16


央祐と約束をした律は二人で明後日また、ここで会うと決め央祐を先に帰した。
律は嘔吐物を片し、自分も臭うので仕方なくシャワーを浴びた。
ああ、やめようと思っていたのに。
いつの間にか捨て忘れていた、剃刀を手にもってもう切り付けていた。
手当がしてある手首を見て、ぼろぼろ涙が溢れてくる。
こんなんなら、あの時甘えて巻いてもらえばよかった。自分で巻いたんだと思うとどうでもよくなってしまうじゃないか。
由伊の冷たい顔が脳裏にちらつきしゃがみ込む。冷水が体を末端から冷やしていく。
「なんで嫌われたんだよ……」
精一杯気を張って頑張ればよかった。
甘えなければよかった。……一番傍に居てほしい時だけ、寄りかかれば良かった。
どうして今由伊はいないの。
……お前が自分のことしか考えていなかったからだよ。
由伊のことをないがしろにした。
こんな俺を好きだと言ってくれたのに。
俺は……
泣くな。
泣いちゃだめだ。
強くなるって決めたろ。
後悔しても遅いんだよ。
もう由伊は俺なんか好きじゃない。
俺は一人にならなきゃいけない。
大丈夫。
死ぬのなんて、由伊に嫌われるより全然怖くないんだ。
由伊、好きだよ。
冷水を浴びていると、ピンポンと音が鳴りびっくりする。

え?なんで?誰?

由伊の家を出てきてから二、三時間は経っただろうか。
とっくにかえっていなきゃいけない時間だから、誰か来てくれてしまったのだろうか。
慌てて水を止め、体を拭く。
その間もチャイムは鳴り続けどんどん激しくなる。
急いで服を着て、思わず焦りで確認もせず玄関を開けてしまった。
「っえ、……由伊!?」
会いたいと思っていた人が目の前に立って律を見て、咄嗟に険しい顔をした。
「っんで、ここにいんだよ」
怒りがこもった声色で言われ、びくっと体が震えた。
「え、えと毎朝ここ来て……母さんに線香あげてる……から」
恐る恐る言うと、由伊はさらに顔を怖くさせる。
「それだけで三時間もかかるかよ。今まですぐ帰ってきてただろうが」
すっかり口調が荒い由伊はまだイライラしている。
え、てか俺が起きてたの知ってたの!?
き、キスとかしなくてよかったぁ!!
ちょっと邪なことを考えていた自分に恥ずかしさを感じ、頬が熱くなる。
「なに赤くなってんの。ってか、なんで風呂?誰かと会ってたわけ」
「……っ」
グイっと肩を掴まれ思わず顔を歪ませた。
「っこれは、歩いて……汗かいたから」
ぐっと力を込められ骨が軋む。
「い、いたい……由伊」
そう伝えると、由伊はハッとした顔をして肩から手を離してくれた。
咄嗟に目をそらされ、なんとなく覗き込むと、どことなく顔色が優れない様子だった。
「由伊、大丈夫?体調悪い?休んでく?」
心配になり声をかけると、由伊は複雑そうな表情をして「帰るよ」とだけ言った。
「え、う、うん」
由伊の気持ちがよくわからないが、とりあえず今会えたことに嬉しさを感じ急いで荷物をまとめた。
まあ、今年までの荷物だけど。
待っててくれるわけないかな、なんて思ったけど由伊はわざわざ外で待っててくれていた。
「お待たせ、ごめんね」
「別に」
もう態度が今までと全く違う。
二人きりだと笑いかけてすらくれなくなった。
そんな由伊の変化に気づく度、嫌われたんだと強く実感する。

「由伊、助けてくれてありがとね」

速足で歩く由伊になんとか着いていきながら、話しかけた。
残り一日しかいられないのなら、少しの時間も無駄にしたくない。
.......また傷をつけてしまうところだった、キミが来てくれなければ。
そう思って話しかけると、愛想はないけど「なにが」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。
「ふふ、ううん。なんでもない」
「なんで笑うの」
不機嫌そうな由伊の声に律はまた思わず「ふふ」と笑ってしまった。
「ううん。ただ、こうやって二人で外歩くの久々な気がして嬉しいなぁって思っただけ」
そういうと、由伊はぴたりと立ち止まる。
不思議に思い、「由伊?」と声をかけると由伊はパッと顔を上げた。

