知らないうちに、船は港から姿を消していた。
わたしがそれに気付いたのは、サツキが去ってから身支度をして、お世話になった宿を出た時のこと。
海には船の影すら無く、波はどこまでも穏やかで 、この小さな港にあの大きな船がいたことがまぼろしのように感じられた。

それでも。
わたしを救ってくれた彼は、鮮明に頭の中に残っている。
彼がいなければ、わたしはどうなっていたかわからなかった。
救ってもらったのに、一言礼を言うのすら叶わなかった。
もう、会えないのだろうか。
そう思うと、礼を言えなかった申し訳なさと、それ以上に胸に突き上げる切なさに目頭が熱くなった。


それから2ヶ月と少し。

「シャナ、これ持って大部屋行ってあげてくれる?手が足りないみたいでさ」
「はい、サツキさん」

渡されたお酒を持って、団体客が来ている大部屋に向かう。
部屋に着く前から笑い声が漏れてきていて、思わずくすりと微笑む。
今日ここを貸し切っているのは、この街に住む漁師さん達だ。

「失礼します」
「おお、シャナちゃん!」
「シャナちゃん、こっち来て酌してくれー!」

真っ赤な顔のおじさん達に手招きされ、わたしは苦笑いしながらお酒を持ってそちらに向かう。
始まって1時間もたっていないが、もう皆すっかりできあがってるみたいだ。

「シャナちゃん、助かるわぁ。他はもういいの?」
「はい、大丈夫です」
「良かったぁ!」

本当に忙しかったのだろう。
尋ねてきた彼女は、わたしの答えを聞いてほっとしたように笑った。

これが日常になった。
仲間と共に、忙しくも笑いながら日々を過ごすこと。これがわたし達に与えられた自由。
故郷を失った自分に、再びそんな場所ができたようだった。

裏方で仕事をさせてほしいと頼んで、サツキの店を手伝うことにしたけれど、店は毎度毎度大にぎわいで、気付けばわたしはいつも接客に回っていた。
様々なところからやって来るお客さんから聞ける話は、どれも聞いたことのないことばかりで、とても興味深かった。

満たされていると、思った。
これが自由なのかと、思った。


仕事を終えて自室に戻る。
この店は、以前わたし達が働かされていた店をそのまま利用している。
場所を変えても過去は変わらないし、新しい店を建てるお金もないから、というサツキの考えだ。
さすがに地下は封鎖したが、それでも部屋数が多い為、この店で働く者にはひとりにひとつずつ自室が割り当てられている。

部屋の隅には、シャナも弾いてみたら?と渡された三味線。
その横。練習中の楽譜が重なっている一番下に、隠すように置いてある一枚の新聞を取り出す。

『貴族の奴隷、一斉解放。革命軍か』

写真もない文字だけのその記事。
一週間ほど前、店に届いた新聞をたまたま開いた時に見つけたものだ。
こっそりと部屋に持ち帰ってしまった。
時代のうねりの渦中にいるのだ。彼らは。

月を見上げて、思う。
あの日と同じく、今宵は満月だ。

『彼』はわたしを覚えているだろうか。

わたしはずっと、忘れることができずにいる。
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