サイト二周年記念企画 | ナノ


「・・・・はぁ」



空目は小さく溜め息を吐くと、己の眉間に指を当てた。





温かき眠りに口付けを








「・・・・恭一様?」



ずっと本を読んでいた空目が突然溜め息を吐いたので、あやめは少しばかり心配になって空目の名を呼んだ。
リビングのソファーに座ったままの空目は膝に読み掛けの本を開いたまま置き、暫し目元を指で押さえている。



「お疲れ・・・ですか?」

「・・・ああ、どうやらそうらしい。徹夜で本を読んでいたのだから流石に疲れがやって来たようだ」



空目はソファーの背もたれに頭ごと背中を預けながら疲れたように呟く。



「人間の身体は睡眠を取らねば疲労を感じる。本当に面倒だ」

「でも、それは・・・・・生きている証です。失ってからでは、味わえません」



少しばかりの沈黙を置いた後、あやめは困惑とも悲しみともつかない声音でそう口を開いた。
空目はそれに伏せていた眼を開き、あやめに視線をやる。
すると少し悲しそうな表情で微笑んでいるあやめが空目を見ていた。



「私は・・・もう、人ではありませんから。疲れも、眠気も、感じません。ましてや空腹や餓えなども。・・・・感じないというのは、淋しいです」



あやめはそう哀しそうに笑う。
空目はただそれを無表情に見返して。



「・・・そうか」



ただ淡々と、そう一言視線を天井に戻して返した。

あやめはそれに苦笑する。
そして申し訳ない気持ちになった。

今の言葉は、ただ己の羨望を口にしたに過ぎないからだ。
己が感じたことを他の誰かも同じように感じるという保証は無い。
あくまでも、これは己の一意見に過ぎない。
故に、少々差し出がましかったかとあやめは己の発言に悔いていた。



「・・・はぁ」



空目は天井を見上げていた瞳をまた閉じ、再び溜め息を零す。
どうやら相当疲れているらしく、何かを言う気もする気も失せているようだった。

そんな空目を見て、あやめはこうしてはいられないとその場から身を翻す。
そしてそのまま愛らしくスリッパの音を発てながら、リビングを後にした。

空目はリビングと廊下が繋がっている戸が閉まる音を伏せた瞼越しに聞いて、ほんの僅かだけちらりとその戸に視線を向ける。
しかしそこには誰も居ず、ただドアがぽつんと聳え立っているだけだった。

あやめは何をしに行ったのだろう。
空目は疑問に思いながらも、あまりにも疲れが酷過ぎるせいか思考を回すのを止め、三度天井を仰ぐ。
そのまままた瞼を閉じ、少しばかり寝ようかとぼんやりと考えていると、また戸が開く音がした。

しかし、空目は今度は動かない。
そのまま眼を閉じたまま、背もたれに身体を預けたままだ。

そうして身動きをせずにいると、不意に目元に何かが置かれた。
柔らかく、そして己の体温より熱を持ったそれは、水気を帯びてじわりと目元に熱が浸透する。
何が、と少しばかり驚いた空目は己の瞼に被せられたそれを手に取って確認すると、それは湯に浸けたタオルだった。



「お疲れのようだったので・・・・・濡れタオルです」

「そのようだが・・・普通は水に濡らした冷たいものを当てるのではないのか?」



空目はこういったことに詳しいわけではないので判らないが、何となく眼が疲れた時は冷たいものを当てると気分が良くなる。
そう認識していた空目は不思議そうにあやめを見つめた。
するとあやめはちょっと困ったように笑って首を横に振る。



「確かに冷たいものを眼の上に置くとすっきりしたように感じますが・・・でも、冷たいものは眼の血行に悪いんです。血流をよくすると疲れが少し引くので、本来は暖かくしたものを当てるのが良いんですよ」

「・・・そうか」



空目は説明を受け納得する。
すると疲れがまたどっと押し寄せたのか、空目は摘まみ上げていたタオルを再び瞼の上に置くと、そのまま目元からじわりと染み込んで来る熱に意識を寄せた。
温かく染み込む熱は、確かに少しばかり目元にあった痛みを和らげてくれているような気がする。

そのまま暫くいると、タオルが時期に冷えて来て、少しばかり冷たくなって来る。
空目はそれにタオルを退けようとすると、その前にさっとタオルが目元から消え去ってしまった。

空目はゆっくりと瞼を開け、タオルの行方を探る。
すると耳に水の滴る音がした。

空目がそちらに視線をやると、用意していた桶からタオルを取り出し水を絞っているあやめがいた。
小さな手で精一杯の力を込めて出来るだけ堅くタオルを絞る。
ぽたぽたと手から滴る水が、桶の水に飲み込まれては跳ね上がった。

あやめは己の絞ったタオルが確りと水が切れていることを確認し、空目の方へと振り返る。
すると己を見つめていた空目と視線が合って、あやめは少しばかり困った顔をした。



「あ・・・勝手にごめんなさい。タオルが、冷えてしまったかと思いまして・・・・・ご迷惑でしたか?」

「・・・いや」



心配そうに小首を傾げたあやめに、空目は眼を伏せて否定する。
それにあやめは安堵を覚えて、小さくほっと息を吐いた。

そのままあやめはタオルを持って空目に近づくと、また瞼の上にそれを当てようと腕を伸ばす。
しかしそれは不意に空目に捉えられて、遮られてしまった。



「恭一様・・・?」



あやめは不思議そうに首を傾げる。
空目はそれに眼を少しばかり眠たそうにしながらも開いて見つめ、開いているもう片方の手であやめの頬を撫でた。



「・・・キスを、してくれないか」



あやめはその一言に眼が点になる。
何を言われたのか、理解出来なかったようだった。
だが言われた言葉を何回か頭の中で復唱すれば、その言葉の意味を頭が理解して、瞬時にその愛らしい頬が朱色に染まった。



