「え、売られた?」

腰掛けていたヤルキマン・マングローブの根から、わたしは思わず腰を浮かせた。はずみで電伝虫のコードがびいんとなって、慌てて再び腰かける。

「どういう…ことですか?」

恐る恐る尋ねると、通話の相手であるサツキさんがふぅと小さなため息をついた。脇に置いている電伝虫の表情をちらりと見ると、とても悲しげだ。

『それがね、うちよりもっと高値で買い取るっていうところが出てきたみたいでさ。もう即決。そっちに売るって決めちゃったみたい』
「で、すぐに売っちゃたと…』
『そう。…ほんとごめんね、そんな適当な感じのところだとは思わなくてさ』

サツキさんがすまなそうに言う。今回の三号店の開店の為、サツキさんが前もって用意していた建物を、他の人に売られてしまったらしいのだ。それも、こちらに何の相談もなく。

『もっとよく確認すれば良かったわ。ごめんね』
「いえ…、お客さんからの紹介ですし、仕方ありませんよ。謝らないでください」
『いやー、もー、ほんっとごめん』

なおもサツキさんが謝る。この人がこんな風に沈んでいるのを見る、というか、聞くのは初めてだ。建物の保有者が常連のお客さんからの紹介だったら、そんなのわたしだって信用してしまう。サツキさんのせいではない。

「大丈夫ですよ。きっとお店くらい、すぐに見つかります」
『ほんと悪いね…。みんな体調どう?元気?』
「はい。最初は船酔いになってましたが、今はもう平気です。ただちょっと精神的に…疲れている子もいますかね…」

新世界へ向かうなんて、一歩間違えれば命を落としかねない危険な旅だ。もう何度も新世界へ行っていて航海に慣れている行商の船で、尚且つ護衛船を雇っているとはいえ、恐怖とはそう簡単に消えるものではない。
わたしだってそうだ。サボさんがどうしてもと、革命軍の数人をこの船に乗せてくれてはいるものの、不安でよく眠れない日が続いていた。

『なんにせよ、気をつけてね。新しい店になりそうなとこ、あたしも探してみるから。また連絡する』
「はい。了解です」

ぷつりと回線が切れて電伝虫が眠る。受話器を戻して、わたしはため息をついた。店のことは仕方がないことだけれど、別の建物を探すとなるとかなりまずいことになりそうだ。
まず、島に着いてからわたしたちが身を寄せる場所がない。そしてすぐに行うつもりだった従業員の確保も、後回しになってしまう。なにより、サツキさんが見つけてくれていた建物は、海軍支部のすぐそばに位置していたのだ。治安の良い地区で、海賊達が集うことのない絶好の場所だっただけに、そこで店を開けないのは痛い。
そしてわたしはサボさんに、その場所ならいいよと、安心だからと言われているのだ。海軍支部の近くだから頻繁には行けないけれど、わたし達の安全の為にはその場所が一番良いと。

シャボンディ諸島に着いたら、彼に連絡する約束をしている。この事実を告げたら、今すぐ帰れと言われやしないだろうか。最悪、迎えを寄越すとか言い出しそうな気もする。けれど、ここまできてそう簡単に諦めるわけにはいかない。彼を説き伏せ、そして今一緒にいる店員達も安心させる手を考えなければならない。

必ず新世界で店を開くのだ。
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