檻の中。女たちは着物の胸元を見せつけるように開けて、道行く男を誘う。

「今夜はあたしにしときなよ。旦那さん」
「あら、あたしでしょう?楽しませてあげるから、ね」

女たちが、檻から手を伸ばして声をかけている光景が視界の端にちらつくのが嫌で、わたしは檻の隅に移動していつも通り空を見上げた。

空には月。今宵は満月だ。


『人拐い』にあい、ここに連れてこられてから10日程だろうか。
早くに両親を亡くしたわたしは小さな村でひとり暮らしをしていた。
両親のいない寂しさがなかったかと言えば嘘になるけれど、村の人々がとても良くしてくれていたから孤独ではなかった。

しかしある日、平穏は突然崩された。

上陸してきた海賊たちが、人身売買を目的に村を襲ってきたのだ。
辺境にある孤島の為、海軍の目が届かず、わたしたちは成すすべもなく全てを失った。


「ねぇ、ねぇってば」

ぼんやりと月を見上げていたわたしは、いつの間にかそばに人がいることに気づかなかった。

「何でしょうか…?」

そこにいたのは、ひときわ胸をはだけさせ濃い化粧をほどこした、この檻組と呼ばれる女たちの頂点に立つ女……サツキだった。

「あんたねぇ、いつまでもそんな隅っこにいないで客とらないと!客をとれなかったら殺されるのよ。それはもうひどいやり方で」

ほら、もっと胸元開けて!と、きっちり着込んでいた着物をはだけさせられる。

「あの、ちょっと…」
「あたしたちだって、仲間が殺されるのは寝覚め良くないの。ほら、前出て!」

抗議も無視され、どんっと背中を押されしぶしぶ前に出るも、道行く男たちの視線が嫌で俯いてしまう。
すると目の前で、コツと一瞬足音が止まった。かと思いきや、すぐに遠のいた。

「ちょっと、今の人」
「えぇ、見とれちゃって声かけられなかったわ」

周りの女たちが口々に騒いでいる。
あぁ、ついていけない。
やっぱり隅に行こうと立ち上がったその時。

「そこの新人のあんた。ご指名だよ」

店へと続く扉を開けて入ってきた受け付けの女性が、わたしを顎でしゃくった。


お客様は部屋で待っているから。と言われ、教えられた部屋へ向かってゆっくりと歩く。
檻から出るときの女たちの嫉妬の視線は凄まじかった。
ただ一人、サツキだけが背中をどーんと叩いて、頑張って〜と見送ってくれた。

初めてここに来た日、一度だけ客の相手をしたけれど、話しかけられる言葉をとことん無視していたら、他の女に変えてくれと言われた。
今回もそうしてやろうと思いながら、廊下を歩く。
そこらへんの男に身体を売って生きていくくらいなら、いっそ殺される方がマシだ。

ここには誰もいない。
いつもわたしを支えてくれていた村の人々は、皆それぞれ別の場所に連れて行かれて散り散りになってしまった。
生きる理由がない。

部屋の前で立ち止まって、小さく深呼吸をする。
失礼しますと襖を開けて中に入るが、顔を上げることができずにうつむいたままでいるとそばに人が寄ってくる音がした。

「……」

自分が見つめられているのがわかる。
早く飽きてくれ、他の人にしてくれとひたすら願っていると、突然ムニッと両頬をつねられた。

「!?」

そのまま上を向かされて、頬をつねられたままの状態で目の前の人物と向き合うかたちになる。
わけが分からずまばたきを繰り返していると、シルクハットを深く被ったその彼は、フッと笑いをもらした。
反射で抗議の目を向けると、彼は小さく笑いながらようやく手を離してくれた。

「だってずっと下向いてるからさ」

そう言った彼の顔は相変わらずシルクハットに隠されてはっきりとは見えない。
けれど、ここに訪れる己の欲望しか頭にないような男達とは、雰囲気が明らかに違って見えた。

「ふっ、そんなに見られてもなぁ」

じっと見つめていたことに気がついて、慌てて視線を畳へそらすと、またクスクスと笑われた。

いったい何だというのだろう。こんな場所には、似つかわないような目の前のこの青年は。
なぜここに来たのだろう。なぜわたしを選んだのだろう。

「目の下、クマできてる」

確かにその通りだ。
その日客をとれなかった者は雑用係りとして働かされる為、ほとんど客のとれていないわたしは、毎日朝早くから炊事と洗濯をさせられている。
加えて夜は深夜まで外の檻の中。ゆっくりと身体を休める時なんてなかった。
でも、それを説明する気になんてなれなくて。
ふいっと視線を横へ向けると、彼は全く意に介していないかのようにとても自然な動作でわたしの手をとった。

「寝よう。寝不足なんだろ?」
「え?」

無視を決め込んでいたのに、あまりにも言われたことに驚いて聞き返してしまった。
その時に始めて目と目が合った。
シルクハットの下からのぞいた悪戯な笑みに、わたしの知らないところで心臓がどくりと音をたてる。

「ほら、こっち」
「えっ、あの…」

手を引かれて立たされたわたしは、布団が敷かれている隣の部屋に誘導された。
薄暗い部屋の明かりは枕元の行灯だけだ。
サツキにはだけさせられて露になった肩の辺りがひんやりと冷たくなった気がして、身を縮ませるわたしをよそに、彼は帽子とコートを脱いでいく。
スカーフを取り、真っ青なシャツのボタンを2つ外したところまで見て、わたしは俯いて身を固くした。

抱かれるのだと、思った。

「ん、おいで」

彼は先に布団に入ると、掛け布団を持ち上げてわたしを呼んだ。
覚悟を決めて、震える身体に気付かないふりをして布団の中に入ったと同時に、彼が持ち上げていた掛け布団を離したのでそれがぽふっと自分に落ちてくる。

「おやすみ」

あろうことか、彼は顔をこちらに向けたままそっと目を閉じた。
広い布団の中、わたしと彼との間には人一人分のスペースが空いたまま向かい合っている状態だ。

てっきり抱かれるのだとばかり思っていたわたしは、どうしたらいいかわからなかった。
とりあえず、彼と向かい合わせの状態を変えようと寝返りをうって、頭の簪を外す。
窓からは月明かりが差し込んでいる為、ずりずりと布団から這い出て揺らめく行灯の火を消しても、真っ暗にはならなかった。

彼はただ、眠る場所を探していただけなのだろうか。
いや、そんなはずない。少し歩けば宿はあるし、値段だってこんなところを利用するより格段に安いだろうに。
そして、どうしてわたしを指名したのか。
考えてみても、答えなど出るわけもなく。日々の疲れのせいかそのうちにうとうとしてきたわたしは、そのままそっと眠りに落ちた。
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