「俺は、律くんが嫌いなんだよ」

改めてそう言われ、律はぱちくりと目を丸くする。
拒絶の言葉を自ら吐く由伊が、酷く苦しそうに見えた。
「……うん。知ってる」
力なく笑って返すと、由伊はキッと表情を険しくして「なんだよ!」と怒鳴った。
「え?」
吃驚して由伊を見ると、由伊は怒った顔で俺に詰め寄った。

「なんで俺が嫌いになった後に、そうやって笑うようになったの?なんで?なんで親父たちとも普通に話せるようになったの。なんで一人で外に出られるようになったの、……なんで俺といたときは、俺に笑いかけてくれなかったの」

思わぬ言葉たちに律は驚いて固まる。
え?俺、由伊といたとき笑っていたと思う.......。
っていうか、安心して馬鹿みたいにへらへらした気がするのになんで由伊はこんなに怒ってるの。
「そんなに俺のこと好きじゃなかったんだ」
「っはぁ!?なんでそうなるんだよ、俺は……っ」
「俺は、なんだよ」
続けようとした言葉は、声には乗ってこなかった。
……こんなやけくそでなんか言いたくなかった。
あと一日しかないのだから、もう少し自分の気持ちをしっかり伝えたい。
そう思ったら、中途半端に終わってしまう。
「……ただの“友達”止まりなんだろ」
諦めたように言われ、何も反論できない。
確実に違うのに、ここで伝える気がないのなら何も言えることなんてない。
その代わり、後でゆっくり伝えよう。
「……あとで……今じゃなくて、その時が来たら絶対話すから……今は、待ってて……ほしい」
それだけを絞り出すように伝えると、由伊は「はぁ」と深いため息を吐いた。
「またステイ、ね。別にいいんだよ。無理に言わなくて。何もキミに期待してないから」
スタスタと歩き始めてしまった由伊の背中を見つめ、歩かなきゃ、と思った。
思ったのに、一歩が踏み出せなかった。
今は並んで歩けない。
今動いたら、涙がこぼれてしまう。
それくらい、今のはきつかった。
嫌われているのは理解している。
もうわかった。
期待もされていない。
あんな冷たい由伊の瞳は、痛い、苦しい。
本当に嫌われて、期待されていなくて、……改めて認識してしまうと胸が悲鳴をあげるくらい、痛くて痛くてたまらなかった。
「……だいじょうぶ」
もう由伊の姿はないけれど、追いかけるために足を踏み出した。
大丈夫。
泣くな、泣くな、泣くな
今はまだ、泣くときじゃない。
涙を見せるな、男だろ。






