▼挙動不審の行く末


「班長。…班長?大丈夫ですか?」

近くで声をかけられて、わたしははっとそちらを向いた。

「大丈夫ですか?さっきからペンが止まってますが…」

班員のひとりが心配そうにわたしを見ている。
言われて視線を落とすと、報告書にペンのインクがじわりと滲んでいた。

「わっ」

慌ててペンを上げてみても、半分ほど書き上げた報告書の中央に真っ黒な染みができていた。

「また書き直し…」
「班長、何かあったんですか?」

机に突っ伏すわたしに、班員が苦笑いしながら聞いてきた。
何かあったかと言われれば、あった。確かにあった。
けれどそれを何と説明していいのかわからない。

「ううう…」

班員の問いかけに、わたしは唸るしかなかった。


「わかった、シャナさん。恋してるんだ」
「こっ!?……ごほっ、ごほっ!」

ミツバの言葉に、わたしは飲んでいた紅茶で激しくむせた。

「なっ、なんでそうなるの…」
「えー?だって1班のみんな、最近シャナさんがおかしいって言ってるし、それになんかホワホワしてるから、恋してるのかなぁって」

ホワホワしてるって…。いや、それより恋って。

休憩をとろうとしたところ、たまたま本部の食堂で鉢合わせたミツバに開口一番でそう言われるほど、自分はおかしいのだろうか。

「誰ですかー?革命軍の人ですか?」

まだ恋だとも言ってないのに、至極楽しそうに聞いてくる姿は子どものようだ。
いや、実際彼女はまだ成人していないのだけれど。

「言わないよ。というか、恋じゃないから」
「えー」

不満そうなミツバに小さく嘆息して、再び紅茶をすすろうとした時。

「この間の任務の時、総長とふたりっきりでいたくせにー」
「なっ!?」

驚いてミツバを見ると、彼女はにんまりと笑った。

「やっぱり。シャナさん総長に恋してるんだー」
「いやいや、ちょっと待って!何で?…まさか…見たの?」

動揺して早口になっているのが自分でも分かる。
声を落として、向かい側のミツバにずいっと迫って聞くと、彼女は相変わらずにまにまとしている。

「だって、総長探してたら、そこにシャナさんもいたからー」

思い出してだんだん顔に熱が集まる。
そう、あの時。
街の病院を視察したあと、もう頼むから休んでくれと部下に言われて、わたしは誰もいない詰め所に押し込まれた。
しぶしぶそこで少し休もうと座ってから、いつのまにか眠ってしまっていた。

あまり長くは眠っていなかったと思う。
ふと目が覚めたら、革命軍のNo.2である参謀総長が目の前にいた。
それだけではなかった。
あろうことか、わたしの右手は参謀総長のコートの袖をしっかりと掴んでいたのだ。
慌てて手を離したわたしに彼はくすりと笑って、

『こんなとこで寝てたら、風邪引くぞ』

と言い残し、颯爽とコートを翻して行ってしまった。

たったそれだけ。それだけのことなのに、あの任務から本部へ戻って数日、わたしは明らかにおかしくなった。
あの時のことが頭から離れなくて、気がついたら考えてしまっている。
そのおかげで仕事は全くはかどらなくて、部下に「班長が挙動不審だ」と言われてしまう始末。

「あはは、シャナさん顔真っ赤ー」

わたしを指差して笑うミツバに恨みがましい視線を向けても、彼女は全く気にした風もなく、頷きながら言葉を続けた。

「まぁ、分かりますよー。総長かっこいいですもん。……それにしても、シャナさんが恋かぁ」

感慨深そうに言われる。
わたしは何目線で彼女から見られているのだろう。

「ちょっと、ミツバ。声大きい」
「あ、でも総長モテますからねー。うかうかしてたら、とられちゃうかもですよ」
「え…」

考えてみれば当たり前だ。
あんな人だ。どうあっても目を引く。
いつぞやも食堂で、そんな内容の話をして騒いでいる年下の女の子達を見たことがある。

「そっか…そうだよね」

もしかしたらもう恋人か、あるいは想い人がいるかもしれない。
そう考えたら何だか、勝手に挙動不審になっている自分が恥ずかしくなってきた。

「もー、落ち込まないでくださいよー。大丈夫です。シャナさん綺麗なんだから、自信持ってください」

ね?と笑いかけるミツバに、しぶしぶ頷く。
そして、ふと腕時計を見て、驚いた。

「わっ。ごめん、そろそろ戻るね。聞いてくれてありがとう」

少し休憩するつもりが、話しているうちについ長居をしてしまった。

「がんばってくださいねー」

ヒラヒラと手を振るミツバに手を振り返して、わたしは食堂をあとにした。


食堂の隅のテーブル。

ミツバと、特にシャナの席からは見えにくいそのテーブルに、気配を消して一人の青年が座って新聞を読んでいた。
トレードマークのシルクハットにミツバが気づいたのは、シャナと話をしている途中のことだ。

気づいてからは、できるだけ声を大きくしてみたつもりなんだけどなー、とミツバは思う。

じーっと彼を見ていると、ふと一瞬。シルクハットの隙間から覗いた瞳が悪戯に笑って、口元が弧を描いた。

シャナさんからいい報告が聞ける日は近そうだなー、とミツバはゆっくりコーヒーをすすった。

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