未知との遭遇
この後会議があるというので早々に理事室から退散して、僕はこれから自分の我が家になるであろう職員用の寮へ向かうことにした。
手にはさっき貰った本さながらの分厚い資料を持ち、特に何も入ってないショルダーバッグを背負って、長い廊下の突き当りにあるエレベーターへと向かう。
こちらも例に漏れず凝った外装になっていて、ゴールドであしらわれたエレベータの枠組みがギラギラと光り輝いている。
これ、誰が考えたんだろ……。
下を向いている矢印のボタンを押してエレベータの到着を待っていると、ポケットのマナーモードにしておいた携帯がお尻のポッケで震えているのに気付き、取り出してチェックすると愛用のツナギブランドからのセールのお知らせだった。
万年金欠な僕には、定期的に送られてくるこのセール情報がなによりの楽しみで、何を隠そう実は行きつけの店舗のお兄さんとはアドレスを交換する程の仲なのだ。
今受け取ったメールにも最後の一文にわざわざ僕宛のメッセージまで添えられています。
【藍沢さんが来てくれるの、ずっと待ってますから】
向こうからアドレス交換しませんかと言ってもらえた時は飛び上がるほど嬉しかったっけ、と思い出しながら、返事は部屋に着いてからゆっくり送ろう、とニヤニヤしながら携帯電話をポケットにしまおうとした、その時。
鳩尾にもの凄い衝撃を感じ、
「ぅぐっ」
僕は弾かれたようによろけてしまった。
ぐらりと倒れそうになった体を体重を後ろに移してどうにか踏みとどまることが出来たけど、けっこう胃袋がどうにかなっちゃうんじゃないかってくらいけっこう痛かったり……。
「あっ、悪ぃ!大丈夫か!?俺今前見てなくて…」
衝撃のせいでしぱしぱする目頭を押さえながら少し高めなボーイソプラノの声の方を見やる。
制服姿の彼はもじゃもじゃしたマリモみたいな髪の毛をしていて、今時どこでそんなの売ってるのって感じの牛乳瓶の底みたいな分厚い黒縁メガネをかけている。
「なあ!あんたもしかして先生か!?俺、栗栖 明(クルス アキラ)!よろしくな!!」
一見人付き合いが苦手そうな姿をしてるのに、ハキハキと元気良く喋る彼は僕とはまるで正反対のタイプです。
髪の毛で良く見えないけど、大きな口を開けて笑ってるのだけはわかる。
あ、そうか。
お店からのメールを読んでいる間にエレベータは到着していて、それに気付かずに歩こうとしたからぶつかってしまったんだ。
と、ようやく事の経緯を僕が理解したのは、恐ろしく力の強い彼と握手を交わした後だったけど。
……うーん。かなり痛い。
これはきっと痣になっちゃうパターンのやつだ。
「いっ、あ…藍沢 樹です。きょ、今日から用む「イツキかあ!良い名前だなっ!俺今日編入してきたんだ!あんたみたいなカッコイイ先生が担任だったらいいな!」
しゃべり始めた栗栖君は何をどう聞き間違ったのか分からないけれど、どうやら僕を教師と勘違いした様子で、握ったままの手を勢い良く上下に振っている。
すっかり訂正するタイミングを逃してしまった。
まさか作業着姿なのに先生と間違われるとは夢にも思わなかったし、僕は来栖君みたいにハキハキ喋るのが下手なので、羨ましいと思う反面ちょっと苦手だ。
……つまり、どう対応したら良いのかまったくわからない。
「なんでそんな情けない顔してるんだ!?なんか困ってんのか!?」
「顔は、う、生まれつ「せっかく男前なのに勿体ないぞ!」
そんな顔ってどんな顔?と問い詰めたいのをぐっと我慢して、未だかつて出会ったことのない人種との出会いに対処法を思案してみたが言わずもがな、結局何も思い付かなかった。
とにかく来栖君の視力は間違いなく悪い事だけは証明された。
あんなに分厚い眼鏡をかけてるんだから当たり前なんだけど、僕が男前だなんて常軌を逸している。
昔ある女の人が『虐めたくなる顔してるあんたが悪いのよ』と口癖みたいに言っていたけど、彼女はドの付くSの人だったし。
そりゃあコンプレックスだったから、きりっとした男前に憧れる僕としては、油断するとすぐにハの字に下がる眉毛とか、特に感情表現の乏しい表情筋を治そうと出来るだけ男らしく見せたくて、鏡の前で秘密の特訓をしたこともあった。
一応身長は成人男子の平均よりはある方だし、線は細いながらもそこそこ筋肉はついているからひ弱に見られることこそ無いけど、これは僕の長年持ち続けたコンプレックスだった。
結局約1ヶ月間特訓を続けた結果、一回り引き締まり多少男らしい顔つきになったような気もするけど、問題の眉は真一文字のまま威圧感が増しただけだった。
それでも油断してしまえばすぐにハの字になるので、これはもう産まれ持っての顔つきなのだとしぶしぶ諦めた訳だ。
(……てゆうか握られたままの手はいつ離してくれるんだろう)
けっこうな時間圧をかけられているので、青あざになることはこれで確定だろう。
色素が薄い僕は、少しの圧力がかかっただけでも痕が残ってしまう。
わざわざそれを見ることはしないけど、いろんな意味で痛みに弱い僕の目にはもう涙が浮かんでいた。
「勘違いされるからそれ治した方がいいぜ!よし、俺が特訓してやるよ!な!!」
「ぬぁッ!?」
な!の所ですごい力で背中をバシンと叩かれて、思わず変な声がでてしまった。
さっきから薄々感づいてたけど来栖君てかなり力が強い。
そんな小さな体のどこから出てるのって感じだ。
だんだん薄れてはきてはいるものの、ジンジンと疼く背中もきっと赤くなってる。
それよりも問題は痛みを通り越して痺れてきてる手のほうだった。
やり過ごせなくなってきた痛みに、もともと下がり気味の眉が更に下がり、くしゃりと顔が歪んだ。
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