「今年もお世話になりました」

年越しそばをみんなで啜りながら談笑していた。
文崇もすっかり元気になり、中でも寛貴と真と一番打ち解けており三人で仲良くテレビゲームなんかやっていた。
誰にも好かれていなく輪に入れない律は、由伊の両親に気を使われすっかりお手伝い係となった。
文崇に呼ばれたりするけれど、ほかの二人に嫌がられるのが目に見えているので律から断っていた。
今も食べ終わった三人は年末恒例のバラエティ番組を観て楽しそうに笑っている。
律はまだ食べ終わらないので、お腹いっぱいでも口に入れ続けていた。
あと人生で最後なのだから、ちゃんと完食したい。
由伊は相変わらず皆の前ではニコニコ話してくれるけど、二人きりなると律に対して一気に冷たくなった。
それでもいい。
ずっと由伊といられるのが嬉しいんだ。
由伊は食べ終わっているけど、皆の輪には入らずソファの端っこで本を読んでいた。
時々兄妹に誘われているけど、にこやかに拒否していた。
律もやっと食べ終えて、「ご馳走様でした」と言えた。
「律くん最近、よく食べるようになったわねぇ。嬉しいわ」
京子にニコニコ言ってもらえて嬉しくなる。
頑張るとほめてもらえる。
「美味しくて、いっぱい入っちゃいます」
笑ってそういうと、京子は「もー!かわいい!」とぎゅっと抱きしめてくれる。
最近、京子には抱きしめてもらうことが増えた。
孝には色々教えてもらうことが増えた。
律が何でもかんでも聞くからかもしれない。
せめて仲良くなりたくて、いっぱい話しかける分二人はたくさんの本物愛を与えてくれた。
「そうだ律くん、来週の土曜空いてるかい?」
不意に隆さんに尋ねられ、首を傾げてカレンダーを見る。
来週の土曜……。
もうそのころには俺はここにいない。
けど律はにっこり笑った。
「空いてますよ」
嘘がうまくなったなと自分で思う。
愛や優しさを与えられるたびに、どんどん自分の嘘が上手くなってゆく。それに伴って由伊の冷たさも比例していく。
「その日、律くんが行きたがっていたお店で初売りをやるんだが、どうだ?一緒に行かないか」
お店?
なんのお店だろうか。
正直覚えていない。
けれど俺はここでも上手にこたえられる。
「嬉しいです、行きたいです」
行けないよ、そのころには律はもうこの世にいないかもしれない。
まだ生きてるかもしれないけれど、ここにはいられない。
ああ、心がどんどん冷めていく。
準備が整えば整うほど、どんどん心も体も冷え切っていく。
それなのに、由伊からの冷たさには一向に慣れない。
由伊が隣に居てくれないことには全然慣れない。
自分だけじゃ、暖かくなんかなれないよ。
「あら、いいわねぇ。律くん、私ともどこか行かない?陽貴も一緒に行きましょう」
いきなり京子は由伊に話しかけた。
話しかけられた由伊は、にっこり笑みを貼り付けて「お言葉に甘えて行こうかな」なんて簡単に嘘をつく。
嘘つき。
行きたくなんかないくせに。
でもそんなこと、俺が言えることじゃない。
「よし、決まりね!明日は初詣だしそのあとにはたくさんおでかけしましょう!」
楽しそうに笑いかけてくれる京子に胸が痛くなりながら、律は「はい」と答えた。
暫くお話していると、由伊が立ち上がり眠そうに自分の部屋へと行くのが見えた。
律は会話もキリがよかったので一言詫びて席を立った。
早くいかないと寝ちゃうかもしれない。
急いで階段を上り、由伊の部屋に入った。
由伊はちらりとこちらを見て、すぐに視線をそらし布団に入ろうとする。
その腕をしっかりつかみ「ま、待って!」と声をかけた。
「は?なに。もう寝るんだけど」
最近この不機嫌な顔しか見てないなぁなんて他人事のように思いながら、口を開いた。
「ゆ、由伊お願いが……あるんだけど」
震える声に、恥ずかしさを感じながらもしっかり目だけはそらさなかった。
「なに」
話を聞いてくれる由伊に嬉しさを感じてつい自然に口角が上がってしまう。
最近、幸せのハードル低くなったなぁ。
「あのね……一緒に初日の出に見に行きたい……んだけど……」
小さくなりながらそう言うと、由伊はぽかんとした顔をした後ぐわっと勢いよく目を見開いた。
「は、はぁ!?今から!?」
「う、うん……」
由伊は「はぁ!?」と大きな声を出して口を開いた。
「そういうのってせめて今日の朝とかに言うもんじゃないの」
険しい顔でもっともなことを言われ、しゅんと小さくなってしまう。
本当は昨日言おうと思ってたんだよ俺だって。
昨日由伊とまた小さな喧嘩をした後に、一人で立てたんだもん……やりたこと計画表。
それで折角なら初日の出みたいって思って、言おうとおもったけど昨日は由伊と話せる空気じゃなかったし、今日もずっと由伊と二人になれるタイミングないし、リビングで言ってもよかったけど、みんなが居たら由伊断り辛いだろうし……そんな感じで適当に頷いてほしくなかったから、タイミング待ってたら今になっちゃたんだよ……。
なんて言えるはずもなく、ただただ俯いてなんて言おう、と考えていると由伊は「はぁ」とため息をついた。
「……いいよ」
「……そう、だよね……えっ、え!?いいの!?」
思いもよらぬ返答に律は思わず由伊の両手を握って見上げた。
「なに、嘘なの?」
意地悪にそう聞かれ律は顔を真っ青にして「う、嘘じゃない!!本当!!」と慌てて言うと、由伊は少しだけクスリと笑った。
「……」
その優し気な笑顔を久々に見れて律は思わず目頭が熱くなる。
咄嗟に俯いて由伊の手を強く握って、「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と心の中で唱えた。
「じゃあ、それまで少し寝る」
「うん!
嬉しすぎて俺が犬だったら、由伊の周りをくるくる走り回って尻尾もちぎれそうなくらいぶん回していたと思う。
けれどしつこくすると怒られそうなので、本当はずっと手を繋いでいたかったけど、ちゃんと離した。
「二時に起きる」
「うん!」
アラームかけてくれる姿さえも愛おしくて、しつこくしない代わりに由伊にくっついて回った。
そんな律を変なものを見るよう目で見てきたけど、律は気にせずニコニコしておいた。
「……変なの」
ぽそりと呟かれ、律は微笑んで由伊を見上げた。

