Hanami series | ナノ

Hanami Series

ロマンチストに花束を




 今年もこの季節がやってきた。

 厳しい寒さを乗り越え、漸く暖かくなってきた春の楽しみといえば『お花見』これに限る。
 私は少し変わり者なのか、みんなでワイワイ楽しむよりも情緒を重んじ、一人で静かに桜を眺めながらお酒を仰ぐのが好き。
 この土日は天気も良いと、テレビの予報。ちょうど今が満開で見頃だとも言っていた。
 お気に入りのビールと少しのおつまみを用意し、レジャーシートと小さいブランケットと共にトートバッグに詰め込み浮き足立って出掛けた。
 まさか私のささやかな幸せの休日があんな事になるなんて思ってもいなかった。

 電車で一駅、お花見スポットで有名な場所は酔っ払い騒ぐ人々で溢れている。そこからもう少し歩いた先、私の秘密の場所は穴場スポットで、喧騒から離れたここは雰囲気ががらりと打って変わり誰一人としていない。
 レジャーシートをバックから取り出し広げる。二人座れれば十分の広さのそれに持って来たビールとおつまみを取り出し、景色を独り占めしながら堪能する。
 ビールも三本目に差し掛かったところで携帯の着信音が鳴り響いた。
 私のささやかな楽しみの邪魔をするのは誰だとディスプレイを見てみれば、嫌味で性格悪い眼鏡上司、『御幸主任』の文字。
 携帯の電源を切り、放り投げたい衝動に駆られるが今電話に出なければまた会社での嫌味をぐちぐちと言われる事は間違いない。

 あんな人が他の女の子に人気なのが納得いかない!
 会社での彼はそれはもうモテモテで毎日女の子達から食事に誘われているのを目撃するくらいだ。

 折角の良い気分を潰され不機嫌な声色で電話に出た。

「もしもし、お疲れ様です」
「なんだよ、やっと出たと思ったらめっちゃ不機嫌そうじゃねーか」
「当たり前ですよ。休日にまで仕事の話は聞きたくありませんし」

 言いながらも、ビール缶は手放さず中身を喉に流し入れる。ほろ酔いの今なら、いつもは言えない事も言えそうな気さえしてくるから不思議だ。

「いやいや、仕事の話じゃねぇよ。――お前今どこにいんだ?」
「御幸主任には関係ありませんよ。仕事の話じゃないならもう切っても良いですか?」
「冷ぇーな! てかお前今日がなんの日か覚えてねぇのか?」

 なんだ、何かあった? と考える。しかし思い当たることはないし、思い出したくもない。今は早くこの電話を切って、また花見を再開させたいんだ。

「何もないはずですよ? 何かありましたっけ」
「お前なぁ! ……まぁいいわ。とりあえず今どこにいるか教えろ。大事な話があるからよ」

 げ、なんでここに来るの?
 意味がわからない私が拒んでみても、上司命令だ! なんて言われれば断れる筈もなく、渋々場所を伝える。

 持って来たビールも最後の缶。それも半分以下になった頃、今は見たくもない眼鏡上司の登場だ。私を見るなり「飲みすぎだろ」なんて小言を垂れる。

「良いじゃないですかー別に。誰にも迷惑かけてないですしぃ」
「そうじゃなくて、酔っ払い女が一人で歩いてちゃ危ねぇだろって言ってんだよ!」
「だーいじょうぶですって。私の相手してくれる人なんて居ませんからー」
「そうかよ」

 そうですよー、けらけらと笑いながら言う私に呆れながら御幸主任は、散乱しているビール缶やおつまみの残骸を片付けて、空いたレジャーシートの上へと腰掛けた。
 理性よりも本能が露わになるのがアルコールだ。何度も痛い目を見ているのに止められないのは中毒性があるからだろう。

「それで、御幸主任は何しに来たんですかぁ?」

 呂律の回らない口調で問う。すると御幸主任は溜息をひとつ吐いた。

「なぁ、今星谷は彼氏居ないんだったよな?」
「はいー。いませんけどそれが何かぁ?」
「じゃあ、俺と付き合ってみるか?」
「――は? 今、なんて仰いました?」

 一瞬聞き間違いかと再び問えば「だから、俺と付き合うかって言ったんだけど」と言いのけた。まさかこの人からそんな言葉が出るなんて思ってもみない私は酔いが瞬時に吹き飛び、開いた口が塞がらない。

「なんて顔してんだよ。そんな驚く事か?」
「お、驚きますよ! てゆうか意味がわからないです。新たな嫌がらせですか!」
「なんでだよ!」

 はぁー、なんて頭を乱暴に掻きながら言う御幸主任の態度で私をからかっている訳ではないとわかる。
 だけどあの御幸主任だよ? いつも私をガミガミ怒鳴ってる"あの"!

