ライン

君がいる、今


初めてだった。

産み出されてから初めて、怖いと思った。


君が倒れた時、咄嗟に支えた身体は小さくて。

君がその小さな身体で起こした行動はとても強く、重いもの。


嗚呼、でも、それでも・・・。


微かに透ける君の身体。
マナの枯渇による危険信号。

身体を支えているマナを激しく消費すれば人体が霧散してしまう、そうニアタが言った。


霧散――。

消える―――。

君が、消えてしまう―――。


頭で思い描いた最悪に体が震えた。

震えが止まらない。
 これは何?
目の前が暗い。
 こんなことは初めて。
君の姿が霞む。
 いいや。違う。
緑の瞳が僕を見た。
 本当は知っている。



―君は弱々しく微笑んだ。
 ―これが“恐怖”であると知っている。




僕は“憎しみ”を知らない。

昔、恐れを抱いた自分自身がそれを克服するため、自分の記憶を消して、新しい自分を二人に別けた。
それが僕とキル。

感情が欠落したのは一つを二つに別けたからだとニアタが推測してくれた。

僕は“憎しみ”を失って、キルは“恐怖”を失った。


“恐怖”に屈しないために自分をリセットした昔の自分。
“恐怖”を失ったキル。

つまりキルはもう二度と“恐怖”に屈することはない。


だけど僕は?

“恐怖”に屈した過去、今また、“恐怖”で恐れを抱いている僕は?

何なのだろう?
間違えてしまったのか?
失敗作なのだろうか?


僕は・・・何?




「テュ・・・リ・・・」

思考に沈んでいた意識がか細い声に引き戻される。
小さな手が、弱く、自分に向かって差し出されていた。


「な、に?」

自分でも驚くほど震えた声と共にその手を握る。

また君の姿が薄れた気がした。
もしかしたら、今握っている手も跡形もなく消えるかもしれない。


―怖い。

握る手に力を込める。


消えないで欲しい。消えて欲しくない。まだ一緒にいたい。嫌だ。怖い。怖い。怖い。怖い。恐い―――。





「ごめ・・・ね」


君がポツリと呟いたのは、


「・・・え」

「ごめん・・・なさ、い」


謝罪の言葉。



「・・・どうして?」


問わずにはいられなかった。
何で謝るんだろう?
君は君が正しいと思って、仲間のために頑張ってるのに、


どうして謝るの?



握られてい方の手が僕の頬に触れた。

小さく震える弱々しい手。

緑から透明がゆっくりと零れていく。



「私・・・今、とても貴方に迷惑を・・・かけてるね・・・?
ごめ・・・なさい・・・ごめんなさい・・・」

ポトリ。ポトリ。と雫が落ちていく。


迷惑?そんなことないのに、どうして?泣くの?
泣かないでよ。泣かないで。

泣いて欲しくない。



「何・・・言って、るのさ」

震えを抑えられない。
けれど懸命に言葉を紡ぐ。


「迷惑なんて、かかってないよ?だから・・・だから・・・大丈夫
大丈夫だから、さ」


いつもより何倍もぎこちない手付きで君の頭を撫でた。

熱い何かが胸からせり上がってくる。
僅かに下唇を噛んで、耐えて、君の頭を撫でる。


大丈夫だよと伝えるように。
謝らないでと伝えるように。



「・・・え、へ・・・テュリ・・・、ありがとう」


弱く、だけどいつものように、君が笑う。
頭を撫でてくれるのが嬉しいと言っていた、あの笑顔で。


すぅと寝息が聞こえて、頭を撫でる手を静かに離す。


途端に堪えていた涙が溢れた。


先程までの“恐怖”は、どこにも無い。
あるのは、唯、君がくれた優しさと温かさ。


嗚咽が、奇妙な音となって部屋に響く。

初めてかもしれない、泣くなど。
だから分からない、涙の止め方が。


「ッあ・・・ひ・・・ぐぅ・・・あ、つぅ・・・っ」


怖いと思ったのは、君が消えてしまうと思ったから。

温かいと思ったのは、君が優しい気持ちをくれたから。


君によって起伏するこの感情を、僕は未だ知らない。

知りたいのに、分からない。表せない、言葉にできない、苦しいけど優しい気持ち。


僕の手と君の手を重ねた。
小さな脈動と微かな体温が伝わってくる。


君を感じる。

生きている君を感じている。


だから、大丈夫。


「カノンノ・・・」



怖かった。
だけどそれはまだ起きもしない最悪に対する恐怖でしかなくて、大事なのは今、ここに、生きていることなんだ。

正直、まだ恐いんだ。
怖くて怖くて堪らない・・・。


だけど君はここにいて、自分に出来る最善を尽くしている。
だったら僕も、頑張りたい。

仲間のために。皆のために。そして、君のために。


怖いけど、前を向いて歩こう。僕が僕のままで過去を乗り越えられるように。


「じゃあ・・・行ってくるね、カノンノ」


名残惜しく手と手を離して、部屋を後にした。

止まらなかった涙は、もう乾いていた。

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