「あー、あんた。これも洗っといて」

「あ、ずるぅい。あたしのもー」

朝。客がとれたからか、いつもより少ない自分の担当分の洗濯を終えて部屋に戻ろうとしていた時。
前から歩いてきた二人組が、空になっていたわたしのかごに、どさりと洗濯を入れてきた。

「じゃ、よろしくぅ」

この二人組は、わたしが来た当初からこうだった。
会わないように洗濯の時間をずらして避けてきたけれど、今日はわたしが起きるのが少し遅かった為に、鉢合わせてしまった。
ため息をついて来た廊下を戻り、店の裏手となる庭へ出ると、わたしが先ほど干したばかりの洗濯物が風に揺れていた。
水気をきれいにとって立て掛けていた洗い桶と洗濯板を手に、井戸の側に行く。
きゅこきゅこと水を汲み上げながら、ふと考えるのは昨夜のこと。

深夜に目が覚めて、こっそりと振り向いて彼の様子を伺ってみたけれど、規則正しい呼吸音が聞こえただけだった。
そして朝、わたしが起きた時にはもう彼の姿はなく、布団も冷たくなってしまっていた。いったい何だったのだろうか。

「あーら、田舎娘が洗濯してる」

縁側の方から聞こえてきた声にうんざりする。
顔を見なくてもわかるこの甲高い声は、檻組のNo.2であるセリのものだ。
世話好きで朗らかな檻組トップのサツキとは違って、『陰険』『悪女』という言葉がよく似合う女だ。
わたしに洗濯物を押しつけてきた二人も、このセリの手下のような存在である。

「どうせ、昨日の殿方にも相手にされなかったんでしょ?当然よね。あんたみたいな地味な子」

なおも無視をして、洗濯物をわざと大袈裟にごしごし音をたてて洗っていると、気に入らなかったのか履き物をはいて庭まで出てきた。

「ちょっと、なに無視してんのよ。田舎者のくせに」

いい加減腹が立ってきたので、わたしはわざとセリの方に向かって泡水を散らした。

「きゃ!あんたなにすんのよ!」

逆上したセリが、わたしに手を振り上げた時、

「セリ!大旦那様が呼んでるわよー!」

サツキの声が聞こえた。
見ると縁側からこちらへ向かって手招きをしている。
大旦那様とはこの店の経営者のことだ。名前を知らないし、姿も見たことはないが、彼に呼ばれる時の内容は出世するか首を切られるかのどちらかだという噂を聞いたことがある。
その為か、セリは一瞬驚いた顔をして、今行きますと中へ入っていった。去り際にわたしをひと睨みするのも忘れずに。

縁側から手を振るサツキに小さく頭を下げてから、わたしは洗濯を再開した。


洗濯を終え、檻組に与えられている共同部屋へ戻ると、部屋は薄暗く数人が寝ているようだった。
それもそうだ。普通は、昨夜のわたしみたいに眠らせてもらえることなんてないのだから。
朝になり、自分の雑用が終ればようやくゆっくり眠ることができて、昼が過ぎれば風呂に入り、着物を着て化粧をして夕方には檻に入る。
指名されれば中に入れて、されなければ夜更けまで檻のまま。そしてまた朝が来る。その繰り返しだ。

ざっと部屋を見渡してセリとその手下がいないことを確認して、わたしは部屋の隅に座った。
昨夜いつもより眠れた為に、眠気はないと思っていたが部屋の薄暗さと静寂に、座ったままうとうとと微睡んでいると、

「サツキさんが座敷組に?」
「えぇ?じゃあ、檻組のトップは…セリさんってこと?」
「きっとそうよ。さっきセリさん、大旦那様に呼ばれてたもの」

薄目を開けて周りを見ると、わたしが部屋に戻った時よりも何人か増えていた。
その何人かが囁くように会話をしている。

『檻組』と『座敷組』に分けられている、この店の女達。
夜更けまで外の檻で男を誘い、雑用を押し付けられる檻組とは違い、座敷組は店の中にいて、自分の気に入らない客は相手にしなくて良く、身の回りの世話を全てしてくれる禿(かむろ)が一人ついている。
確か個人の売り上げがある一定の額を越えたら檻組から座敷組に上げてもらうことができるはずだ。

「今まではセリさん、サツキさんがいたからそこまででもなかったけど…」
「えぇ、これからどうなることか…」

檻組のトップとしてサツキは、セリの傍若無人な振る舞いをしばしばいさめていたけれど、邪魔者がいなくなったのを好機に、セリの行動は今までよりひどくなるはずだ。
彼女達と同じように、わたしも部屋の隅で小さくため息をついた。


明け方のこと。

「偵察に行くだけのはずなのに、なんで朝帰りなの?」

口調は咎めているようだが、その顔は笑っている。
なぜそうなったのかを彼女なりに推測しているようだ。
付き合いが長いからか、それともおれが分かりやすいのか。

「ちょっと…ね」
「ふふっ、ほんとにちょっとー?」

彼女はそれはそれは楽しそうに、探るような目でおれを見る。

「いや、ちょっとじゃない…かもね」

そう言い直すと、彼女はまた笑った。


夕方。
鏡台の前で化粧をして髪を結い、初めてここに来たときにサツキがもう使わないからとくれた簪をさす。
男を喜ばせる道具になるための準備なんてしたくもないが、それをしなければ殺されてしまう。
結局死ぬのが怖いのか、と自分自身に呆れる。

ふと視線を感じて、そちらを見るとセリとセリの手下の二人組がこちらを見て言葉を交わしている。
また何か企んでいるのだろう。
視線を外して部屋を見渡す。やはりサツキは居なかった。
話の通り、座敷組に上がったのだろう。個室を与えられてるはずだから、もうここに来ることはない。

「あんたら、日暮れだよ」

受け付けの女性が襖を開けた。
それを聞いて、皆が立ち上がり動き出す。
わたしもゆっくりと立ち上がった。


今日も檻の隅で月を見上げる。
昨夜は満月だったから、今日の月はほんの少し欠けていた。
わたしが暮らしていた村でも、こうして月を見上げていた。
空の上から両親が見守ってくれているような、そんな気がしていたからだ。
月は同じだ。太陽も、同じ。
あの村で見た時と変わらずに在る。
こんな生き地獄にも変わらずに朝日は登り、夜には月が照らす。
皮肉なものだと思った。

「よー、セリちゃん。こいつの相手してくれる女ってのは、どいつだ?」

檻に手をついてセリに話しかけるのは、彼女を毎日のように指名している男だ。
その横にいる細身の男は、初めて見る顔だった。身体の線の細さと細い目が、爬虫類を思わせる。

嫌な予感がした。

「あの女ですぅ。好きにしちゃったくださぁい」

いつもよりいっそう耳につく高い声で、セリはわたしを指差した。
なるほど、部屋でこそこそとわたしを見ながら話をしていたのはこういうことだったらしい。
細身の男の目がこちらを向いているのを感じる。
わたしは目を合わさぬよう、ひたすら俯いていた。

「じゃあ、好きにさせてもらうぜ」

セリの客と、細身の男は連れだって店へと入っていった。
ケラケラと笑いながらセリがわたしに近づいてくる。

「地味女には客がとれないかと思ったから、呼んでもらっちゃったー。相当悪趣味みたいよ、あのヘビ男。まー、せいぜい…」
「セリ、それから新人の子。ご指名だよ」

受け付けの女性が扉を開けて呼びに来た。

「楽しんでー」

先に店へと続く扉をくぐるセリを見て、わたしは唇を噛み締めた。
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