一万打リクエストstory | ナノ

Request novel

恋に疎い君は俺の




 俺はたまに考える。痛い妄想だと笑われるかもしれないが、もしあの人と俺が入れ替わったら――少しは俺を意識してくれるのかな、とか。
 けどそんなことは有り得ないことだ。天変地異が起こったとしても限りなく不可能なこと。

 彼女の名前は知らない。毎日電車で見かける彼女はいつも小説を真剣な眼差しで読んでいる。前に一度俺が落とした学生証を彼女が拾ってくれたことがある。御礼を言えば「いいえ、渡せて良かったです」と微笑んだ彼女が忘れられなくてそれから俺は毎朝の電車の車内で彼女の姿を探してしまう。

 あ、今日もいた。
 声を掛ければいいのだが、本を読む彼女を邪魔しちゃ悪いし、中断させてしまえばナンパだと思われ迷惑で怪訝な顔をされるのがオチだ。それに彼女が俺のことを覚えているかも分からない。



 ある日高校の同級生の呑み仲間と呑みに行ったときのこと。どうにも行動出来ないその苛立ちを酒にぶつけた為にどう家に帰ったのかも記憶が曖昧になる日があった。

 カーテンから漏れた朝日の眩しさで目を覚ました。
 目を開けると見慣れぬ天井が見える。どこだここは…… と、寝たままで顔だけを動かし辺りの様子を見回すが、全く見覚えがない。酒のせいで重くなった身体を起き上がらせる。しかし身体に二日酔いとは別の違和感があるように感じた俺は何気なく下を見下ろすと、あるはずのない胸の辺りが膨らんでいるではないか。

「はぁ? どーゆーことだよ」

 そして自分で発した声に驚愕し喉元を押さえた。まさか! とベッドを飛び降り洗面所を探す。トイレの横の扉がそれだった。
 鏡の前で俺は目を疑った。鏡に映る自身の姿が、想いを寄せるあの人の姿だったからだ。

「ありえねぇー! 何だこれ、どーなってんだ!?」

 乱暴な言葉とは反対に彼女の可愛らしい声が自身から出ていることにたじろいた。彼女はそんな野蛮な言葉を発したりしないだろう。

 取り敢えず、俺を捜しに行かなければ。きっと中身は彼女だろう。
 ただ、困ったことにこの家の所在地が分からない。彼女に会う為には自宅に行くのが一番会える確率が高い。この時代で助かった。今は便利なスマートフォンがあるではないか。
 しかし善く善く考えてみると、それは自身の物ではなく彼女の物だと気づく。

「パスワード、わかんねぇ……」

 のっけから躓いた。間違え続けると使用出来なくなるのはどこの機種でも一緒だろう。

「埒があかねぇ!」

 俺は携帯操作を諦めて鞄に入れて、クローゼットを探して無難な服を選び着替えた。勿論身体は見ないように目を瞑って。そのせいで余計な時間が掛かって家を出たのは朝の八時半だった。

 道を歩く人々に訊きながら駅に到着。彼女の鞄を持って来ていたので後で絶対返しますから、と財布から電車賃を借りる。
 俺の自宅の最寄り駅まで二駅。かなり近い場所に彼女は住んで居たんだと分かった。

 自宅の玄関扉の前で一つ深呼吸をする。
 彼女は居るだろうか? 居たらなんて説明をしたらいいんだ。
 ごちゃごちゃ考える頭を一旦リセットして、覚悟を決めてインターフォンを鳴らす。自分の家に帰るのに未だかつてこんなに緊張したことがあるだろうか? 否、ないな。なんて一人でごちて彼女が応答するのを待った。十秒くらいしてインターフォンから機械特有の音が聞こえ続いて聞き慣れた声が聞こえた。

