Hanami series | ナノ

Hanami Series

花より君が (上)




 彼がアメリカに渡米して早一年。出会った頃はもう野球人生が完成されていて、プロ五年目にして驚異の成績を収めた彼を、世の球団は放って置かず我先にと契約を持ちかけて来たのだと彼が教えてくれた。
 その中でも彼の幼い頃からの夢、メジャーリーグでの活躍。それを叶えるべく彼はアメリカへと飛び立った。
 球団は誰もが知る有名所で、野球に全く興味のない我が妹でも認知していた程のチーム。それがどんなに凄いことなのか。彼は当たり前のように言うけれど。私には計り知れない苦労もあるのだろう。
 
 *

 彼との始まりは三年前。出逢いはある居酒屋で呑み会という名の合コンに駆り出された時のこと。
 友人の敦子に有無を言わさず連れられたのがきっかけ。
 そういう類が苦手な私はそれ迄幾度と誘いを断っていた。彼氏も一年近くいない。そんな私を心配しての行動だったようで、取り立てて責めることも出来ずただ暇を持て余していた。

 周りを見れば共通の話題があるのか愉快そうに皆笑顔だ。
 私はと言えば、一人酒を煽り人間観察に勤しんでいた。苦手意識が表情や態度に出ていたのだろう。私に話し掛けて来る人はいなかった。

 テーブルに置いていた携帯が震えた。画面を見れば元彼からの着信だった。

「電話鳴ってるよ? 出ないの?」

 それまで無関心だった相手の男の一人が、こんな時ばかりは目敏く気づく。

「すみません。ちょっと出てきます」

 本当は無視するつもりだった。けれど出ないの? なんて言われて放って置くほど薄情者だと思われたくもない。

 上着と未だ鳴り続ける携帯を手に表に出た所で通話ボタンを押して着信に応える。

「……もしもし」
「あ、詩? 今何してんの? 暇なら遊ぼうよ」
「遊ぼうよって、――貴方とはもう一年も前に終わったじゃない。今更電話なんてして来ないでよ」
「釣れないこと言うなよ。どうせまだ俺の事好きで彼氏も出来てないんだろう?」

 身勝手な物言いに怒りで胸がムカムカする。付き合っていた時からこの男はこうだった。思い込みが激しく独りよがり、自己中心的物の考え方で私は何度泣かされたか数え切れない。それでも情が湧くのが人間で、なかなか別れれずにいた。しかし相手の浮気で正気に戻った私は「もう連絡して来ないで」と冷たくあしらったのに、懲りもせずこうして連絡を取りたがる。

「貴方のことなんてもう好きでも何でもない。こういう電話も迷惑以外ない。浮気をしたのは貴方の方でしょう。もう今後一切掛けて来ないで」

 言うだけ言い放って通話終了のボタンを押した。瞬間また着信が鳴る。
 震え続ける携帯を見つめ溜息と共に涙が頬を伝う。

「ねぇ、大丈夫?」

 人通りがまばらな店前の道に背を向け指で涙を拭っていると背後からの声。振り向けば目の行く白い頭にキャップを被った男性。

「大丈夫です。お気になさらないで下さい」

 初対面の人に涙を見られるなんて、羞恥心以外ない。その人も早く通り過ぎればいいのにそこにいて、「あったあった。これどうぞ」と差し出されたのは無料で貰えるポケットティッシュ。

「あ、ありがとうございます」

 生憎鞄は店の中だ。好意は素直に受け取った。まだ新品のそれを切り取り線に沿って開き、中身を一枚。

「何かあった?」
「ちょっとコンタクトがずれちゃっただけですよ」
「嘘だ。その鳴り続けてる電話と関係あるんじゃないの?」

 ディスプレイが上だから着信画面が丸見えだった。やり取りの最中もずっと手の中で震えていた。

「ちょっと貸して」
「え、ちょっと何を――」

 するんですか、言い終わるうちに彼は通話ボタンを押して耳に押しあてた。

「もしもし、どちらさん?」

 もちろん相手の声は聴けず彼の返答で会話を察する。暫く話していた彼が突拍子もないことを言いのけた。

「彼女優しいから電話無視できないんだよ。でも今は俺と付き合ってんの。だからもう掛けて来るなよ! じゃあな」

 言うだけ言って電話を切った。はいこれ返す、と彼から携帯を受け取る。もう着信は鳴っていなかった。

「えっと、何て言っていいのか……。ありがとうございます」

 深めにお辞儀。

「全然! 困ってたみたいだったからさ。あんだけ釘させばもう掛かってこないでしょ。逆に迷惑だったらごめん」
「いえいえ、そんな! 本当に親切にありがとうございました。それであの――もしよければですが、何かお礼させて頂けませんか?」
「気にしなくて良いって言いたいとこだけど、実はその言葉待ってたんだ」

