text | ナノ




好きになってくださいね

気分が悪くなりました。
そう言い訳をして教室を出る。
気分が悪くなったなんて嘘でほんとはぴんぴんしているのだけれど。
まあサボりは学生の醍醐味だよね。なんて自分に言い訳をしながら足取り軽く階段を駆け降りる。トウヤが授業をさぼるのはこれで3回目だ。それは保健室で過ごした時間を示してもいる。トウヤは特に真面目という訳ではないが不真面目な生徒でもない。授業がつまらなくてもまあ一応聞いておこう、くらいの気概はある。ではなぜ授業をボイコットしてしまうようになったのか。

きっかけは2か月前、本当に体調を崩して保健室に行ったことだった。
朝から何となく不調を感じていたものの熱があるわけではない。定期テストも近かったし休むと成績に響くと判断して学校に向かったはいいものの授業中に急激に熱が上がりだしたのだ。くらくらする頭で教師に体調不良を告げ、心配してついてこようとする幼馴染たちを制してノートを頼み、一人で保健室に向かった。
そしてトウヤはそこで彼に出会ったのだ。
誰よりも純粋な心を持つ緑の髪の先輩に。


***


がらりと引き戸式のドアを開ける。
失礼しまーすと一声かけて部屋に入ると独特の薬品のにおいが鼻にまとわりつく。
ぐるりと部屋を見渡して養護教諭がいないことを確認するとトウヤはカーテンのひかれている一番奥のベッドに向かった。カーテンの端をつまみあげるようにしてそっと中に入るとそこには目当ての人物、Nがいた。

「…トウヤくん?」
「はい。…こんにちは、先輩」

どうしたの?気分が悪くなったの?という問いを適当にあしらい、ベッド脇の椅子に腰かける。ベッドサイドにはトウヤには理解できないような小難しい数学の本が置いてある。

「先輩、また本読んでたでしょう。ダメじゃないですか、体調悪いのに」
「あはは…いいじゃない、ちょっとだけだし…先生も用事で出て行っちゃったし暇だったんだ」

この本は有名な数学者が書いたもので…と生き生きと説明を始めるNを見て、トウヤは内心ため息をつく。どうして俺はこの人を好きになってしまったんだろう。


***


トウヤが体調を崩して初めて保健室に向かった日。
ぐるぐるまわる視界に苦労しながらたどり着いた保健室に養護教諭の姿は見えなかった。不思議に思ってドアノブをよく見てみると「急用で席を外します」というプレートがかかっていてトウヤは絶望した。

(薬、どれ飲めばいいかわかんねぇ…)

とりあえずベッドに横になろうとふらふらと歩を進めると、ちょうど一番奥のベッドのカーテンがシャッと音を立てて開いた。

「誰…先生なら今いないよ?」

出てきた人物には見覚えがあった。そんなに噂に敏感な方ではないトウヤでさえも知っているくらいの有名人、一学年上のNがそこに立っていた。理科の解剖実験でカエルがかわいそうだと大泣きしたとか、飼育小屋のウサギをめぐって教師と派手にやりあったとか、休み時間には鳥に語りかけているとかとにかく電波な噂の多い人だった。新興宗教の教祖をやっているという噂まである。正直それは疑わしいと思っていたがあまりかかわりあいになりたいタイプではない。君子危うきに近寄らずがトウヤのモットーである。ヤバい人に会ってしまったというのがこの時のトウヤの心情だった。
そんなトウヤの心なんてわからないNは心配そうに話しかけてくる。

「ねえ君大丈夫?だいぶ顔色が悪いけど」
「はあ…まあ…とりあえず寝たいんでいいですか…」
「あっ…そ、そうだね、ごめんね、気付けなくて…」

申し訳なさそうな顔をするNを無視してベッドにもぐりこむ。
とにかく頭が痛い。視界も安定しないし人と話している余裕なんてない。よくわからない人ならなおさら関わりあいになりたくない。もう話しかけるなという意味を込めて頭まですっぽりと毛布にもぐりこむ。
しかしNはそれをくみとってはくれなかった。心配そうにベッドの周りをうろうろしているのが気配でわかる。

「あ、あの、熱とか測った方がいいんじゃないかな…君、だいぶ体調悪そうだし…」
「いえ、大丈夫です。寝てれば治ります」
「でも熱があるってわかったら薬も飲めるし…」
「どの薬飲めばいいかわからないんで意味ないです」
「あっ…じゃあおでこ冷やすだけでも…」
「〜っ!いいって言ってるでしょう!!人の話が理解できないんですか!!」

しつこいNに堪忍袋の緒が切れたトウヤは毛布をはねのけて怒鳴った。
怒鳴られたNはと言えばはじめはぽかんと間の抜けた顔をしていたが、どうやらトウヤを怒らせたことに気づいたらしく、申し訳なさそうな表情を浮かべておろおろしだした。

「あ、あの…ごめんね。迷惑だったよね…」
「ええ。とにかく寝たいんで黙っててもらえますか」
「そうだよね…ごめん…でも僕はあっちで寝てるから何かあったら声かけてね…」