「おやすみ」

由伊は一瞬固まったけど「……うん」と返事してくれた。
お布団に入るまでを見届け、静かに部屋を後にした。
ああ、夜楽しみだなぁ。
ウキウキが止まらなくて、にやけながら下へ降りた。
「あれぇ?律なんでニコニコしてるの?かわいいね!」
文崇にくしゃくしゃと頭を撫でられ恥ずかしくなる。
「ちょ、ちょっといいことあったの!」
ぷいっと顔を背けると、文崇は「はは!そっかそっか〜」と抱きしめてくる。ここにはみんな居るのに!!恥ずかしい!!
でもこんなのもあと数えるしかないと思うと、無下になんかできなかった。
「……ねえ父さん、お願いがあるんだけど……」
「ん?どうしたあ?」
文崇はコテンと、首を傾げてニコニコ見て来てくれる。
「……あの、初詣父さんと行きたいんだけど……無理……かな……無理ならいいんだ……」
そう言うと父文崇は少し驚いた顔をしたあと、パアッと顔を明るくして「本当か!!」と言う。
「?本当ってどういう事?」
「実は父さんも行きたいと思ってたんだよ!」
にっこにこ嬉しそうだ。
それに釣られて俺も口角が上がる。
「……じゃあ!一緒に過ごせるんだね……!!」
思わず飛び跳ねそうになる。
「うん!律と過ごせるぞ!初詣以外にもしたい事はあるか?!父さん何でもするぞ!!」
ワクワクの文崇は大きく腕を広げた。
文崇が、最期まで居てくれる。
嬉しい……嬉しい!!!
「考えとく……!!」
きっと、初詣以外に叶うことは無いんだ。
年初めだと言うのに縁起が悪いよな……まったく。
まあ後は、明日橘と仲野に会う.......時間は無いから電話だけでもしてみよう。
何でか分からないけれど、こんなにも活力が湧いたのは八年前の『あの日』以来初めてな気がする。
……こんなにも、何かしたいと思うのは死の間際だなんて、とんだ皮肉だよな。
もっと早く、やりたい事をやっておけば良かった。
なんでこんなに、後悔することが多いんだろう。
……母さんにも、挨拶しておかなきゃな。
憂鬱な筈なのに心の何処かでは、嬉しいような、高揚感がある。
不思議だな、人生を終わるのに、俺は宮村 律を終えるのに。
輪廻転生があったとしても、俺は生まれ変わりたくない。
宮村 律として、全てを終えたい。





そろりと由伊の部屋を覗く。
……まだ寝てるな。
どうしよう、もうそろそろ二時なんだけど気持ち良さそうに寝てる。
……あ、そうだ。寝てる由伊なんてレアだし、今のうちに夢だった寝てる間にキス、やってしまおうか。
ドキドキと馬鹿なことを考えて胸が鳴る。
「……ふふ」
馬鹿だなあ。
出来るわけないや。やっぱりまだ、これ以上嫌われる勇気はない。
これ以上の勇気が出たら、その時は対面してキスしてやろう。
悪戯に笑って、消えるんだ。
由伊はきっと俺の事なんかすぐ忘れる。
だって、由伊は色んな子にモテるんだ。
かわいい女の子と手を繋いで、キスをして、えっちして、子供が出来て、お互いの両親に挨拶して、子供が生まれて、パパになって、優しいからきっと由伊は奥さんのお手伝いをして、素敵な旦那さんになって、子供にも好かれて……それで……それ、……で……
いつの間にかぽろぽろと涙がこぼれていた。
何でだろう、どうしてこんなに、俺が居ない由伊の幸せな未来がスラスラと思い浮かんでしまうのだろう。
俺が出会った時、真剣に告白を受けていればこんな事にはならなかったのかもしれない。
俺がもっと早く答えを見つけていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
俺が、由伊の幸せな未来に居ないのが、こんなにも辛いなんて思わなかった。
「……っ、……ぐすっ……ひっ」
声を漏らさぬように口を抑え蹲る。
ああ、いやだ
ここまで来て、抗いたくなるのなんて惨めで醜い、弱い
嫌だ
由伊と居たい
もっとずっと一緒に居たい
由伊の優しさは俺だけのものであって欲しい
なんて傲慢なんだ、どうしてこんなにも……
「…………律くん?……どうしたの?」
眠そうな由伊の声にハッとして、慌てて涙を拭く。
「っあ、由伊!おはよう!もう二時だよ」
パッと笑顔を作ると、由伊は無表情に起きて律の元へ歩いてくる。
……な、なんだ?
どくどくしながら見上げていると、由伊の手が優しく頬を包んだ。
「……どうしたの?なんかあった?」
……由伊の優しい声。
俺の事を好きでいてくれた時の、由伊の声だ。
この声が聞けただけで、俺はもう幸せだ。
「……ううん、何でもないよ!欠伸しただけ!」
ニコッと笑うと、由伊は一瞬複雑な顔をしたけれど「そう……」と言って律から離れた。
「じゃあ、行こうか。上着きなよ」
由伊に言われて、律は「うん!」と返事をしてあったかいダウンを羽織った。
由伊も軽く着替えて二人で靴を履いて玄関を出た。
「……っ」
あまりの寒さに少し立ち止まると、由伊は律を見て「……寒いの?」と聞いてくる。
「……っううん、大丈夫」
由伊が居るから、寒さなんてすぐ吹っ飛ぶ!
ルンルンで由伊の隣に並んだ。
今日は、俺の歩幅に合わせて歩いてくれている。
……なんだろう、気の所為なのかもしれないけれど、こういうの嬉しいなあ。




