▼波音に月
(一部、戦闘描写有り。苦手な方はご注意ください。)
「よかったですねー、シャナさん」
「ん?何が?」
「総長と一緒に任務に行けるなんて」
「……そうね」
わたしの元に来たミツバは、開口一番そう言った。
明日からの任務の為、船に必要な医療道具を積んでいる最中にふらりとやって来たかと思えば、どうやらそれを言いに来たらしい。
「言っておくけど、任務なんだからね」
「いやー、好きな人と海の上で夜を過ごせるなんて…いいですねー」
あぁ、だめだ。聞いてない。
もう放っておくことにしようと決めて、必要な道具を持って船に乗る。
ミツバもわたしの後ろをついてきた。
「チャンスですよー、これは。逃したらだめだと思います」
「だから任務なんだってば。暇なら手伝ってよ」
どさりと箱を船医室に置く。
今回向かうのは紛争地域の為、いつもより荷物が多めだ。
班員達には先に自分の準備をするよう伝えてある為、今はわたしひとりで作業を進めている。
本部からあまり離れていない場所とはいえ、明日出港して任務を終えて帰るまでに、すべてが順調だったとして3週間はかかるだろう。
「それにしても、しばらくシャナさんいないんですよねー。暇だなー」
ようやくわたしを手伝って荷物を運び始めたミツバは、心底つまらなさそうに肩をすくめた。
「人を暇潰しみたいに言わないでよ」
「えー?そんなことないですよ」
そんなことないわけない。
食堂でやむを得ず全てを打ち明けてからというもの、毎日のように「挨拶しましたか?」とか「さっきあそこにいましたよー」とか、その話題ばかり振ってくるくせに。
「応援してあげてるだけですよ」
「あぁ、そう…」
「まぁ、応援するまでもない気もしますけど」
「…どういう意味?」
問い返すと、至極楽しそうな表情のミツバは、
「いずれ分かりますよー」
とだけ言って、そこから先は何度問い返しても教えてくれなかった。
『医療班、南東の方角に怪我人が』
「了解、すぐに向かいます」
電伝虫越しの仲間に返事をして、もうひとりの班員と共に南東へ向かう。
今回の任務は、ある街を巡って紛争を続けている国同士をとめるというものだ。
他の班員達は副班長と反対側の地域で活動している。
作戦の指揮は、こちら側がコアラさん。向こう側が総長だ。
「あそこのようですね」
班員が指差す方を見ると、確かに数人が固まって身を寄せあっていた。
わたしたちが手当てするのは、主に国同士に取り合いされている街の住人達だ。
勿論、革命軍の者を手当てすることもあるがほとんどは、怪我をして動けない街の住人達への応急措置だ。
それから、安全な場所まで避難させるのが今回の医療班の役割となっている。
「医療班、後は任せます」
「了解です」
わたしたちの到着まで、負傷者達に付き添っていた仲間と入れ替わった。
さっと視線を走らせて、怪我の程度を確認する。負傷者の人数は7人。のうち、足を負傷しているのがふたり。あとは自力で歩けそうだ。
「手当てが終わったら安全な場所まで移動しますね」
そう言うと、皆それぞれ頷いてくれた。
後ろに回していた大きめのウエストポーチから、包帯と消毒液を取り出して手当てを始める。
いつどこから襲撃を受けるかわからない為、手当てをしながらでも常に周りに気を配らなければならない。
「班長、こっちは終わりました」
「うん、移動しよう。前歩いてくれる?」
「わかりました」
足を負傷しているうちのひとりを、先導して前を歩いてくれる班員に任せて、もうひとりの負傷者に肩を貸す。
「少し、歩きますね」
怪我に支障のないように最後尾をゆっくり歩いていると、ふと背後に気配を感じて、目を閉じた。
どこに、誰が、何人いるか。
後ろに二人。右にひとり。武器をこちらに向けているから、紛争中の国のどちらかだ。
「失礼。後ろを見ないでくださいね」
肩を貸している負傷者の女性に一声かけて、空いている左手でホルスターから銃を引き抜いた。
ちらりと視線だけ向けて、後ろに2発と右に1発。
悲鳴が聞こえる前に視線を前に戻して銃をしまい、何事もなかったかのように歩き始める。
久しぶりに味わう、この殺伐とした感覚に少しだけ息が詰まった。
夜。
わたしは船から少し離れた浜辺で、寄せては返す波を眺めていた。
滞りなく任務を終えた革命軍は、明日の朝出港して本部に帰還することになっている。
革命軍側の怪我人はほぼ無く、別れて行動していた医療班も全員無事だった。
わたしも勿論、怪我はない。
ただ、久しぶりに人を撃った感覚に少し疲れてしまった。
わたしたち医療チーム第1班は、他の班と違って最前線に出て医療行為を行えるよう訓練されている。
いつも下がった眼鏡をあげるのがクセの副班長でさえ、戦闘時には身体に似合わない大斧を振り回す。
他の班員もそれぞれ戦う術を身に付けている。
久しぶりの前線だったとはいえ、班長がこれではいけないなと、船に帰ろうとした時。
「お疲れ」
月に照らされたその姿を見て、心臓が踊った。
「お疲れ、様です。総長…」
船の中や、ここに着いてからの作戦会議で話すくらいで、まともに話したのは今回の任務でこれが初めてだ。
というか、あの起きぬけに会った時以来だ。あれも決してまともな会話ではなかったような気がするけれど。
「今日もどっかで寝てるのかと思った」
隣に並んだ参謀総長は、わたしを見て楽しそうに笑った。
「今日は…大丈夫です」
その笑顔を直視できずに、わたしは視線を波に向けたまま答える。
初めて会って見せた顔が寝顔なんて、今思い出しても恥ずかしい過去だ。
そのまま少しの間、お互い黙っていた。
静寂の中、寄せては返す波の音がするだけ。
「この間さ、おもしろい話聞いたんだ」
参謀総長はなぜここに来たのだろうと思っていると、おもむろに彼が口を開いた。
「おもしろい話…?」
波に向けていた視線を彼へ向けて聞き返すと、今度は彼が波を見つめたまま、続けて言った。
「食堂で、ね。2班の班長といただろ?」
「食堂…?……………え?」
この間で、食堂で、わたしが2班の班長―ミツバといた…。
『あの時』だ。
「まさか…聞いて…」
「ん、聞いてた」
即答されて、羞恥で顔にどんどん熱が集まって、今すぐここから逃げ出したくなった。
ミツバが大きな声で言うからだ。
「で、どうしてやろうかって、思ってたんだけど」
波に向けらていた視線が、こちらを向く。
「おれも、あんまりゆっくり構えてる余裕なくてさ」
丁度、雲に遮られていた月がゆっくりと顔を出して、わたしたちを照らした。
交わった視線の真剣さに、そらすことなんてできない。
「おれも、同じ思いだよ。あの日、眠ってるの見たときからずっと、ね」
紡がれた言葉は、すんなりと入ってきて全身を熱くした。
目を見開いて固まるわたしに苦笑いした彼は、一歩距離を詰め、ゆっくりとわたしをその腕のなかに閉じ込めた。
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