『で、どう?順調?』

電伝虫から聞こえてくるサツキの声は明るい。そして電伝虫の表情も明るい。この人はいつも楽しそうだなと思っていると、受話器からおーいと呼ぶ声が聞こえたので慌て言葉を返す。

「あ、すみません。今のところ順調…ですかね?」
『何で疑問系なのよ』

電伝虫がカラカラと笑う。それを見ていると本人の笑い顔がすぐに想像できた。


『サツキさん、お願いがあるんです』

サツキと話をした翌日の開店前、わたしは彼女の元を訪ねた。そう言っただけで、サツキは全てを察してくれた。そして、ゆっくりとひとつ頷いて、わたしが持っていた一枚の海図を指差した。

『そこにね、店開こうと思うの。二号店』

簪一本でするりと髪をまとめながら、サツキは鏡越しににやりとわたしに笑った。

『あんたそこの責任者やってみない?』


それから一ヶ月。
わたしはあの時、サツキの提案に物凄く驚いた。無理ですよと言いたかった。帳簿をつけたこともなければ、三味線以外のことはほぼできないようなものだし、何より知らない土地でいきなり店を開くなんてと思った。

けれど、行きたかった。彼に会える可能性が少しでもあるところへ行きたかった。

『わかりました』

そう返事してから出発までの期間、帳簿の付け方から物件の探し方、料理、舞踊、座敷の作法まで、サツキ屋の皆に必死で教わった。責任者が三味線しかできませんでは、話にならないと思ったからだ。
数週間という短い期間だったが、サツキやユキ曰く"形にはなってる"そうなので、とりあえず何もできなかった以前よりはマシだと思う。

元は宿屋だったという建物を利用して店を開いてからわずか一週間。お客さんは毎晩来てくれてはいるが、常に慌ただしくて順調ですとはとても胸を張って言えない。一緒に二号店に来てくれた数人の仲間達は、皆わたしと同い年だったり年下だったりで、自分がしっかりしなくてはと思うのだけれど頼りっぱなしだ。

『まぁいいけどさ、あんたちゃんと寝なよ?体調崩したら元も子もないし』
「了解です…」
『それに、やつれた姿で会いたくないでしょ?』
「です、ね…」

やつれた姿と言われて、改めて自分を見下ろしてみる。昨夜も遅くまで材料の発注書をまとめていた為、起きたのは日が高くなってからだ。起きてすぐサツキからの連絡があったから、髪はといてないし寝巻き。こんな姿で会えるはずがない。

『んじゃ、また連絡するわ。皆によろしく〜』
「あ、はい。また」

受話器からブツッと音がして通話が切れた。ふぅと小さくため息が漏れる。
行きたいです、行かせてくださいと言ってここに来たのはいいけれど、今は会いたい気持ちが忙しさにやられている。
それに、期間が空くにつれて不安もつのる。助けた中のひとりに過ぎないわたしを、もう、忘れてしまっただろうかと。
会いたいのに会うのが怖い。ここに居たら会えるなんて、そんな保証も何もないのに、そんなことを考えている。うじうじしていたあの頃より進めたかどうか、正直分からない。

とにもかくにも着替えなければと、わたしは持ったままだった受話器を下ろした。


「え、ハックだけ?サボくんは?」

基地に到着したと連絡を受けたから、急いで向かったのに居たのはハックだけだった。いやいや、そんな。

「悪天候で日程をずらしたそうだ。明日も来れそうになかったら、ひとつ先で合流だ」
「えぇ!?」

冗談じゃない。あの子がいるというのに。サボくんも次いつこの基地にくるか分からないというのに。

「何をそんなに驚くんだ、コアラ…」

ハックが呆れているけど、それどころではない。天気なんかに邪魔されるわけにはいかないのだ。

「海が荒れても来なさいって連絡してくる」
「は?」

もうお願いだから、さっさと会ってしまってよ。
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