「……ここ、秘密の特等席」
いたずらっ子のように笑った由伊に、ドキリと胸が鳴った。
由伊の横に腰掛ける。
まだ朝日は出ない。
でももうそろそろだ。
二人でゆっくり歩いて、暖かいココアとコーヒーを買って2人で並んだベンチ。
「……夜景が、綺麗だね」
朝焼け少し前の、ブルーグレーのような空と街の風景が素敵すぎて、ずっと見てしまう。
……こんな所、あったんだなあ。
きっと街を探せばこんな所たくさんあるのかもしれない。
「……嫌になった時の逃げ場所だった」
遠く見つめる由伊の瞳に、何故かまた泣きたくなってしまう。
いけないな、泣き虫はもう止めなきゃいけない。
「由伊も、逃げたい時、あったんだ」
言葉を紡ぐと、由伊はふっ、と柔らかく笑った。
「あるよ。俺だって人間だから、嫌なことぐらいある」
少し暗くなった瞳に違和感を感じつつも、聞いていいことでは無いような気がした。
どうせ終わる関係なら、知らない方がいい。
新しい事を知る度に、愛おしさが増してしまうのは辛い。
「……律くんはさ、」
「なに?」
由伊は律の瞳をじっと見つめて、何かを話しかけたけれどふいっと視線を景色に戻して「……何でもない」と口を噤んでしまった。
……なんだろう、何を言いかけたんだろう。
律は、自分の掌をギュッと握り「あのさ、」と口を開いた。
最後なんだ、これで、最期。

「……色々、ごめんなさい」
「え?」

由伊の驚いた声に、パッと顔を上げた。
言いたいことを、全て伝えるんだ。

「いちばん最初のごめんは、出会った時のこと」

初めて学校の有名人に声をかけられて、告白されて、罰ゲームだと思ってた
そうだ、あの時食べてた菓子パンの中身が餡子で嫌だなあ、って思ったんだ。
それを由伊にあげたんだっけか。
……でもきっと、あの時も甘いの苦手だったのに食べてくれた。
嬉しそうに、食べてくれてた。

「……由伊の告白を、悪戯だと思ってて……ごめんなさい」
「……律くん?」

不思議そうな由伊を無視して、どんどん口を開く。

「次は、由伊の気持ちに甘えててごめんなさい」

由伊が俺を好きだという事実に胡座をかいていた。
甘えて、由伊の負担になっていた。
そして、嫌われた。

「……何度も変わろうと思った。でも、由伊の優しさに甘えていたよね。……負担を、かけ過ぎてしまった。……由伊が嫌になるのも当然だ……酷いことも言った……ごめんなさい……」

黙って聞いてくれている由伊。
律は俯き、涙を堪える。
思い出せば思い出すほどに、由伊の優しさが身に染み過ぎていた。

「次に、……自分の気持ちに向き合わなくて……由伊を、待たせてしまって……ごめんなさい」
「……え……」

驚いた由伊の声に、顔をあげることが出来ない。
由伊の顔が見たい。
けれど、今の俺には怖くて……出来ない。
だから、……せめて、手を握りたい。
由伊の無防備な手に自分の手を重ね、ぎゅっと握った。
すっ、と息を吸う。





