そっと扉を開ける。
入り口で耳を澄ませているとかすかな寝息が聞こえてきたので、部屋に入って後ろ手で扉を閉めた。
ベッドで眠っている彼女に近づく。窓から差し込む月明かりに照らされた寝顔が安らかで、少しほっとした。
微かな消毒液の匂いに、あの客に傷つけられて怯える彼女の顔が浮かんで、無意識に拳を握りしめていた。

「ん…」

子どものように小さく身じろぎをする姿に、思わずくすりと笑いがこぼれる。
簪を取り、着物から洋服に着替えた彼女は、ほんの少し幼く見えるような気がした。

これからは自由に、生きてほしい。
部屋を出る前にもう一度だけ視線を彼女に向けて、そっと扉を閉めた。


「新しい店…ですか?」
「そう。帰るところがない子達と一緒にね、お座敷開こうと思って」

そう言ってサツキが、にこりと笑う。

革命軍の突入から一夜明けた今日、サツキがわざわざ様子を見に来てくれた。
この宿は革命軍の方がとってくれたものだ。
昨夜わたしの治療をしてくれた彼女らは、目が覚めたらもう姿がなかった。

「お座敷って…?」
「そうねー、接客したくない子達に料理覚えてもらって、得意な子に三味線弾いてもらって、お酌して、みたいな。全部自分達で考えて自分達でやるの」
「自分達で…」

人形のように過ごしてきた、あの日々とは違う。
サツキの表情はキラキラと輝いているように思えた。

「きっと楽しくやれるわよ。意地悪セリもいないし」

あんたの天敵のね、とサツキは悪戯っぽく笑った。

「そうなんですか?」
「うん。叔父さんと叔母さんのところにお世話になるんだってー。まぁ、なんたってここにセリを売ったのが実の親だからね。そりゃ性格ひん曲がるのも仕方ないかなって感じだけど。もとは貴族だしね」

貴族というのは初耳だった。
わたしのことをやたら地味だの何だの言っていたのは、そういうことらしい。
昨夜、彼女がわたしにしたことを許すつもりはないが、彼女は彼女でああなるまでに悲しみや苦労があったのだろう。

「で、今のところ、ここに残る子が10人くらいかな?帰るところが無い訳じゃないけど、やらされてきたことがやらされてきたことだから…なかなか普通には暮らせないって子もいる」

たとえ自分の意思でないとはいえ、やらされてきたことは娼婦のそれだ。
汚れた女だと、見る人も少なくはないのかもしれない。悲しいことだけれど。

「でも、あんたは違うでしょ?」

言われて頷く。
あの店に連れて来られて身体を売らずに済んだのは、きっとわたしだけだ。
『彼』のおかげで。

「あんたはこれからどうするの?」

『これから』を考える日がくるなんて思ってもみなかった。
自分が自由になれるなんて。

「わたしは…」


「え、出港するの?」
「あぁ。もういる理由ないだろ?」
「ないの?」
「…ないよ」

ふいと背を向けられた。後ろめたい時の、彼の癖。

「助けたいって言ってたのに?」
「…助けたよ。ほら、行こう。出港だ」

船へと歩くその姿は、いつもの颯爽としたものではなくて、苦笑いする。

『終わったこと』にしたいのだろうけど。

「あの子にとっては、始まりかもしれないのに、ね」
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