「信じられねぇかも知れねぇけど、俺は星谷の事ずっと好きだったんだよ。そりゃ、仕事上では厳しい事言ってるかもしんねぇ。けどそれは立場上俺は上司でお前が部下だからだ。それに今日は一緒に出掛ける約束してたじゃねぇか! なんで覚えてねぇんだよ」
「出掛ける……、――あっ!」
「思い出したかよ」

 そうだ、そう言えばそんな事言っていたかも知れない。誘われた時は仕事の締め切りに追われて、適当に返事してたから聞き流してたんだ!
 今更思い出し、血の気が引いていく。

「本当にすみません! 全く覚えていませんでした!」
「素直すぎんだろ! もうちょっと誤魔化すとかしろよ」
「いえ、あの、すみません……」

 御幸主任は立ち上がり、私の手に収まっている缶を取り上げ地面に置いた。私の腕を取り「ほら、立て。行くぞ」言いながら私を軽々と起立させる。敷いたままのレジャーシートの埃を軽く払い丁寧に畳んで、私のトートバッグに押し込めた。手際よく片付ける主任をただ惚けて見ていた。
 覚束ない足の私の肩を抱いて、御幸主任はゆっくりと歩き出した。

「目が離せねぇ奴だよ、お前は」
「なんか言いました?」
「もっと警戒心持った方が良いぞって言ったんだよ」

 警戒心? 何を言う。いつもの私は警戒心の塊だと言うのに、休日までバリアを張らなければならないのか。

「失敬な! 休みの日に羽根を伸ばして何が悪いんですか」
「羽根の伸ばし方に問題あるだろ! この酔っ払い」

 あぁ、この状況も主任からしたら『問題』の範疇なんだな。けれど反論もさせて欲しい。貴方が此処に来ると発言しなければ、酒も抑えていた、と。苦手な上司と休日に会うなんて素面では居られなかったのだ、と。

 御幸主任を横目に見て、顔だけは好みなんだよね。なんて失礼極まりない考えは、勘の鋭い彼に見透かされた様で
「今失礼なこと考えたろ?」と頭を小突かれる。

「なんで分かるんですか? 主任ってまさか、テレパシストですか!?」
「お前の考えは全部顔に出てるんだよ。分かりやすすぎ」
「……」

 悪戯っ子の様に笑う主任は決して会社では見せない表情で言いのけた。
 昔から指摘され続けた短所を突かれ返す言葉が出て来ない。

「人が気にしていることを。主任の彼女はさぞかし世渡り上手なんでしょうね」
「そんな奴は大体が腹黒くて俺は嫌いだな。社会人には必要な能力かも知れねぇが、何考えてるか分からない彼女と一緒に過ごすなんて心安まらねぇよ。俺は素直な奴が好きなんでね」

 しれっと言い放った。

「……へぇー」

 だから私なのか。だからこの単純極まりない女を好きと言えるんだ。

「私、主任はもっと取っつきにくい人だと思ってました。プライベートで会うとその人が良く分かるもんですね」
「星谷はまんまだけどな」

 そして案外良い性格だとも。
 歩き続けて駅に着いた。
 これからの予定は? 懸案は私だけではなかった様で

「星谷この後暇なら、約束のやり直ししようか」
「どこか出掛けるってことですか?」

 駅までの徒歩で回っていたアルコールは主張を控え、素面と迄はさすがに言えないが出掛けることは可能だ。

「はい、すっぽかしたお詫びに何かします」
「ははは、期待しとくわ」

 近くに車停めてんだ、取ってくる。と御幸主任は今し方近くの自販機で買った水を持たせ早足で歩いて来た道とは別の方向へ。頂いた水を遠慮なく喉に流し込み、後ろ姿を見送った。五分程して目の前に一目で高級車と分かる黒色に近いグレーで大き目の車体のアウディが現れた。助手席の窓が下がって、御幸主任の車なのだと気づく。
 近寄り高級そうなボディに傷をつけまいとドアノブを引く手が震えた。

「お邪魔します」

 恐る恐るシートに乗りドアを閉めた。車内には私が好きなアーティストの曲が流れる。これは偶然かはたまた意図してなのか、どちらでも良い。現に私は嬉しいのだから。

「シートベルトしとけよ」

 主任の言葉で忘れていたことを思い出した。私がベルトを締めたのを確認して、車は走り出した。

「どこに行くんですか?」

 ハンドル捌きの巧さに見惚れながらも、行き先不明の不安要素を取り除くべく質問を投げる。

「ホテル」
「――え!? ちょっと、今すぐ車止めて下さい!」
「冗談だよ。ま、楽しみにしとけ」

 タチの悪い冗談に肝を潰されるかと思った。冷静に考えれば行きずりの女ならまだしも会社で毎日顔を合わす相手にそんな行為は出来ないだろう。

 三十分程走ったのだろうか。車はある建物の駐車場に到着した。その場所にはとても見覚えがあった。ここ最近忙しくて訪れられなかった私の大好きな場所だからだ。

「プラネタリウム、ですか?」
「そう。前に呑み会で好きだって言ってただろ」
「あんな呟き覚えてたんですか」
「好きな奴の情報はどんな些細なことでも耳に入るだろ?」