「……俺、由伊の事が好きです」





朝日が顔を出し、律と由伊の横顔を眩しく照らした。
不意に目をやると、眩しくて目がチカチカする。
けれど、これが新年の朝日。
街が陽の光に照らされ、どんどん明るくなっていく。
今、この朝日を見ている人の中で何人、死にたい、と思っているのだろう。
何人の人間が、死のうと考えているのだろうか
……もしかしたら、俺だけ、かな。
ふっ、と笑って由伊を見上げた。
由伊は驚き固まって、律を見下ろしている。
その顔があまりにもマヌケで少し笑ってしまった。
「由伊?」
笑いながら聞くと、瞬きをした由伊の両目からぽたぽたと雫が落ちてきた。
「え、由伊……?ごめ、なんか、嫌だった……!?」
律は焦って由伊の両頬に手を当てると、由伊はぽろぽろ泣きながら首をゆるく横に振った。
「……っちが、……ちがうよ……ばか……っ」
な、ばか……!?
馬鹿ってなんだ!!馬鹿って!!
訳が分からないまま首を傾げていると、由伊は「あはは」と笑いながら泣いている。
朝日に照らされて由伊の涙がキラキラ光る。
「……っなんで、今、気づくの……っ」
由伊はそのままボロボロ泣き出してしまった。
そんな切ないセリフに、律は笑って答えた。
「……俺も、そう思ってるよ。思い返せば後悔ばかり……。由伊に嫌われるのも仕方がなかった」
最後に、抱き締めて欲しかったな……なんてワガママかな。
「俺ね、由伊に嫌われて初めて気がついたんだ。由伊以外に嫌われてもきっと何とか平気なの。……でも由伊はダメだった。……何回も何回も、嫌われてると認識する度に……涙が溢れて、止まらないんだ」
由伊の冷たい瞳が、怖かった。
由伊に、嫌いと言われるのが怖かった。
……だからだろうか
告白する事なんか、怖くなかった。
緊張はした。
けれどそれだけだった。
伝えないで死ぬほうが、よっぽど怖かった。
……今日、来てくれなかったら、どうしようかと思った。

「俺はね、ずっと由伊が好きだったんだ。由伊に絆されたからとか、由伊に嫌いって言われたからとかそんなんじゃなくて、……失って、初めて気がついた……凄く、大切だった事に」
「……律くん」
「由伊に、律くんって呼ばれるの大好き!それから、頭を撫でてもらうのも、抱き締めてもらうのも、ちょっとワガママな顔されるのも、いつも俺だけを見ていてくれるところも、ぜーんぶ、ぜんぶ!!だいすき!!」

言っていたら何だか嬉しくて、嬉しくて、堪らない。
この想いと、思い出と共に死ねるのなら幸せだな。

「だから、由伊が将来、素敵な人と出会って幸せな人生を送ることを、俺は誰よりもいちばん願ってるよ」
「…………え、」

由伊は驚いた顔で俺を見る。
涙がピタリと止んで、慌てた顔で「ま、まって!」と騒いでいる。

「俺はね、由伊の幸せを想像した時に、自分はどこにもいなかったの。由伊が笑顔を向けているのはいつも俺以外の誰かだった。由伊は素敵な人だから、きっとその人は幸せになれる」
「……ま、待ってって!俺の話、聞いてよ!」
「……由伊が、幸せになるって約束してくれるなら、聞く」

律の、有無を言わさないセリフに由伊は絶句し、黙ってしまった。
我ながら、酷く狡いセリフだと思った。
由伊はキッと律を見る。

「っなんで、話聞かねぇんだよ!!俺の幸せは俺が決める!!なんで律くんに約束しなきゃなんねぇの!」

口調の荒い由伊はもう慣れた。
きっとこっちが本当の由伊なんだろうなあ。
……由伊だって、全部俺に見せてくれてたわけじゃないんだ。

「俺が嫌だからだよ。由伊が幸せになってくれないと、俺が嫌なの」
「俺の幸せは、律くんと居ることだよ!!」

由伊は怒った顔でそう叫んだ。
吹き抜ける朝の冷たい風に身をふるわせる。

「……ありがとう」
「っ信じてないだろ……、そりゃそうだよな、あんな態度取ったのは俺だ。っでもあれは、本気で律くんを嫌いになったんじゃねぇんだよ!!律くんが気づいてくれればいいって、その為に俺だって嫌われる覚悟で.......あぁ、くそっ!」

……そう、だったのか。
嫌われて、なかったのか……
ホッとした気持ちと共に、複雑な心境になった。
「……そう、なんだ」
なんとも言えない顔で、そう答えると由伊はハッとした顔になってまた怒る。

