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エレベータが下降した事を確認してホッと肩の力を抜くと、理事長は首に手を当て、軽く右肩を回し溜め息まじりにあー疲れたと呟いてこっちに近づいてきた。
「あ、…っ」
ありがとって、言わなきゃ。
助かりましたって。
「樹くん、手、大丈夫?」
「…え」
僕が喋るよりも先に口火を切った理事長は、さっき栗栖くんに思いっきり握られた手に視線を移した。
反射的に後ろに隠すようにしてふるふると首を横に振る。
だって、こんな変色した手をわざわざ見せるなんて心配して下さいって言ってるみたいだし。
「…っ、だ、いじょぶ、デス」
「………」
「………………」
だって何か恥ずかしいし。
無言の間何もかもお見通しだぞとばかりに不機嫌そうに一睨みされる。
「 出 し て 」
理事長の眼力が凄くて、僕の貧弱な強がりはポキリと折れた。
素直に言うことを聞いて男らしく筋張った掌に軟弱な手を重ねる。
指の形がくっきりとついて赤紫に変色した手の甲を見ると、また眉間にシワが寄った。
「大丈夫じゃないでしょ。色変わってるじゃん」あっ、ちが…っ」
違うんです。僕は色素が薄いから痕になりやすいだけで、実はそんなに痛くないんです。と言おうとして、思考が停止した。
ずるっ
「………え?…うわぁっ!?」
ちょちょちょちょっとおお!!!!
えぇええーーッ!?!!
理事長は僕がつなぎなのを良いことに、首元からチャックを一気に下ろして襟をつかみ左右に引っ張った後引き下げた。
なんとか肘の所で止まってくれたからパンツ丸出しな情けない格好は免れたけど、今までに無いほど無地の白Tシャツが心強く感じる。
「………」
「り、じちょ…あ、あの…」
無言のまま眉間のシワがぐぐぐっと寄って威圧感がより一層増す。
視線が留まっている二の腕が焼けそうだ。
そんなに見つめても何も出てきませんよー、なんて頭の中で軽口を叩いても一向に事態は変わりはしなかった。
「ちょ…あっ」
無事な方の手が理事長の大きく筋張った暖かな手に包まれると、急に引っぱられて理事長は元来た道を逆走し始めた。
記憶が正しければこのフロアには理事長室しか無いはずだから目的地はすぐなんだけど、さっきの理事長による奇行によってベルト無しのズボン状態になったつなぎをずり落ちないように抑えるのに必死だ。
これからは必ずベルトしよう、うん。
そうして僕は、本日二度目の理事室でふかふかなソファーにまたもや座らされているのです。
「ちょっと待ってね。ある程度の医薬品は揃ってるはずだから」
備え付けの棚に手を伸ばしながら言った理事長さんの言葉に、ここに連れてこられた理由が僕の治療のためだったんだとようやくわかり、急に居たたまれない気持ちになる。
だって、これから理事会があるって言ってたし、たまたま運悪くあんな場面を見てしまったせいで、立場上見過ごすことができず、仕方なく介抱するしかなくなってしまったんだと思うと申し訳無さすぎて……。
「…すみません。忙しいのに」
「俺のことはいいんだよ。大丈夫だから。あ、あったあった」
救急箱から湿布を取り出し、左隣に座った理事長は僕の手をとり一撫でして顔をしかめた。
「かわいそうに、痛かったでしょ」
「あ、…大丈夫です。理事長が、助けてくれた、から…」
第一、こうなった原因は紛れもなく僕にある。
あのとき栗栖君に受け答えがはっきりと出来ていたらきっとこんな事にはにはならなかった。
思い返す度に罪悪感が二重三重にもなって襲ってくる。
自分のせいで多忙なこの人にまで迷惑をかけてしまった事が心苦しかった。
「はい。次、腕ね」
左腕を差し出しながら俯くと、バカみたいに生っ白い肌が見えてる。
ズボンを掴むとさっき手当てしてもらった右手が痛んで、それをごまかすように唇を噛みしめれば、じわりと口の中に鉄の味が広がった。
「こぉら、痛いでしょ」
「……っ」
唇を指でなぞられる感触と、思いの外近くから聞こえた声に驚いて、揺れた体を宥めるように手を重ねられる。
慌てて顔をあげると理事長の整った顔が迫ってきていて、重ねられている右手がすごく熱く感じた。
「…………………」
「……?」
無言になった理事長の射抜くようにまっすぐな瞳の奥に鈍い光が射した気がして、僕は身を強ばらせた。
「あーあ。ちょっと切れちゃってるね」
「え?……んっ!」
あ、ヤバい。と身を退いたときにはすでに遅く、どんなに目を見開いても理事長の端正な顔の輪郭をとらえることは出来なかった。
そう、僕は大きな手でガッチリと後頭部を抑えられて、キスをされていた。
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