Missing | ナノ


コンコン



「恭一様、お食事の用意が出来ました」



そう扉越しに部屋の主へとあやめは問い掛けたが、いつもならば必ず返ってくる返事は結局返ってこなかった。
あやめはそれを不思議に思い、ドアの前で佇みながら、小首を軽く傾げた。
そしてもしかしたら聞こえなかったのかもしれないと思い、あやめは再度戸を叩く。



コンコン



「あの、恭一様?」



先ほどよりも少し大きめな声で問い掛けるが、やはり返事はない。



「・・・・・?」



どうしたのだろうか。
そう疑問に思い、あやめは失礼と思いながらも目の前の戸を開けてみることにした。
金属製のドアノブを捻り、そっとドアを開けてみる。



「恭一・・・様・・・・・?」



半分ほど空いたドアの隙間から室内を覗き、そこである一点で視線が止まる。
部屋の片隅にある机の前に、その主の背中を見つけたからだった。
机上にある蛍光灯ランプが主の背の影をより一層深め、その存在を主張している。
あやめはその姿を見てほっと胸を撫で下ろし、ドアからやや離れて再度問い掛けた。



「恭一様、お食事の用意が出来ました」



しかしまた返事は返ってこなくて。
あやめは今度こそ本当に不思議に、そして心配になり、未だ背を向けたままの主の側へと近寄った。



「恭一、様?」



そう名を呼びながら主の顔をそっと覗き込む。
すると左手を支えに顔を僅かに傾け、眼を伏せたままの端整な顔が眼に入った。
それと共に僅かな寝息が聞こえてくる。
あやめはそれを見て優しい安堵感に胸が包まれ、ふわっとその愛らしい顔に微笑を浮かべた。

目の前の机の上には開きっぱなしの本が置いてある。
多分本を読んでいるうちにいつの間にか寝てしまったのだろう。
夕飯のこともあり、起こすという手段もあるのだが、あやめには何故かそれは憚られた。
せっかく作ったご飯が冷めてしまうのは残念なことだが、ご飯は後で温めればいくらでも食べられる。
ならば今は彼を起こすことはせず、このままそっと寝かせて置いてあげよう。
しかしいくらまだ夏の名残がある季節とは言え、このまま何も羽織らずに眠っていては風邪をひきかねない。

そう思ったあやめは主を起こすことを止め、変わりに部屋にあるタオルケットを取り出して、その背にそっと掛けてあげた。
するとそのとき僅かに主の身体が身動ぎし、何かを呟いた。



「・・・・・ぁや・・・め・・・・・」

「!」



突然寝ていた主に自分の名を呼ばれ、あやめは目を見開いた。
そして起きたのではないだろうかと思い、あやめは再度主の顔を覗く。
しかし当の主はいまだ目を伏せ寝たままで。
どうやら自分の名を呼んだのは寝言だったらしいとあやめは悟った。

どんな夢を見ているのかは知らないが、しかし間違いなく自分のいる夢を見ていることが判り、あやめは嬉しそうに微笑む。
そして僅かに額にかかっている主の髪を優しく掻き揚げ、その美しい顔を優しい眼差しを向けて見た。



「・・・恭一様、良い夢を」



そう一言述べて、そっと額に唇を寄せる。
僅かな熱を感じてからゆっくりと唇を離し、あやめは再度主の顔を眺めた。
その表情はどこか穏やかで。
それを見て益々自分の心の内が温かくなるような気がした。

そしてあやめは寝ている主を起こさぬよう、そっと室内から出てゆく。
最後にドアを閉める前に主に振り返って。



「おやすみなさい」



と、優しく述べた。

後にはドアの閉まる軽い音が室内に響く。
しかし先のその一言が、本来冷たいはずのその部屋を、今はどこか暖かいものにしていた。


















Illust『睡眠の秋
2007,9,19



×