誤解と涙と本当の気持ち
Nの行方を探してカントーに渡ってきたトウヤはアララギ博士に紹介され、オーキド研究所でお世話になっていた。とはいっても研究所に住み込んでいるわけではなく、博士の家族が住んでいる家、つまりマサラタウンにあるグリーンとナナミの家に住まわせてもらっていた。初めはぎこちなかったものの、今はだいぶ3人での暮らしにも慣れた。特にジムリーダーをやっているグリーンとはポケモンバトルをしたり、ジムが休みの日にカントーを案内してもらったりととても仲良くしている。Nの行方を探すと行ってもカントーは広い。自分だけでは気付かなかったような場所も彼は案内してくれて、とても助かっていた。
その日、トウヤは珍しく出かけることなく自室にこもっていた。イッシュのポケモンを観察したいという博士のために、ポケモンをすべて研究所に預けてきたからだ。机の前でカントーの地図を広げ、眺めていると、ノックもなしにドアが開き、グリーンが姿を現した。
普段は必ずノックするのにと不思議に思いながら立ち上がり、ドアの方へ足を向ける。
「グリーンさん。どうかし…っ?!」
いきなり突き飛ばされてバランスを崩してベッドになだれ込む。起き上がろうとしたもののマウントポジションをとられ、両腕を拘束されたことでそれも叶わなくなってしまった。
そしてそのまま唇を奪われる。むさぼるようなキス。ぬるりと侵入してきた舌に口腔内を蹂躙されながらもトウヤの思考は冷めていた。
必死に舌を絡めてくるグリーンを薄目を開けて観察する。いつもの彼の姿からは想像もつかない。自分の知る彼はいつだって自信満々で、こちらを翻弄するような言動をしているのに、今の彼はまるで欲しいものを無理やりにでも奪おうとする子供みたいだった。
二人の唾液が混ざりあう。飲みこむことのできなかったそれが顎を伝って流れて行く感覚が気持ち悪い。トウヤの口内をむさぼりつくして、グリーンは顔を上げた。その目にうっすらと涙がたまっているのを見つけて動揺する。彼の涙を見たのははじめてだった。
「グリーンさん、一体何があったんですか」
じっと彼の瞳を見つめて問いただす。努めて冷静に。彼は今きっとどうにかなってしまっているのだからせめて自分が落ち着かなくては。
しかし、トウヤの問いかけにグリーンは答えず、服を脱がしにかかってきた。ズボンのボタンを外されたところで慌ててグリーンの手を抑える。そのまま無言の攻防が続く。
彼のことは嫌いではない、むしろ好きだ。もちろん、恋愛感情で。しかしそれとこれとは別である。たらしだ何だと双子の姉や幼なじみのメガネから常々言われているトウヤであるがお付き合いしていない人物と性的な関係を築く趣味はない。そのあたり、トウヤは潔癖だった。
一進一退の攻防が続く中、トウヤは全身をひねってグリーンの手を押さえたまま横に転がった。つられてグリーンも転がり、形勢は逆転。グリーンがトウヤに押し倒される体勢となった。悔しそうに睨みつけてくるグリーンの視線をさらりと受け流し、トウヤは再びグリーンに声をかける。
「ちょっとグリーンさん……流石にこれは冗談じゃ済みませんよ。あなた何がしたいんですか」
「……いいじゃねーか、ちょっとだけ体貸せよ」
「あんたね……何があったか知らないけどもう少し自分を大事にしたらどうです」
心底疲れたような溜息をつくトウヤにグリーンは顔をそむける。しかし、現在彼の上にいるトウヤにはその表情は全て見えてしまっていた。
捨てられた子犬のような傷ついた顔。
これではまるで自分が悪いみたいではないか。襲われたのはこっちで被害者は自分のはずなのに。
何と言葉をかけていいかわからず、そのままの体勢で時が流れる。一体どうするべきなんだろうか。
グリーンはトウヤの方を見ない。首をひねって顔をそむけたままだ。それを見下ろしながら首が痛くなりそうだな、とぼんやり考えた。
先に沈黙を破ったのはグリーンの方だった。
「……も、いいから……もうしねえからさ、離してくれねえか」
弱弱しく吐き出された言葉に従って、彼の腕を抑えつけていた手を外す。強く握り過ぎていたようであざになってしまっていた。それを見て申し訳なさでいっぱいになる。
グリーンはゆっくり起き上がると乱れてしまったジャケットを着直し、ベッドから立ち上がった。そのままトウヤに背を向ける。
「…………ごめん」
「――っ、待っ……!!」
がちゃん
それだけ言い残し、彼はトウヤの部屋から出て行った。廊下を歩く音と扉が開閉する音が聞こえたのでおそらく自室にこもることにしたのだろう。
張り詰めていた部屋の空気が弛緩し、トウヤは大きく息を吸い込んだ。
本当に何があったのだろう。
付き合いが長い方ではないけれどあれは絶対に変だった。
思いつめたような力任せの行動。
傷ついた瞳。
何より、最後に言葉を発した時、彼が泣いているように思えたのだ。