「ぇ、ええっ!?あっ、あのっ、そのっ・・・!」



間を置いて驚きの色を見せながらも頬を染めるあやめに、空目は内心愛らしいなと思う。
しかしそれは表情にも行動にも出ることはなく、ただ気怠気に疲れたように見返しただけだった。

空目は暫し慌てた様子でいるあやめを視界に入れながら、その頬に当てていた手の指先で頬から唇へと這わす。
それが下唇の上でぴたりと止まると、空目は少しばかりあやめを見上げて。



「・・・して、くれないか」



そう、願った。

あやめはそれに顔を真っ赤にしたまま戸惑う。
少しばかりぼんやりとした様子の空目にも関わらず、指を這わした動作から頼みの表情までが何故か異様に色っぽいのだ。
そのような仕草に慣れていないあやめにそれは非常に心臓に悪く、またこのような願いをされては戸惑うのも当たり前。

故に己の体温が異常な程上がり、未だ手に握ったままのタオルの熱よりも己の手の熱の方が高いのではないかと、空目の表情を目にしながらあやめは思った。



「え、えと、そっ、そのっ」



どうしてもしなければいけませんか、と問い掛けようとじっと空目の瞳を見返したあやめだったが、しかしその表情からは眠たげな瞳の奥からただ早くと急かすように返されただけだった。

あやめはそれを見て、これは抵抗出来ない、と内心悟った。
そしてここは仕方ないと諦めて、意を決して瞼を伏せる。
すると空目も瞼を伏せて、その時を待った。



ちゅっ、



と、小さな音が静かな室内に響いた。
あやめはそれに恥ずかしくなって直ぐさまその場から離れてしまう。
空目は内心名残惜しいと思いながらも、ゆっくりと瞼を持ち上げてあやめを見た。
そしてあやめを見るなり第一声に。



「瞼に、という意味だったのだが」



そう、述べた。

それを聞いた途端、あやめはさっきよりも更に顔を真っ赤に染めて、少しばかり目尻に涙を浮かべてしまった。
勘違いをした上にとんでもないことをしてしまったと、自分の行動と思考に恥じているらしい。



「・・・だが、こちらの方が、いい」



そんなあやめの姿を目にして、空目は小さく、柔らかく、笑う。
そして目を閉じると空目はあやめの捉えたままだった腕を己の方へと引き寄せた。



「っ、きゃっ!」



あやめは引っ張られるまま、空目の胸の中へと倒れる。
その際に空目の膝上にあった本が床に落ちたが、最早二人はそれを気にしていなかった。

空目は胸元に引き寄せたあやめごとソファーに倒れ込んで、己の身体の上に乗ったあやめの華奢な身体を抱きしめる。



「あああああのっ!!」



そんな空目にあやめは狼狽え、おろおろと手も足も視線も定まらないまま、わさわさともがく。
しかし空目はそれを許さず、ぎゅっとその細い腰を引き寄せ、背に手を当て宥めれば、あやめは瞬時に大人しくなった。
そんな抵抗出来ずに仕方なく大人しくしているあやめを服越しに確認すると、空目は再び瞼を開いてあやめを見つめた。



「キス、を」

「え、えと・・・」

「そのタオルよりも暖かい温もりを感じて、眠りたい」



そう空目にしては少し拙い言い方で言うと、あやめは少しばかり驚いた顔をする。
どうやらかなり空目は睡魔に襲われているらしい。
目元が非常に眠たげで、でもまだ寝たくないと我慢する子供のような幼い表情をしていた。

あやめはそれを見て、温かい気持ちになる。
普段気丈で隙のない空目が、こうして幼い姿を見せてくれる。
それは己に心を許してくれているという証だ。
故にそれが嬉しくて仕方ないのだ。

あやめは優しく微笑むと、その身体を少しだけ浮かす。
そして手元にあるもう冷えてしまったタオルを机の上に置いて、空目の顔に近づいた。



「恭一様、おやすみなさい」



そう呟いて瞼に口付けをそっと落とすと、空目は満足そうに笑みを浮かべて眠りの淵に落ちて行く。
その際に空目は小さく唇を開いて。





「あい、して・・・・る」





小さく、掠れて、愛しそうに。
呟いたのだった。

あやめはそれに益々嬉しさと愛しさが込み上げて。










「私も、愛しています」










そっとその黒髪を掻き揚げて、その額に眠りの口付けを落とした。



* * *



こんにちは、水野です。
大分前のものをUPしてから月日が経ってしまいましたが、三作目を漸くUPです。
今回は前の二作品よりは甘いものを目指しました。
と言っても糖度はあまり高めじゃないですね。

私はよく寝不足になると関節が痛くなるのですが、度が過ぎると目が痛くなります。
で、空目も良く読書とかで徹夜とかするのではないかな〜と思ったので、こんなネタになりましたとさ。
正直最近ネタ不足でどうしようもない感じが致しますが、少しでもお気に召していただければ幸いです。

それでは、リクエスト有り難う御座いました!

2009,6,1 水野佳鈴



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