見惚れる所以

「うきうきしておられますね、***様」
「え、そう…見えますか?」
「着物もそれ、新しいのでしょう?」

 一緒に歩いている伊代さんがにっこりとわたしに笑いかける。その通りだった。嫁入りの前に両親に買ってもらった若竹色の着物は、今日初めて袖を通した。見に来ないかと言われた時から浮かれっぱなしだ。わたしは排球を見たことがないし、家にいる時以外の彼を全く知らないから、見ることができるのはとても楽しみに思えた。
 試合を見に行かせてもらう旨をお義父さんとお義母さんに説明すると、ふたりとも行ってこい行ってこいと、わたしが店に出られないことを快く了承してくれた。おふたりはいいんですかと言うと、見られるのが恥ずかしいみたいでね、とお義母さん。なるほど。

 試合が行われる場所は、青城組がいつも練習している及川酒造所有の稽古場だそうだ。今回はそんなに大きな試合ではないらしい。場所を知らない且つひとりで心細いだろうからと、お義母さんが伊代さんと行くことを提案してくれた。この近辺の地理がいまいち怪しいわたしには、非常に嬉しい申し出だった。

「***様、暇さえあれば排球の書物、読んでましたよね」
「う、はい…」

 見られていたとは。いくら排球を見たことが無いとはいえ、全く知識の無い状態で行くのは気が引けたから、書物を買って読んでいた。照れくさいから勿論彼には内緒だ。

「あ、こちらです」

 伊代さんが示してくれた先を見ると、立派な建物。そして周りにはたくさんの人。今や国民的人気を誇る球技とあって、試合と聞けば遠方からも人がやって来るそうだ。彼が、疲れたら遠慮せずに帰れと言っていた意味がよくわかった。こういう人の多い場所には慣れていない為しっかり気合いを入れて歩かねば、伊代さんとはぐれてしまいそうだ。

「二階から見ましょう。二階もきっと人が多いでしょうけれど」
「はい」

 これはわたしの両親から聞いた話だが、青城組はこの近辺だと一番人気なのだそうだ。なかでも主将である及川酒造の息子さんが、もう其処ら中の女の子を虜にするほど整った顔立ちらしい。はじめさんとは幼なじみなのだそうで、一度彼に興味本意でどんな人なのかと聞いてみたら、物凄く嫌そうな顔で"ひたすら鬱陶しいやつ"と言っていた。

 二階に上がって下を見下ろすと、改めて排球に関する事柄は物凄く技術が進んでいるなと感じた。"ゆにふぉーむ"と呼ばれる西洋の衣服は動きやすいようにか、とても袖や丈が短い。いつも洗濯の際に見てはいるが、誰かが着ているのを見るのは初めてだった。選手達が打っている球は青や黄、緑や赤が美しい。高い天上を見上げると、たくさんの明かりに思わず目を細めてしまう。この建物だって、最先端の技術で作られたのだろう。

「あそこにいるの、はじめ様ですね」

 伊代さんが指差す先を目で追うと、わたし達から見て一番左側の"こーと"に彼がいた。二階の左側には、青城組の観客がたくさん居すぎて行けそうになかったのでここから見ることにした。
 ふわりと上がった球を思いきり打つ彼は、なんというか。

「格好良い…ですね」

 そうですね、と伊代さんが笑う。もちろん、球を繋ぐ皆さんひとりひとりとても格好良くて輝いていたが、彼は他とは違って見えた。人生において初めて誰かに、"見惚れた"瞬間。
 試合終了の合図が鳴るまで、わたしはただひたすら彼を見つめていた。


 伊代さんに外で待ってもらい、わたしははじめさんを探した。人が多くて疲れるだろうし、家のこともあるだろうから、ほどほどになったら帰れよと言われてはいるものの、一応一声かけて帰りたかったからだ。
 水のみ場を覗いてみると、青城組の服を着た人が何人かいたけれど、面識の無いその人たちに声は掛けにくい。どうしようかと迷っていると、ツンツンと着物の袖を引っ張られた。

「あ…」
「帰るのか?」

 振り返るとはじめさんがいた。さっきまでの格好よさが頭に鮮明に残っているので、思わず固まってしまう。何も言わずにいると、ん?と覗き込まれそうになる。これ以上近付かれたらまずい。

「あっ、はいっ、帰ります!」

 慌ててそう返事をすると、頷いたはじめさんは、ふと何を思ったのか、わたしの全身を上から下までゆっくりと見つめた。何かおかしいのだろうか。

「その着物…初めて見た」

 そう言って柔らかく笑うから、どきりとした。新しいのです、と返すのが精一杯なわたしに、はじめさんはまた笑って、そうかと頷いた。

「まぁ、気をつけて帰れよ。今日も遅くなるかもしれねぇから、疲れたら先寝とけ」
「はい。…あ、あの、」

 歩き出そうとする背中を一歩追いかける。怪訝そうにわたしを見下ろす彼にしっかりと視線を合わせて、感じたことをそのまま伝える。

「格好よかったです」

 それだけ告げて、恥ずかしいから逃げた。はじめさんと目を合わさずに、ではと踵を返して伊代さんの元へ走る。
 わたしの知らない彼の、それもとびきり格好良い姿を目にすることができて、嬉しかった。


「ねぇねぇ岩ちゃん、今の子ってさ」
「黙れ及川こっち見んなどっか行け」

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