「ああもう!気になるじゃないですか!」
何が彼を悲しませているのか、あんな行動に駆り立てたのかわからない。けれど、たぶん、自分に何かしらの原因があるんだと思う。だってそうじゃなきゃ自分の部屋に来たりしない。
自室から出て彼の部屋に向かい、ノックなしにドアを開け放つ。先ほどやられたのだからお互い様だ。
グリーンは布団にもぐっているようで、ベッドの上が不自然に盛り上がっていた。小刻みに揺れていることから泣いているのがわかる。トウヤはベッドに近づき、勢いよく布団をめくり上げた。
「なっ、何すんだよっ!」
「布団を剥いだだけですが」
「そんなこと聞いてるんじゃねえ!何でっ……何でほっといてくれねえんだよっ……」
案の定、グリーンは泣いていた。緑がかった茶色の瞳から透明な涙が流れ落ちて行く。その様を見て、不謹慎ながら美しいと感じた。布団をはぎ取られ、隠すものを失ったグリーンはベッドの上でまるくなる。泣き顔を見られたくないようだった。しかし、ここでひいてしまってはわざわざ部屋まで来た意味がない。トウヤはグリーンのベッドに腰を下ろす。「出てけ」と弱弱しく言われたがそれを聞くつもりは全くなかった。
「グリーンさん、どうしてあんなことしたんですか」
「……うるせえ……もういいだろ……未遂だったんだし……」
「よくないですよ。あんな行動あなたらしくない。何があったのか俺には聞く権利があるはずです」
「…………」
そのままじっと待つが、グリーンが口を開く気配はない。まるくなったまま泣き続けている。電気もついていない、暗い部屋にすすり泣きだけが響き渡る。
泣き続けるグリーンが愛しくて、トウヤはそっと抱きしめた。感情が高ぶっているせいかとても熱い。息遣いが直に伝わってくる感覚で、彼が生きていることを鮮明に感じた。
「好きですよ、グリーンさん」
ぽろりと口からこぼれ出た言葉を聞いてとたんに彼の体がこわばる。
トウヤを撥ね退け「嘘だ!」と叫んだ。
混乱するトウヤを尻目にグリーンはなおも叫ぶ。
「嘘つくな!お前はあの、Nってやつのことが好きなんだろ!俺のことなんて何とも思ってないくせに!憐れみなんていらない、同情でそんなこと言われるくらいならいっそつきはなせよ!お前なんて大嫌いだ!」
わあわあと一気にまくしたて、部屋から飛び出そうとするグリーンを何とかとどめながらトウヤは思考回路をフル回転させる。
誰が誰を好き?
俺がNを?
何でそういうことになったのだ。
頭の中を疑問でいっぱいにしながらグリーンを落ち着かせ何とか向き合って話をする体勢に持っていく。叫び疲れたのかグリーンは小さく鼻をすすりあげるだけで、もう泣いていなかった。
「で、どうしてそういうことになったんです。俺がNを好きなんて……」
「だって……わざわざイッシュからここまで探しに来てるし……こっち来てから今まで一日も欠かさず探してただろ。だからそうなんだと……」
「ああ……なるほど……」
確かに一般的にはそう思われてもしかたないだろう。確かに、自分ももしカントーから出会えるかどうかもわからない他人を探してイッシュにやってきた人を見たらそう思うだろう。そんなことも考えず、Nとの関係をあまり話さなかった自分にも非がある。
「でも俺、別にNのこと恋愛感情で好きなわけじゃないんですよね。確かに好き嫌いなら好きなんですけど……何というか、家出してしまったできの悪い弟を探してるような感じなんです」
「は……弟……?」
「ええまあ。向こうの方が年上なんですけどすごく世間知らずなやつで。ほっとくと何するかわからないって言うか……身内が恥晒す前に何とかしなきゃ、みたいな感じです」
「ああ、そういう……うん、何となくわかるぜ……俺の幼なじみもそんな感じだからさ……くっそ、何か俺一人で空回ってバカみてえじゃねーか」
そう言って恥ずかしそうに顔を隠すグリーンを見て、ようやく本来の調子が戻ってきたとトウヤは安堵する。とりあえず誤解は解けた。そして、これからどうするのかだ。
「で、グリーンさん。俺がNのこと好きだと思ってあーんな行動に出ちゃったんですよね」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるトウヤに「げっ」とうめくグリーン。「あー」とか「うー」とか意味のない声を発しつつ頭を抱える姿に自然と笑みが浮かぶ。
「ね、言ってくださいよグリーンさん。俺はちゃんと言いましたよ」
「あ、んなの……カウントに入んねーよ!言うならお前から言え!」
そう言ってそっぽを向く彼の耳が真っ赤で、トウヤは嬉しくなった。
そして意地っ張りな彼のために自分が折れてあげることにする。
「愛してます、グリーンさん。俺とお付き合いしてください」
最高の笑顔と共に向けられた言葉に、グリーンは気恥ずかしそうに返事をした。
END
toあっちゃん(Himeut?)
お誕生日おめでとう!!