「……はい。どちら様ですか?」

 彼女は伺うような声色で発する。その声は紛れもなく俺のものだ。

「あ、すみません。俺――」

 そこまで言って突然玄関扉が開いた。

「あの、入ってっていうのも可笑しいけど、どうぞ……」
「はい。じゃあ――お邪魔します? でいいのかな。この場合」

 リビングに招かれ先ずはお互いの自己紹介をした。彼女は御村と言うらしく大手の会社の受付をしていると言った。

「あの、俺のこと覚えてないかもですけど一度だけ喋ったことあるんです」
「覚えてますよ。御幸一也さんでしょ?」
「お、覚えてたんですか? あんな一瞬のこと」
「はい。よく朝の電車でも一緒でしたよね?」

 まさか彼女が覚えてくれているなんて思わなかった。さらに電車でも一緒なのだということを知ってくれていたなんて。

「それで、この不可解な現象についてなんですけど……」
「はい」
「なんか心当たりとかあります?」
「いえ、特には……」
「ですよねー……」
「……」
「……」

 気まずい沈黙が続き、それに耐えきれなくなった俺は昨夜何か変わったことはなかったかと訊いた。
 お互い昨夜の動向を話し合いそして分かったことがある。俺たちは昨日記憶がなくなるまで呑んだってことだ。

「で、朝起きたらこうなっていた、と」
「そうです。……もう訳がわからなくてパニックで。ここがどこかも分からないし外に出るのも怖くて……」

 突然名前を知る程度のしかも異性になったのだから、気が動転するのも頷ける。

「とにかくなってしまったものは仕方ありません。戻るまでは協力してお互いを演じることしか今は出来ないと思うんです。御村さん、お願いできますか?」

 俺の答えに彼女は力なく頷いた。

「じゃあお互いのことをもっと事細かくメモ取りましょうか」
「はい」

 そんな経緯で俺たちはお互いを演じるという奇妙な関係が出来たのだった。

 それからというもの、すべての勝手が違い何をするにも戸惑いそして女性というものに尊敬すら覚えた。まずは『化粧』。もちろん彼女は化粧っ気がなくても可愛い。
 しかし大手企業の受付嬢なのだからさすがに素っぴんでは示しがつかない。かといって俺が見様見真似で出来る技術も持ち合わせていない。だから彼女にも協力してもらい朝早めに彼女の家(今は俺が住む家)に来てもらい、身支度を整えてもらっていた。慣れているだけあって身支度は三十分あれば全身、俺が知る彼女の身なりになった。

「すみません、いつも……」
「ううん。私のことだし、私もして貰ってるし」
「そんな俺なんて髪の毛するくらいで何もしてませんよ」
「それがむずかしいんだよ」

 こんな複雑な化粧を施し、髪の毛もセット出来る彼女にとっても慣れないことは難しいらしい。

 そしてもう一つ、問題は風呂や着替えだった。これも彼女の希望で風呂だけはどうしても恥ずかしいと毎日俺は目隠しをして子供のように隅々まで彼女に任せた。それ以外はやはりいち男だ。女性の裸、しかも意中の相手のものなら尚更見たいという欲望と彼女を裏切れないという理性と葛藤しながら、毎回嫌われたくないと理性で踏みとどまっていた。

 彼女の方も男となればまた違う所作や行動を余儀なくされ、言いにくそうに「こんなこと訊くの恥ずかしいんだけど」と顔を赤らめながら俺に訊いて来たことがあった。

 俺しか知らない情報をこちらも言葉を選びながら彼女に引き渡し、お互いになんの辱めだ、と二人して顔を真っ赤にさせて盛大に溜息をついて照れ笑いし合ったり。状況は決して良いものではなかったが、それはそれで彼女と過ごす時間を楽しんだ。



 あれからもう二週間だというのに、未だに解決策の糸口も見つからずお互いの日常を連絡し合うと関係も変わらず日々がただ過ぎていった。

 俺は彼女を知る度に彼女に惹かれていった。
 例えば、会社での彼女はふわふわ可愛らしい見た目とは裏腹にテキパキと仕事が早く誰からも信用されているということ。俺と入れ替わって初日は勝手が分からず混乱していると、誰からともなく助けが入り体調の心配をされる程にだ。

 彼女の人柄が人を惹きつけるのだろうか、毎日男女問わず誰かしらに食事に誘われるのだ。確かに彼女となら呑みに行きたいと思う。
 あの日、入れ替わったその日に初めて話した時も、真剣に相手の目を見て聞いて相槌を打つ彼女の表情や仕草が。心地良いのだ。

