月命日である今日、お墓の花を差し替えたところで雨が落ち始めた。天気予報でそんなこと言っていただろうか。言っていたかもしれないし、言っていなかったかもしれない。どちらにせよ、傘は無かった。
ぽつりぽつり。地面に落ちる雨は実際そんな音は鳴らさないけれど、それでも降り出す雨を表す音といえば、ぽつりぽつり。やがて途切れることなく降り出して、墓石も花もわたしも濡れていった。
ここには母と妹が眠っている。ふたりは四年半前に亡くなった。四年半前と言えば皆、あぁなるほどと納得する。第一次近界民侵攻で家族を失った人間なんてたくさんいるから、珍しくはない。今は父と父方の祖父と祖母と暮らしている。共に暮らす家族がいるだけでも、わたしは恵まれている方だと思う。不幸に程度の差なんてないと信じてきたけれど、今ではそう思わずにはいられない。
雨が降る。アスファルトが濡れて、独特の香りが漂う。見上げた空は鉛色だ。きっとしばらく止まないだろう。濡れていく制服を思うなら、どこか軒下にでも入るべきなのだろうが、なんとなく今は雨の中を歩きたかった。トリオン体にもなりたくない。生身のままで、何にもできない無力なわたしのままで、歩きたかった。
ぱしゃりぱしゃりとローファーの先から水が散るのを見ながら進んでいたから、わたしはなかなか彼に気付かなかった。危うく彼に水を散らしてしまいそうになった時、ようやく気が付いたのだった。
「迅さん…」
彼は何も言わずに距離を縮めて、わたしへと青の傘を傾けた。ぱらぱらと傘が雨を弾く音が即座に耳に届く。
「天気予報、雨って言ってました?」
「さぁ、どうだったかな」
迅さんを見上げて聞くと、彼は明後日の方を向いて考える素振りをした。
「視えてました?」
「さぁ、どうだろうな」
「視えてましたよね」
「いや、俺の勘…かもよ?」
今度はわたしの方を向いて、迅さんはゆったりと口角を上げてそう言った。あながち、嘘ではないのかもしれない。この人は勘も鋭そうだから。
「ほら、もっとこっち。進学校の制服が濡れるぞ」
もう充分雨に濡れているから今さらいいのに、迅さんはわたしの手を引いた。すっぽりと青の傘の中に収まって、わたしは迅さんを見上げた。その瞳は優しい。
「さー、帰るぞ。実力派エリートは仕事が山ほどあるからな」
「…忙しいのに来てくれたんですか」
「そーそー。ナマエちゃんがひとりで泣かないようにね」
歩き出しながら、なんだやっぱり視えてたんじゃないですか、と言いかけてやめた。嬉しかったからだ。迅さんが来てくれていなければ、きっとわたしは雨に打たれながら泣いていた。
泣き虫なわけじゃない。ただ、不意に、泣いてしまいたくなる時がある。父親も祖父も祖母も、友達も、チームメイトも側にいなくて、涙を誤魔化してくれるような雨が降る、こんな時に。
けれど迅さんは、そうさせてくれなかった。わたしは泣くこともなく、制服をこれ以上濡らすこともなく傘に包まれている。こんなことをされたら、次から期待して待ってしまいそうだ。勝手に期待なんてして、もし来てもらえなかったらそれこそ、わたしは涙を流すだろう。だから今日のことは、そっと心に仕舞っておくことにしようと思った。
「次は、」
「え?…あ、はい。何ですか」
そんなことを思っていたから、迅さんからの"次"という言葉に顔を上げて彼を見てしまった。迅さんが前を向いたままなのに気付いて、わたしも前を向いて尋ねる。
「ナマエちゃんが雨に打たれる前に迎えに来るよ」
あぁ、"次"はちゃんとあるみたいだ。
「風邪引いたらいけないからな」
傘を持ってない方の手が、こちらへ伸びてくる。迅さんはわたしの湿った毛先を指で遊ばせながら、柔らかくそう言った。わたしはそうですねとか、ありがとうございますとか、言いたかったけれど言えなかった。なんだか泣きそうだったから。
四年半前のあの日から、どんなに悲しくても人前で泣いたことはなかった。弱い自分で在りたくなかった。誰かに心配をかけたくなかった。
けれどこの人の側でなら、わたしは素直に涙を流せるのかもしれない。
弱き星が雨に撃たれるまえに
title by まばたき
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