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急の提案に僕があわあわしてる間に自分の携帯とテーブルの上に放置されていた僕の携帯を掴み、あっという間にアドレス交換を済まされてしまった。
「じゃ、何かあったら連絡するように」
「え?、あ…っ」
僕が返事をする間もなく立ち上がった榎本さんは、ソファーにひっかけておいたスーツの上着を無駄のない動作で羽織り、玄関に向かって歩き初めてしまう。
急いで立ち上がり後ろ姿を追いかけると、立てかけてあった靴べらを使い高級そうな革靴を履き終わった所だった。
「あ…っ、あのっ」
「?」
僕が声を掛けたことによって、ドアノブに右手をかけた格好のまま振り向き、真っ直ぐな視線を向けてくる。
榎本さんの視線は正直でごまかしが効かない。
いつもなら迫力負けして反らしてしまうような視線を賢明に見つめ返しながら言った。
「…よ、よろしくお願いしま、す?」
「……っ。まあこれでも一応あの人の秘書ですから。動向に目を光らせるのも仕事の内という事で」
(お、大人だ…)
「それから」
「?」
「玄関口には裸で出ないように」
パタンと音を立ててしまった後、本日何度目かのオートロックの施錠音を聞きながら、大人の魅力にやられてクラクラする目元を抑える。
理事長にしろ榎本さんにしろ、フェロモン入りの香水でも付けてるのかな。
僕は色々ありすぎて足下をふらつかせながらソファーにダイブした。
息を止めて数秒悶えた後肘だけで起き上がり、タオルドライだけで乾いてしまった髪の毛にうつ伏せのまま指を通す。
なんの引っかかりも無くさらさらと抜けていってしまう指通りの良いこの髪質は実は自分でもかなり気に入っている。
「……あなたの髪、好きよ」
そう言って蝶子さんにも褒められた事があるなと思い至って、今日の出来事全ての原因が彼女の呪いか何かのような気がしてきた。
『あたしアメリカに行くの。仕方ないからあなたを解放してあげる。きっと良い飼い主を見つけなさいね』
強烈な言霊を残して彼女は僕の前から姿を消してしまった。
その存在は今でも僕の中に色濃く残っているけど、彼女に対する思いは恋とも愛とも違う。
言うならば情。
世間には彼女と言っていたけど、位置づけとしては“姉”と言う感じが強かったし、蝶子さんからしたら僕はお気に入りのオモチャ程度だったのだと思う。
生粋のお嬢様育ちの蝶子さんはいつもどこか退屈していて、恵まれて育ってきた人特有の残忍性を持っていた。
絶対に裏切る事の無い存在を欲しがっていたけど、僕は彼女の求めるものにはなれなかったんだろう。
……遠い異国の地でそんな人を見つけられただろうか。
そんなことを考えながら瞼を閉じると、暗闇へと意識が吸い込まれていった。
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