「――じゃあ行きましょうか」
「うん」

 そんな彼女との距離は近くもなく遠くもなく、食事に行ったり呑みに行ったり彼女からすれば俺は友達なのだろうか。
 その日も駅前で待ち合わせ食事の約束をしていた。目的地は俺の自宅の最寄駅から数分の小洒落た居酒屋だ。

「それでそっちはどんな感じですか? 変わったこととかないですか?」
「こっちは全然。御幸くんのお友達は皆いい人達だね」
「そうですか? ただの腐れ縁ですよ」

 照れくささで酒を一気に煽る。喉の奥が熱くてアルコールが身体に染み込んでいく。
 そうするうちにお互いが良い具合に酔いが回り気が大きくなった俺は彼女に好きな人はいるのか訊いた。彼女は笑顔を浮かべ

「ふふふ、内緒」

 と人差し指を口に当てる。見た目が俺なのが残念極まりない。

「なんすかそれ! 教えて下さいよ」
「そういう御幸君は? 好きな人いないの?」
「いるのはいるんですけど、その人俺のことどう思ってるのか読めなくて」
「御幸君でも手を焼く相手ってどんな人なのかな? 想像もつかない」

 へらへら笑って言う彼女に真実を伝えたらどんな顔をするのか。酔いもあって俺はそんな好奇心に駆られてしまった。

「俺の好きな人って、御村さんなんです」

 その一言で料理に箸を伸ばしている彼女の手が止まる。

「え!? 本当に?」
「はい。何なら入れ替わるもっとずっと前から気になってたんですよ」
「そうなの……?」

 困惑した彼女は箸を置いて一拍の間をあけて

「ごめん。私、御幸君のことそんな風に思ったことなくて……。――ごめんなさい」

 律儀にお辞儀で拒否を示した彼女との時間はその後気まずいままで別れることになった。

 そして次の朝目が覚めると俺は元の姿に戻っていて、これで彼女との縁は全て切れてしまった、と思った。いや、もしかしたらあの入れ替わり自体が夢で、彼女との接点など初めからなかったのかもしれない。痛い妄想か、と自嘲する。俺の恋は呆気なく終わってしまった。

 それからも日常は変わりなく過ぎて行き、俺は彼女に遭わないように通学時間もずらした。

 元に戻ってから一ヶ月。その日俺は大学のレポートを仕上げるため帰宅が夜遅くなってしまった。いつもと変わりなく自宅のある駅で降り改札に定期を翳し出て、疲れで溜息を零しつつ駅を離れようと歩き出した時

「御幸君!」

 声が掛かった。振り向くと気まずいまま別れた彼女が歩きにくそうなヒールで必死に走ってくる。

「御村さん? どうしたんですか……?」

 俺の目の前で止まってしっかりと目を合わして言う。

「良かった、逢えて。どうしても言わなきゃいけないことがあって……」

 なんだ? 改めてまた振られるのか?

「私、あれからずっと貴方のことが頭から離れなくて……。御幸君、最近電車の時間もずらしてたでしょ? メールでも送れば良かったんだけど、どうしても会って言いたくて」
「なんですか改まって」
「……うん……」

 言い淀む彼女はひとつ深呼吸する。

「私、御幸君のこと好きになってたみたいなの……」

 冗談だろ? 今更何言ってんだこの人は。からかってんのかよ。
 
「そういう冗談はきついですって――」
「冗談じゃないよ! ……今更何言ったんだって思われても仕方ないと思う。けど、離れて気づいたの。あの二週間、最初は戸惑ったけれどすごく楽しかったの。自分でも気づかない内に御幸君に逢えるのが嬉しかったみたい」
「本当今更ですよ、そんなこと言われたって」
「うん、だからこれから振り向かせてみせるから、覚悟しててって。今日はそれを言いに来たの」

 そう言った彼女は綺麗な顔で笑う。
 そんなの覚悟しなくても俺の気持ちは――もう君に落ちてるんだ。


Fin.





back | top









第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -