浮き足立つ

 及川が鬱陶しい。

「いやー、岩ちゃんのお嫁さん可愛かったー」
「何、及川見ちゃったの?」

 及川の言葉に、丁度部屋に入ってきた花巻がにやりと口角を上げて反応する。 その後ろには国見もいる。あぁ、なんだかこれはめんどくさいことになる気がする。なんとなく分かる。

「どんなだった?」
「あれはねぇ、岩ちゃんの好きな感じだよ、うん」
「お前らさっさと蔵行けよ。んで、松川達と昼休憩代わってこい」

 及川の言葉にほぅと花巻が頷く。ふたりを軽く睨みながら言っても見事に無視された。お前もだぞという意味を込めて国見に視線を向けるも、さっと逸らされる。練習の時覚えとけよと心に誓った。

「及川だけズルい。俺も見たい」
「知るか。及川にも見せたくて見せたわけじゃねーよ」
「あー、いいなー、お嫁さん。俺も欲しい」
「うるせぇ、仕事しろ跡取り息子」

 何が俺も欲しいだ。恋仲になっても排球ばかりでちっとも長続きしないくせに。いや、それでこそ及川なのかもしれないが。もう排球が嫁でいいのではないかと思ってしまう。
 ふと、国見が何か言いたげにこちらを見ていた。

「どうした、国見」
「俺、見たことあります」

 何をと一瞬言いかけて、すぐに分かった。同時に、お前それ以上言うなと口を開こうとした。が、遅かった。

「岩泉さんのとこの店に居ますよね?」

 眠そうにあくびを噛み殺しながらの爆弾発言に、及川と花巻がすぐさま走り出した。ほんともうお前ら全員覚えておけよ。


「あ、たぶんあの子。ご飯食べてるね」
「おー、可愛い。っていうより綺麗だな」
「でしょ?岩ちゃん好きそうでしょ?金田一とかも好きそう」
「確かに。矢巾とかも。いや、俺も全然イケる」
「花巻さんそれ、岩泉さんに聞かれたら殺されますよ」
「国見ちゃんいつ来たの」
「逃げてきました」
「あ」
「あ」
「完全に隠されたな」
「うっわ、めっちゃこっち睨んでる」
「視線だけで人殺せそうですよね」
「国見お前、今日の練習でしばかれるんじゃねーの」


 突然影になったと思ったら、わたしの横にはじめさんが立っていた。仕事に来ている間はほとんど関わることがないので、とても珍しく思って彼を見上げると、彼は睨むように視線をあちらへ向けていた。座っている長椅子から身を乗り出して彼の視線を追うと、建物の影からそそくさと去っていく数人の姿が見えた。背の高いすらりとしたその人達は、試合の日に見かけた気がする。きっと青城組の人達だろう。彼らからわたしを隠すように立つ彼に、少し笑う。

「見つかっちゃったんですね」

 そう声を掛けると、彼はようやくこちらを向いた。

「一番面倒くせぇ奴らにバレた」

 不機嫌そうにこぼすのはその表情は、あまり見たことがなくて珍しい。騒がれるのが嫌だから、わたしがここに居ることをたぶん誰にも言っていないのだろうなとは何となく思っていた。

「絡まれても無視しとけよ」
「無視はちょっと…」

 さすがにそれは失礼だと思いながら苦笑いする。「いや無視でいい、無視で」と言いながら、はじめさんはわたしの横に座った。ぎしりと小さく軋むこの長椅子は、お義父さんがわたしの休憩用にと作ってくれたものだ。天気がいい日は外で食べるといいよと、店の裏手であるここに置いてくれた。

「店、どうだ。慣れたか?」
「そうですね、大分。実家を手伝う感じと似ていますので」
「そうか…」

 淡々とした問いかけの中にわたしを気遣ってくれているのが分かったのは、彼が少し安心したように笑ったからだ。

「じゃあ、仕事してくるわ」
「はい。わたしも戻ります」
「おう、頑張れ」

 軽々と立ち上がった彼の手がぽんとわたしの頭に乗る。微かに麹の匂いがした。

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