そう言い残してNはうなだれながらベッドへと戻って行った。
あまりの落ち込みっぷりに少々申し訳ない気もしたがこちらの状態を気にしなかった彼も悪いと自分に言い聞かせてもう一度ベッドに戻る。しかし何となく先ほどの落ち込んだ表情が心に引っかかってしまって寝ることができない。寝ようと努力すればするほど何故か目が冴えてきてしまう。しかも相変わらず体調はすこぶる悪い。最悪の状態にトウヤはため息をつき、ベッドから起き上がった。
そしてそのままNのいるベッドへと足を向け、カーテンを開ける。いきなりやってきたトウヤにびっくりしながらNはどうしたの?と声をかける。その目元は少し赤くなっていて、泣かせてしまったかと罪悪感が湧いてくる。

「ねえ、あんた体温計の場所知ってます?」
「へ?」
「体温計。俺、保健室初めてだから知らないんです。やっぱり測っておこうかと思って」
「う、うん。知ってるよ」
「あと冷えピタも。やっぱりほしい」
「それも知ってる!」

取ってくるね、君は寝てて、と言ってNはベッドから降りた。その言葉にトウヤは自分が元いたベッドに戻る。上履きを脱いで横になると丁度Nが体温計と冷えピタを抱えてやってきた。

「はいこれ、体温計。こっちは僕が貼っちゃってもいいかな?」
「あー…オネガイシマス」

いそいそとフィルムをはがして真剣な顔で冷えピタを貼る。
何故か楽しそうなNを不思議に思いながらも、まあいいかと好き勝手にさせておく。
熱は38度5分。どおりで苦しいわけだ。

「やっぱり熱高いね。先生が来たら薬をもらおう。早退した方がいいだろうね」
「そうですね…」

だんだん眠くなってきたトウヤは心配そうなNに投げやりに返す。心配事がなくなったせいかひどく眠い。ああでも一応お礼を言わなくては。

「…あの…ありがとうございます…」

それを聞いたNは一瞬だけきょとんとして、そして花がほころぶように笑った。
その顔を見て、トウヤは一瞬で恋に落ちた。



***


「それでね、個々の公式が…っ!ゲホッ!」
「先輩!大丈夫ですか?」

Nとの出会いを思い返していたが急に現実に引き戻される。けほけほと咳き込むNの背中を少しでも楽になるようにとやさしくさする。
あの後一つ上の姉、トウコにNが病弱であることを聞き出したトウヤはNに会うために保健室に向かうようになった。授業をさぼって保健室に向かい、Nと話していてわかったことは、噂ほどではないがやはり電波だということ。数学が大好きであるということ。そして、誰よりも純粋な心を持っているということだった。
動物の言葉がわかるというのは正直まだ疑わしいと思っている。本人はわかると言い張っているがにわかには信じがたい。けれどNが動物を大切に思っていることはわかった。やさしいのだ、Nは。

「ほら、無理しないで寝てください。悪化したらどうするんですか」
「ごめんね。トウヤくんが来てくれたのが嬉しくて、つい…」

ちょっと苦しそうにしながらも微笑むNを見てトウヤの胸は高鳴る。

(ヤバい、何でこの人はこんなに可愛いんだ。電波で俺よりも背が高い男なのに…)

「トウヤくん?」

Nに顔をのぞきこまれて、我に帰る。赤くなった顔を見られたくなくてそっぽを向く。

「いいから、とにかく寝てください!まだここにいますから!」
「え、でも、授業…」

ジロリとにらまれて黙りこむ。年下なのに、なんだかトウヤには迫力がある。僕の方がお兄さんなんだけどなぁ、と釈然としない気持ちを抱えて横たわった状態のままトウヤの方を見ると目があった。

「どうしました?」
「え、いや、あの…やっぱ何でもない」
「何でもなくはないでしょう。言いたいこと我慢してる時の顔してます」
「え…わかるの…?」
「わかりますよ、せ、先輩のこと見てますから」

何故かトウヤの顔が赤い。だが、トウヤくんまた熱?と聞くと盛大にため息をつかれた上に「あーそうですね先輩ってほんと行間を読むのができない人ですね」と言われてしまった。何言っているんだろう、行間はは何も書かれていないから行間なんじゃないか。

「あーもーとにかく言いたいことは何なんですか。気になって仕方がないでしょうが」
「あの…えっと…まだここにいるなら手を…つないでほしいかなって…ごめんね、迷惑だったら全然構わないから…」

そう言って下を向いてしまったNにトウヤは眉を寄せる。この人はほんとにもう…

「手、貸してください」
「トウヤくん…?」
「繋いでほしいんでしょう。ほら。次の授業まで、ですけど」
「う、うん!ありがとう!」

トウヤが手を差し出すと、Nは嬉しそうに握ってきた。おやすみなさい、と一言だけ言ってすぐに眠りにつく。どうやら相当眠かったようだ。

「…期待して、いいのかな……」

子どものように純粋なN。きっとこの行為にも意味なんてなくて、ただ人恋しかっただけなんだろう。でも、それでも、ちょっとくらい期待したっていいじゃないか。少なくとも、好かれていることは確かなはずなのだから。

授業を終えるチャイムが響く。すぐに行かないと次の授業に間に合わない。
けれどトウヤはそのまま幸せそうに眠るNの顔を見続けることにした。
生真面目な幼馴染に怒られる気はしたけれど、Nの側を離れたくなかった。

「いつか…俺のこと、好きになってくださいね、先輩」


ぽつりともらしたつぶやきは誰にも拾われることなく静寂に溶けていった。


END






「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -