踏み込み具合

「岩ちゃん新婚なんだから、こんなに早く来なくてもいいんだよ?」
「うるっせぇ」

 会った瞬間からこれだ。祝言を挙げたと聞いてから、こいつは毎朝この手の話題で絡んでくる。
 この男、及川 徹は俺の仕事場であるこの及川酒造の跡取り息子だ。一年ほど前に先代から譲り受けて、若くしてここを取り仕切ってきる。うちの家が岩泉商店という、及川酒造のすぐ近くでここの酒を主に取り扱う店をやっている為に昔からの付き合いだ。不本意ながら。

「お嫁さん見たいなー。岩ちゃん連れてきてよ」
「やなこった」
「ねー、金田一も見たいよね、岩ちゃんのお嫁さん」

 酒蔵へ向かおうと通りかかった金田一に声をかける。

「…そうっすね」
「ほらほら岩ちゃん、金田一も見たいってよ」

 金田一は窺うように俺をちらりと見てから言った。お前も見たいのかよ。
 皆には言っていないが 、彼女は家のことを終えてからはうちの店を手伝ってくれている。岩泉商店は及川酒造のすぐ裏手に位置している為、実は物凄く近いところにいるわけだが、絶対教えない。特に及川には。

「さっさと仕事すんべ」
「あー、逃げた。岩ちゃんってば照れ屋さん」
「そんなに殴られてぇのか?」

 うそうそ。と逃げていく及川。まったく、朝っぱらからべらべらと。
 彼女の話題が出た為、考えてしまう。今朝、言おう言おうとして彼女に言えていないことがあるのだ。今日の夜こそ、言ってしまおう。うじうじするのは柄じゃない。
 そう決意して、酒蔵へ向かった。


「そろばん早いなぁ、***さん」
「え?いえ、そんなことないですよ」

 黙々と帳簿を見ながらそろばんを弾いていたら、お義母さんにそう声をかけられた。

「実家でやっていたの?」
「はい」

 わたしの実家も商店だ。ここよりは随分こじんまりとしているけれど。
 あんまり目が見えなくてね。とお義母さんは昨日からわたしに帳簿を任せてくれている。嫁に来たばかりでお金のことなんて任せてもらっていいのだろうかと思ったけれど、信頼の証だと捉えてやらせてもらっている。さっきわたしのことを早いと言ってくれたけれど、そろばんを弾くだけの早さならお義母さんの方が数倍早い。年季が違うよなぁと思った。

「***ちゃん、きりのいいとこで終わらせたらそろそろ昼飯食ってこい」

 奥からお義父さんが顔を出す。掛け時計を見ると、昼の時間を大きく過ぎていた。交代で昼を済ませるのだが、お義母さんが帰ってきてからもうこんなに時間が経っていたらしい。

「じゃあ、すみません。行ってきます」

 丁度きりが良かったのでわたしは店の奥へ行って、女中さんが持たせてくれた弁当を広げる。
 この店の裏口から出て、真っ直ぐ歩けばすぐに彼が働いている及川酒造さんがある。どうやら彼が所属する"青葉城西排球組"の主将さんがそこの息子さんらしく、青葉城西組の方は皆そこで働かせてもらっているそうだ。他所の排球士の方々も、基本的にはそうやって集まって仕事をして、夜から稽古に入るらしい。大変だと思う。
 そういえば、今朝彼は何かを言いたそうに見えたが。過ごした期間はまだ短いけれど、言うことははっきり伝えてくれる人だということには気付いているので、少し気になる。もしやわたし、何かしたのだろうか。今夜、聞いてみようか。いやでも、あまりでしゃばり過ぎるのも。
 そう思っていると、店の方からお客様の声がしたので、食べ終えた弁当箱の包みをきゅっと結び直して店へ向かった。

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