▼あなたを呼ぶ


「あー、幸せだなー」
「…」
「あー、ドキドキしちゃうなー」
「ねぇ、なんなの…それ」

半ば呆れながら聞くと、ミツバは注射器をくるくると指で回しながら上機嫌に言った。

「もちろん、シャナさんの心の声ですよー」
「あぁ、そう…」

やっぱり話すんじゃなかった。

この間の任務から帰ってきてすぐ、もう挙動不審だなんだと言われたくなかったわたしは、正直にミツバに全てを打ち明けた。
そうなると思ってましたー、とにやにや笑ってからずっと、わたしに会うたびにこんな話題ばかり振ってくる。

「楽しそうね…」
「シャナさんは思ったより冷静でつまらないですねー」

回していた注射器を元の場所に戻したミツバは、面白くなさそうにため息をついた。

ひととおり仕事を終えて、1班の医務室の整理をしてから宿舎に戻ろうと考えていた時に、ふらっと現れたかと思えば人のことをつまらないとは…ひどい言いぐさだ。

「悶々としてるシャナさんが良かったのになー」
「いつまでもそんなふうにはしないよ」
「えー。総長とはちゃんと会ってるんですか?」
「そんなに会えないよ。今は遠征中らしいし」

本人から聞いた訳ではない。
たまたま出航前のコアラさんと鉢合わせて、そういう話をしただけだ。
この間の任務から話したのは二度。
一度目は、食堂を出るときに丁度入ってきた参謀総長と会って、すれ違いざまに少し話をした時。
二度目は、わたしが任務に出る前にいってらっしゃいと言いに来てくれた時。

その両方とも、声が上ずってほとんどまともに話せなかったことはミツバには言わない。絶対言わない。

「ふーん。じゃあ、何て呼んでるんですか?総長のこと」
「え…?」

思わず聞き返したわたしを見て、ミツバはすぐに察したのか、うわー、と痛そうな顔をした。

「まさか、まだ『総長』…ですか」

呆れたようにこぼすミツバに、わたしは何も言えなかった。


構えて、1発目。弾は的の中央を撃ち抜いた。
2発目。やや右。
3発目。今度はやや左。
4発目。再び的の中央。
5発目。今度はやや上に。
6発目。ふっと小さく息を吐いて、撃つ。
的の中央を撃ち抜いた。

「んー…」

満足いかない。以前はもっとやれていたような気がしてならなかった。

夜。
誰もいない射撃訓練場。
戦闘員としてここで訓練する人達の邪魔にならないよう、この間の任務から戻って以来、こうして人のいない時間を狙って足を運んでいる。
革命軍に入った頃は定期的にここに来ていたけれど、班長になってからはほとんど来れていなかった。

やはり鍛練を怠るとすぐに鈍ってしまう。

もう一度撃って終わろうかと、銃に弾を込める。
ここは宿舎から離れているとはいえ、あまり遅くまで撃っていたら迷惑になってしまう。

構えて、1発目。

その時、背後でガチャリと訓練場の扉が開く音がした。

「あ、やっぱり」

聞こえるはずのないその声に驚いて慌てて振り返る。

「前に夜にここに入っていくのが見えたから。灯りが付いてたから今日もそうかなって」

夜風と共に入ってきたのは総長だった。
以前の自分を見られていたことにも驚いたけれど、それよりも今ここにいることに驚いた。

「帰って…来られていたのですか?」
「ん、今さっきね」

遠征から帰ってきたとは思えないほど、立ち姿はいつも通り完璧で。
なんとなく直視できなくて、そうですか…、と俯いてぼそぼそと返す。

『何て呼んでるんですか?参謀総長のこと』

ミツバの言葉が頭に流れて、変に意識してしまう。

「終わったら、外おいで。待ってるから」
「えっ?あっ、はい!はい!」

慌てて答えると、彼は可笑しそうに笑いを噛み殺しながら外に出て行ってしまった。
あぁ、恥ずかしい。

その後撃った弾は、集中できなくて全て的の中央を外してしまった。


「終わり…ました」
「ん?あぁ、お疲れ様」

6発全部的の中央を外してしまって、あぁ、もうだめだと悟ったわたしは早々に片付けを始めた。

星空から目を離して、わたしの姿を確認した参謀総長はゆっくり歩き始めた。
わたしも後を付いて歩く。

「訓練するのはいいけど、あんまり遅くまでやってると身体壊すぞ?」

咎めるような言い方ではなく、そっと諭すような優しい言い方。

「総長こそ、遠征から帰ってきたばかりなのにこんなところに…。お疲れなのではありませんか?」

確かコアラさんの話だと、10日ほどの遠征だったはずだ。
あまり長いほうではないにしろ、それなりに疲れが出ているだろうに。

「平気だよ。それになにより…」

足が止まる。
半歩後ろを歩いていたわたしと向かい合って、彼は優しく目を細めた。
星空を背景に瞬く深い瞳の色に、飲まれそうになる。

「シャナに会いたかったからね」

瞬時に身体が熱くなった。
恥ずかしいとか、照れるとか、そういった感情によるものではなくて。
胸の奥から溢れ出るこの想いを、何と呼べばいいのだろうか。

「わたしもです。……サボさん」

自然と口からこぼれた呼び名に、自分自身も驚いた。
目の前の彼も驚いたように 一瞬固まった。
けれどもすぐに優しい笑みを浮かべて、一歩近づいてくる。

反射で下がりそうになったが、やんわりと左手を掴まれて阻止される。
ゆっくりと前髪をかきあげられておでこにひとつ、柔らかい感触。

「いきなり呼ばれたから、仕返し」

悪戯っぽく笑う彼に、今度は羞恥によって顔が沸騰しそうなほど熱くなった。
顔を見られたくなくて、慌てて距離をとろうとすると、掴まれた手を引かれて抱き寄せられる。

「あ、の、離して…ください…」
「それは聞いてあげられないなぁ」

このままでは心臓がもたないと、絞り出すように伝えるも、彼の肩が楽しげに揺れるだけ。

あぁ、もう。
満天の星空の下、観念したわたしは少しだけ勇気を出して、自ら彼の胸にそっと身体をあずけた。

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