「……っんだよ、やっぱり迷惑なんじゃねぇか」
「え?」

はぁ、……と深い溜息と共に由伊は頭を抱えた。

「……律くんはさ、俺からの好意が嫌なんだろ。だから、俺が好きって表してた時より、俺が嫌いだって演技してた時の方が楽しそうなんだ」
「……え、え、ちがうよ」
「違くねぇだろ!!じゃあなんでそんな嬉しくなさそうなわけ?律くんが俺の事好きって言ってくれたから、俺だって本当のこと言ったんだよ!!なのに、なんで、……っ」

白い息と共に吐き出される由伊の苦しそうな言葉たちに、思わず我慢していた涙が、ぽろぽろと溢れる。

「……っ好きだよ」

苦しくて、ちぎれそうな心を抑えて、必死に由伊を見た。


「……だいすき、……由伊が、だいすき……っほんとうだよ……っ」


由伊に手を伸ばすことはできない。
抱きしめて欲しくても、甘えることは出来ない。
いたい、いたい、いたい……
「ひとを、すきになれないって……いったのは、……ひとが、きらいだったから……」
央祐に襲われた日から、人がダメになった。
自分の父親でさえ、ダメだった。
そんな人間が、赤の他人を好きになるなんて出来ないと思ってたし、父親がダメで他人が良いだなんて、そんな都合のいい話、いけないと思っていた。
「……すきになれないって、思い込みだった……。父さんのこと、平気になれないのに……他人をすきになるのは……いけないことだって……っ」
恋愛は、難しい。人間関係がダメな俺にとって、恋愛感情なんて以ての外だった。

「……おれ、……だいすきだった、父さんのお兄さん……叔父さんに、……襲われたんだよ」
「……っ」
「……薄暗い物置に連れて行かれて……、目を開けたら見知った大好きな顔があった。……その顔に、ずっとずっとずっと寝る間もなくずっと、犯され続けた。真っ暗闇の中、目が慣れて……央祐さんの顔だけ、認識しながら……泣いても、喚いても、誰も来なくて、痛くても、苦しくても、止めてもらえない……」

苦しかった
あの時は、まだほんの幼い餓鬼だったから、
ろくな抵抗すら出来なかった

「……俺が、あの日空き教室で襲われてた時も、ああ、またか、……って思ってた。絶望で心が壊れそうな時、どうせ助けは来ないって思ってた時……由伊が来てくれた」
「……」
「本当に、嬉しかった。あの後ずっとずっと一緒に居てくれて、本当に、嬉しかった。何も聞かないでいてくれて、笑いかけて優しくしてくれて、ああやって汚れた俺でも好きって言ってくれて……こんな人、……居るんだって思ってた」

涙は止まらない。
ずっと、流れている。
それでも、いい。
この涙は、流していい涙なんだ。

「この人の優しさは何処からくるんだろうって、思ってた。……同時に、こんな素敵な人が俺を好いてくれる理由が、本気で分からなかった」
「……っそれ、は」
「……大丈夫だよ。無理に話さなくていい。俺は、そんな由伊を、好きになってったの。由伊がちゃんと、好きにさせてくれたの。沢山の思い出を一緒に作ってくれた。優しさや愛を与えてくれた。……本当にありがとう」

……ああ嫌だ
心の中、嫌だ、という気持ちで埋まっていく。
死にたくない……本当は死にたくなんかないんだ。
でも、皆を守るためにはこうするしかない。
父さんや、由伊たち、橘や、仲野さんを巻き込まないために、こうするしかない。
……死ぬしか、ない

「……っ、……ゆい、……ゆいぃ……っ」

いまだけ、いまだけでいいだきしめて、おねがい、こわれる、そのまえに、だいすきなてで、……っだきしめて─…

「……っりつくん!」

ふわり、と柔らかく甘い匂いがひろがった。
それと共に暖かさが俺を包む。

「大好きだよ」

耳元で大好きな声が、俺の望む言葉をくれる。

「俺は今でも律くんが好き。これは、運命なんだよ」
「……うん、めい?」

ぎゅうっと強く、強く、抱き締められる。

「そう、運命。俺たちは、運命の赤い糸でちゃんと繋がってたんだよ」

運命の、赤い糸……
……それは、俺と繋がっていて良いのだろうか。
終わる俺と、始まる由伊は繋がっていていい訳ない。

「律くんはこれから、俺と幸せになるの」

由伊の穏やかで優しい声が、冷えきった体にじんわりと染み込む。
これ以上言わせたくない、聞きたくない。
明日には俺は死ぬんだよ。
なんでこんな言葉言わせてるんだよ俺
ダメだ、由伊は俺の居ない世界を生きるんだよ
期待させちゃ、ダメじゃないか
……それでも、優しい言葉が欲しかったのは、俺だ。

