………
「………あぁ、ダメだったんだ、そういえば」
『きゃッ、愛しのひばりさんからの愛の鞭……ッ』
その台詞に引いて咬み殺す気が失せたんだ、確か。
(次来たら、今度こそこれまでの鬱憤も含めて咬み殺す)
心の中でそんな事を誓ったものの、名前が応接室に現れる事はなかった。
「ねぇ、2年B組苗字名前、学校来てる?」 「苗字……ですか?へい、来てますが」 「……そう」 「どうかしましたか」 「……………別に」
(なんで、来ない)
学校に来てるんだろ?なのに、なんで今までみたいにいないの。
そう思いつつも自分からは会いに行かず、人込みを見下ろしながら無意識の内に名前の姿を目で探していた。
名前が来なくなって一週間経ち、廊下である女子とすれ違った時ふと立ち止まる。
「……名前……?」 「……」
一瞬、すれ違った瞬間に鼻を掠めた匂いが彼女と同じだった気がして、振り返るとその女生徒も立ち止まっていた。
「……やっと気づいたんですか……」
はあ…とため息をつきながら大きめの黒縁眼鏡を外してコチラを見上げる名前。
髪は黒髪でストレートになっており、制服も規定のモノをしっかりと着ている。
オマケに雰囲気もガラリと変わっていて、あの時とはまるっきり別人だ。
正直言うと、可愛い。
好みかもしれない。 なんだか悔しくて目を逸らしながら問いかける。
「なんだい……その気の変わり様は」 「んー、元に戻しただけですよー?私、入学したての頃は連続学年首位で内申点オール5でしたし」
ガンッと鈍器で殴られたような衝撃だ。
今までは馬鹿としか思ってなかった分、余計に。
「元は私、頭良いんですよー?」 「じゃあ……なんであんな馬鹿みたいな事したの?」 「…………」
「実は、わたし………前に軽くひばりさんとぶつかった事があって………その時のフェロモン臭にノックアウトされちゃいまして汗の匂いもそうなのかなとか妄想しちゃっ………うぎゃッ」
聞いた僕が間違いだった。
やっぱり気持ち悪い、この女。
躊躇なくトンファーを振り下ろすも掠った程度らしく、そこをさすりながら更に話を続けようとしていた。
「そこから、ひばりさんを意識し始めてよく観察するようになってから、ひばりさんの動物に優しい面や、なんだかんだ女子には優しいところとか、放課後遅くまで残って仕事してる姿とか見て………好きになっちゃったんです」
けど、今のままだと気にも止めてくれない。って分かって、だったら『良い子』を辞めれば目に止まるかもって思ったんです。
名前の告白を聞きながら、状況や事情を冷静に頭の中で整理する
(って事は名前の今までの行動は…………)
「―――っ!」
バッと不意打ちで赤くなった顔を隠すと、トコトコと寄ってきた名前が下からジッと覗き込んでくる。
「ひばりさん」 「……――っ何」
あいらびゅー、です。
「ん、良い匂いですぅ」なんてさっきの台詞をぶち壊す言葉を、照れ臭そうに笑って言った名前を可愛いと思った僕は、多分重症だ。
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