 恥ずかしげもなく『好きな奴』と言いのける主任はさぞかし女慣れしているんだろう。久々の癒しに心が躍る。しなくて良い詮索を始める前に歩き出した主任の後を追った。


 花見から彼とは何度か出掛け、今はもう私の中で『ただの上司』から『気になる人』までランクアップしていた。
 徐々に彼を知って意外だと思うことが多々あった。
 まずは高校球児だったということ。それもかの有名な強豪校でレギュラー捕手をしていたのだとか。では何故野球選手にならなかったのか、なんて野暮な質問はしない。人それぞれ歩む道があると言うものだ。
 それは三度目のデートで、バッティングセンターに行ったことで発覚した。



「御幸主任、野球とか出来るんですか?」
「さぁどうかな? どうせなら賭けてみるか?」
「じゃあ、あのホームランボードに主任が当てられたら何かひとつだけ言うこと聞きますよ」
「言ったな。その言葉忘れんなよ? ――じゃあ俺が打てなかったら好きなもん買ってやるよ」
「女に二言はありません! それより主任こそいいんですか?」
「おう、男に二言はない」

 何を買って貰おう、頭の中で欲しいものが巡り巡る。御幸主任には悪いが賭けは勝ったも同然だ。だって相当運が良いか、足繁く通わなければホームランボードになどなかなか当たる物ではないだろう。しかもこのバッティングセンターで一番の球速二百キロメートルのバッターボックス。
 しかし予想に反して主任は来た球を難なく打ち返し、十球目に打ち返したボールはホームランボードに吸い込まれる様に当たった。二十球中、空振りはゼロでホームランボードへの当たりは三球も出した。

「主任凄い! ホームラン三回も当たってましたよ!」

 ネットで囲われた扉を開いて出てきた主任に駆け寄り、賭け事など忘れ素直に目を輝かせ喜ぶ私を優しい目をして彼は見た。

「久々だけど打てるもんだな」
「え? 久々って、もしかして経験者だったんじゃ――」
「俺は一言も初心者だなんて言ってないぜ。星谷が勝手に勘違いしただけだろ」

 ニヤリと笑い言いのけるこの男が憎い! じゃあ何か。私は初めから負け戦に手を出したということになる。

「ズルいです! そんな賭けは無効ですよ!」
「別に良いけど、女に二言はないんじゃなかったのか?」

 それを言われちゃぐうの音も出ない。

「――何にしますか? 何でもいいですよ」

 身体を捧げろ、とか無茶な命令が飛んで来たらと考えると、自然と祈る様に目を瞑って彼の次の言葉に神経を集中させた。

「そうだな――じゃあ会社以外では『主任』じゃなく名前で呼んでもらおうか」
「へ? 名前、ですか」

 もっと無理難題を押し付けられると思った。

「そう、いつまでも主任呼びはちょっとな……。距離感じて嫌だし、出来ればそのまま敬語も取っ払っても――」
「それは無理です! 名前は努力しますけど、敬語は……もう癖づいちゃって今更、」
「そらそうだろうな。ま、名前だけで我慢してやるか。――そんじゃ今からだからな」

 ほら、と彼は促す。一瞬躊躇したが、約束だ。意を決して呼んでみよう。

「わ、分かりました。か、一也さん……」
「ぎこちねぇー」

 言いながらはははと笑う彼の表情は心なしか嬉しそうで。名前を呼ぶ。こんなことで喜んでくれるのなら何度でも呼んでやろうではないか。ん? 待って、そう思うってことは既に私はこの男が好きなのではないか。
 予相だにしない考えが浮かび首を振る。彼は訝しげな表情をした。

「なに一人百面相してんだよ。まあいいや。次、詩打ってみろよ」

 差し出されたバットを受け取り、少しの違和感。

「今名前……」
「ダメか? その方がバランス取れると思ったんだけど」
「い、いえ。大丈夫です」

 異性から名前で呼ばれるのはいつ振りだ? 暫くぶりのそれに動揺したが、悟られぬようバッターボックスへ。私の渾身のフルスイングは、一度も球を掠めもしなかった。



 つい最近のことのように思える。
 あれから私達は幾度となくデートを重ね運命が変わったあの花見の日からちょうど三年。
 
 今は春。
 彼は私のリクエストを嫌だと言いながら、薔薇百本の花束を用意し思い出のあの場所でプロポーズ。
 桜が満開の季節。私は彼と一生寄り添う誓いをたてた。

 ロマンチストに花束を――。

Fin.





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