 男性に向けては失礼かも知れないが、無邪気に笑った顔が可愛い。彼は『成宮 鳴』と言うらしい。

 その後敦子に詫びを入れ、合コンを抜け出し彼の行きつけという個室の居酒屋で改めて自己紹介。年齢は私よりも一つ上だった。
 スポーツに疎い私は気づかなかったが、彼はプロの野球選手で今シーズンは三年目。テレビでも連日取り上げられている期待の若手投手なんだとか。
 程々に酔いも回ってお互いよそよそしさも取れた頃彼は「訊いていい?」と先程の電話について質問する。

「一年前に別れた人なんです。それも向こうの浮気が原因で」
「それなのにあのしつこさだったの? 女々しいなぁ」

 呆れ返る彼はどんな恋愛をするんだろう、と興味が湧いた。

「そう言う成宮さんは彼女居るんですか?」
「俺? 俺は今探し中」
 けど、と続ける。
「今日はいい出逢いがあったかも」
 上機嫌で話す彼が言う。
「星谷さんさ、俺と付き合ってみよーよ」

 余程気分が乗ったのか、はたまたそう言わせてしまうこの人の魅力なのか、普段ならもう少し慎ましい筈の私も

「こちらこそよろしくお願いします」

 と深々頭を下げた。
 そんなやり取りに目が合った途端二人で同時に吹き出した。

 後に訊いた話ではあの時一目見た私が彼のタイプど真ん中だったらしい。



 それから三年。新米社会人だった私ももう新人とは言えない年月が経った。
 桜前線が日本中を駆け巡る三月下旬。
 私は今、彼を驚かせるべく有給休暇を最大に利用して彼のいるアメリカへの飛行機の中。
 トランクの中には彼への土産の日本食も沢山詰め込んだ。
 もうすぐ彼に逢える。考えるだけで弾む心。逢った瞬間涙で顔を歪めぬよう引き締めて、窓に向いて笑顔の練習。席が窓際で良かった。一人で笑顔の女なんて怪しくて仕方ないだろう。

 成田からニューヨークまでは十三時間程かかる。朝十時に出て到着は時差もあるので同じ日付の十一時頃。なんだか不思議な感覚だ。
 彼のマンションの鍵は貰っている。もう何度も訪れているので慣れたもの。
 空港に到着してタクシーで家まで向かう。彼が住むのは夜景が綺麗に見える高層マンション。当たり前だが彼はいない。その代わり試合のチケットを手配済み。試合開始は昼過ぎなので、それまでふらりとウインドウショッピングを楽しもう。

 球場までは地下鉄で移動する。これも何度も利用しているので迷わず行ける。球場を背景に写真を一枚撮って、彼へとメッセージと共に送りつける。どんな反応が返ってくるか楽しみだ。

 試合は彼が先発で、一失点で七回まで投げ抜いてその後も相手の追随を許さず彼のチームが勝利した。まだ盛り上がる球場を後にして、帰って夕食を準備し彼の帰りを待つ。試合後、マッサージを受けたりシャワーを浴びたりとそれなりの時間はかかるだろう。
 二時間ほど経って私のメッセージに気づいた彼からの返信があり、それに直ぐ『お疲れ様、おめでとう』とレスをすれば着信が鳴った。

「ちょっと、来るなら前もって教えてよ! 試合終わって携帯見たら度肝抜かれた! もうタクシーで家に向かってるから一旦切るよ」
「驚いた顔を拝みたかったよ! ――うん、待ってるね。気をつけて」

 通話が終了して小さくガッツポーズ。どうやらサプライズは大成功。今か今かと彼の帰りを待つ。

 暫くして玄関の鍵を開ける物音がして、スリッパのパタパタ音を靡かせ、小走りで廊下を突っ切る。玄関扉がゆっくり開き逢いたくて逢いたくて仕方がなかった彼の姿を見るや否や抱きつきたい衝動に駆られるが、もし怪我などさせてしまえば大惨事なのでそこはぐっと我慢した。

「お帰りなさい!」
「ただいま。――やっぱり帰って来て迎えてもらえるのは嬉しいもんだね」
「喜んでもらえて何よりです」

 彼の持つ荷物を受け取り、床に置いた。彼を見れば両手を広げて「おいで」と待ち構えている。待ってましたとばかりにゆっくり近づいて彼の腕の中へ。抱き締められ私も抱きしめ返す。

