「失礼します。……っ!」 襖を開けた途端、強く手を引かれてつんのめるようにして部屋に入る。 わたしの手を掴んだままぴしゃりと襖を閉めた男は、振り替えって上から下までゆっくりと視線を動かす。 舐めるような目付きが嫌で、わたしは顔を背けた。 今まで店にくる客を檻から見ていたが、ここまで気味の悪い男は初めてだった。 細く、据わった目は狂気さえはらんでいるようで、わたしは掴まれている手を振りほどこうとした。 が、それより早く足を払われて畳に倒されてしまう。 「あっ!」 起き上がろうとすると、腕にチクリとした痛みが走り、身体が全く動かせなくなった。 わたしに覆い被さる男の手には小さな注射器のようなものが握られている。 「身体は痺れて動かないだろうが、感覚は残る」 「っ…!」 はだけて露になった肩を噛みつかれて、じくりと痛みがはしる。 この店には、女達はあくまで商品であるため、傷をつけることはいっさい許されないという決まりがある。 もし傷をつけようものなら莫大な賠償金を支払うことになると、ここに入る前に忠告されているはずだ。 それを何とも思ってないのだろう。 噛まれた肩からじわりと血が滲んでいるのが、視界の端に見える。 殺される。 ぺろりと舌舐めずりした男に、わたしは叫びたいほどの恐怖を感じた。 しゅるりと着物の帯をほどかれる。 抵抗したくても、痺れた身体は全く言うことを聞かない。 男が着物の胸元に手をかけた時、涙が溢れた。 バンッ! 思いきり襖が開けられる音がしたと思ったら、わたしの上に覆い被さっていた男が、壁際まで吹き飛んでいった。 完全にのびた男に一瞥くれてから、畳に転がる注射器をぱきっと踏みつけるのは、昨夜わたしを指名したあのシルクハットの彼だった。 ぴりぴりと空気が振動しているのは、彼の放つ殺気のせいだ。 くるりとこちらを向いた時、思わずひゅっと息を飲む。 「立てそうか?」 柔らかい声だった。 ふるふると首を振ると、彼はゆっくりわたしに近付いた。 さっきまでの状況が状況なので、反射でびくりと身体が動いてしまう。 「あ…ごめん、なさい」 それに申し訳なく重いながら彼を見上げると、シルクハットから覗く顔は少し困ったようだった。 「ちょっとだけ…我慢して」 足と背中に手を差し入れられて、そのままふわっと持ち上げられた。 驚いて身を固くすると、彼はあやすように、抱き上げたわたしの腕をトントンと叩いた。 「大丈夫」 彼を下から見上げると、そう言って笑ってくれた。 心臓がどくりと跳ねた気がして、わたしは慌てて目をそらした。 その時、なんだか店が騒がしいことに気づいた。 店のなかだけではなく、外の方からもざわざわと人の声が聞こえてくる。 「心配いらない。おれの仲間だ」 きょろきょろとしていたわたしに、彼は開け放たれたままの襖をくぐりながら言った。 そのまま廊下に出ると、向こうから見慣れない服を着た女の人が走ってくる。 「総長、外の女性達は無事に保護しました。あとはここの支配人ですが、人質を連れて地下に向かったようです」 「ん、おれが行くよ。この子を頼む」 「はい」 参謀総長と呼ばれた彼はわたしを下ろすと、そっと肩に自分のコートをかけてくれた。 「あ…」 お礼をいう前に青いシャツの背中は足早に遠ざかってしまった。 「背負います。私の首に腕が回せますか?」 少し痺れがとれてきたわたしは、頷いて彼女の首に腕を回すと軽々と背負われた。 「あの…あなた方は…?」 ずっと気になっていたことを口にすると、女の人はふふっと背中を揺らして笑った。 「総長は名乗られなかったんですね。私達は革命軍です」 「革命…軍」 小さく呟いたわたしに彼女は、そうですと頷いた。 「この店の支配人…あなた方が大旦那と呼んでいる男です。彼は有名な『人間屋(ヒューマンショップ)』のオーナーで、各国にいくつもこういった店を構えているのです。そこで働かされている人を解放するのが、私達の任務なのです」 店から出ると、たくさんの人がいた。 檻組の女達、そしてその回りで慌ただしく動いているのが革命軍だろうか。通りには見物人もいる。 そんななか、人混みをするする通り抜けて一人の女性がわたしたちの前に来た。 「ごくろうさま。もしかして、その子かな?」 「えぇ、そんな感じでした」 「だよね。コートかかってるし」 そっかそっかぁ、と微笑む目の前の女性。 会話の内容が分からず首をかしげていると、くりくりとした目がこちらに向けられにっこりと微笑んだ後、部下の人に向き直る。 「手当てしないとね。宿まで連れていってあげて」 「はい」 返事をした女性は、わたしを背負ったまま通りを歩き出した。 が、いい歳をして女の人に背負われているというこの状況を改めて考えると、羞恥が込み上げてきた。 身体の痺れはまだとれていない。 下ろしてほしくても、歩くことはおろか立つことすらままならないだろう。 このまま大人しく背負われておくしか選択肢はない。 道行く人々の視線を感じながら、わたしはただひたすら早く着くことを願った。 back |