「久々の詩の感触。ちょっと緊張すんね!」
「私も。逢いたかったよ」
「俺もだよ」

 しばしの甘い時間。だが浸ってばかりもいられない。折角拵えた料理が冷めてしまう。

「シャワーは浴びてきたんだよね? 一応お風呂も沸かしてあるけど、どうする?」
「折角だから後でゆっくり湯船に浸かりたい」

 アメリカでも最近は日本のように湯船が備え付けのマンションも増えているため、お湯を張れば日本と変わらない。

「わかった。じゃあ先に着替えてご飯食べよっか」
「そうする。久々の詩の飯だー!」

 どこに何があるかは熟知しているため、着替えも風呂場に用意済みだった。さっさと着替えてリビングに来た彼と、張り切って用意した夕食を食べる。
 離れていた時間を取り戻すかのように会話は止まらない。

「そんで、急に来てどうしたんだよ」
「迷惑だった?」
「いや、嬉しいけど今までこんなことなかったから何かあったのかと思って」
「鋭いね。ズバリ正解! 実はこれに参加したくて」

 言いながら立ち上がり、小振りのトートバッグから取り出したのはワシントンD.C.で開催される『全米桜祭り』の概要をプリントアウトしたもの。

「『全米桜祭り』? アメリカでも桜って見れんだね」
「そうなの! ホームページも見てみたんだけどすごく楽しそうで、パレードとかもやってるんだって!」
「そうなんだ。で、一人で行くの?」
「そのつもりだよ。鳴はシーズン中だし休みだとしても結構なハードスケジュールになっちゃうから」

 私の言葉が気に障ったのか彼は唇を尖らせ「ふーん、一人で行っちゃうんだー」と拗ねた表情。

「だ、だって、折角の休みはゆっくりして欲しいしむりさせられないじゃない!」
「一人で行って、もし男に絡まれたらどうすんの? 詩ちゃんと断われんの? てか無理矢理連れてかれたらどうするつもり? こういう祭りにはクレイジーな奴いっぱい溢れてんだからな!」

 興奮して矢継ぎ早に言い放つ彼が沈黙した頃、「実は」と私が切り出す。

「なんて、本当は一人で行くつもりだったんだけど本音はやっぱり二人で行きたくて。鳴は行けないだろうと思ったんだけどバスのチケットだけ二人分取ってたんだよね。――そこまで言ってもらえるんなら安心した! ……桜祭り、一緒にいってくれますか?」

 私の言葉に彼はあんぐり開いた口が塞がらない様子。

「それならそうと先に言いなよ……。俺キレて恥ずかしいじゃん」
「無理に付き合わすのも嫌だし、鳴が一緒に行ってくれるって言ってもらえたら誘うつもりだったんだよ。ごめんね?」

 上目遣いで言えば心なしか彼の頬は赤くなっていて、それを誤魔化すようにペットボトルに口をつけながら
「もう良いよ。で、それいつなの?」
 と訊いた。

「明日だよ」

 そして口から水を噴き出した。

「あ、明日ー!? ハードスケジュールなんてもんじゃないよね? 詩時差考えてる? 身体しんどくないの?」
「うん。鳴に逢えたし全然平気。それに残りの日はゆっくりするつもりだし明日だけ」
「まぁそれなら良いけど」
「ね。だから早くお風呂入っちゃって寝よう! 明日は朝早いよ」
「じゃあ、一緒に入ろ? そのくらいはオーケーだよね? そうじゃないと詩不足の俺、蛇の生殺しじゃん」

 生殺し……。
 決してそういうつもりがなかった訳ではないが、彼の口から出た言葉はなぜか生々しい。想像して身体が火照り熱い。

「わ、わかったよ。でも、私が洗い終わって湯船に浸かってから呼ぶから! それから入って来てよ?」
「りょーかい! じゃあ早く入っちゃって」

 にやにやと厭らしい笑みを浮かべ、早く早くと私の背中を押して浴室に追いやる。脱衣所の扉を閉める前に
「絶対呼ぶまで入ってこないでね!」
 念を押して服を脱ぎ浴室に足を踏み入れた。

 湯船には当然身体が見えぬよう入浴剤を投入した。
 私が浸かったと同時に浴室の扉が開き彼が立ち入った。
 軽くシャワーで身体を流し浴槽へ。私を後ろから抱きしめる形でしばらくゆっくりとその時間を楽しんだ。



to be continued……






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