「ね?律くん。……俺と、一緒に居よう」

大好きな人からこんな言葉を貰えて、これ以上望むものなんて無い。
……もう少し状況が違えば、満面の笑みで頷けた。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ


しにたくない、 しにたくない

このまま由伊と生きていたい、たくさん、愛して欲しい……由伊の笑顔が見たい、好きって言ってもらいたい……
……ゆい、……ゆい……っ

「…………ゆい、俺の、……さいごの、ごめんと、わがまま、聞いて」
「……え……?」

ぎゅう、と強く抱き締め返して、律はしっかりと言葉を吐き出した。

「…………おれは、っ……ゆいと、……いっしょには、……っいられない……ごめ、ん……っ」
「……え、……なん、で……?」

絶望に染まる由伊の声に、一層涙が止まらない。

「っそんなに泣いて、震えて、好きって言ってくれて、俺だって、好きなのに、なんで?どうして?俺が嫌いって言ったから?怖くなっちゃった?俺の、せい?ごめん、ごめん……っ!!」

慌てて顔が真っ青になってしまった由伊を見て、律はずびっと鼻をすする。

「……ううん。由伊のせいじゃない。俺のせい……ごめんね」
「律くんは、人を好きになれたじゃん!!変わろうと思って沢山頑張ってたじゃん!!親父とも母さんとも、ちゃんと話してくれてた!!それの何がダメなの?まだダメなの?じゃあ何をすれば律くんは赦されるの?何に赦されていないの?!」

焦る由伊が律の肩を掴み、問い詰めてくる。
「……っゆい、ごめん、ごめんね……」
もう、謝るしか出来ない律は困った顔でひたすら謝罪するしかない。

「ごめんじゃ分かんねぇだろ!!ちゃんと言えよ!!なんでだよ!!なんで好きなのに一緒に居れねぇんだよ!!まだ何か抱えてんの?!俺にも言えない!?俺はそんなに頼りねぇかよ!!」
「ちがう!!頼りなくなんかない!!」
「……っ、じゃあ、なんでだよ!!」
「……頼れるから、頼りたくないの。俺はもう何も抱えていないよ。大丈夫。だから、由伊も幸せになって欲しいの」
「俺の幸せは律くんといる事だって言ってんだろうが!!なんで分かんねぇの!?俺の何が足りない!?あと何をすればいい!?」
「ゆ、ゆい……」


「っ俺は……、

律くんの恋人に、なりたいんだよ……っ!!!」


ドクン、と心臓が大きく脈打った。
真っ直ぐに、素直な言葉で伝えられて必要とされている。
俺の恋人になりたいと、俺の想い人は泣きながら叫んだ。
陽の光の反射で、宝石を散らばめたような煌めきを纏う涙を流しながら、
由伊は、泣いた。
同時に、俺はなんで死ななきゃいけないんだろう と思った。
由伊はぎゅっと震える手で俺の手を握り、そのまま言葉を続けた。

「……俺は律くんと釣り合う男になる為に悪い事全部やめた。勉強も頑張って律くんと同じ学校に入った、律くんに見てもらいたくて生徒会もやった、皆に優しくした、律くんのために、口調も改めた、甘い物も、まだ嫌いだけど食べれるようにした!!!」

……勉強とか、だけじゃ無かったんだ。
今知った新事実に、俺は目をぱちくりとさせる。

「……っ俺は、元々素行がクソ悪かったんだ……。っけど!!そんな俺を救ったのも律くんなんだよ!!」
「え、……俺?」

思わぬ自分の登場に首を傾げた。
俺、なんかしたっけ?

「……昔、八年前……小学三年生の頃、俺は家族旅行で律くんの実家の方へ遊びに行ったことがある。……そこで、親と喧嘩した俺は一人で公園で不貞腐れてたんだ」

……八年前って……俺が事件にあった年?

「……公園で一人ブランコ乗っていたら、……律くんが来た」
えっ、俺!?
待って、全然思い出せない……
「……あの日、むしゃくしゃしてた俺は"一緒に遊ぼう"って声をかけてくれた律くんさえも邪険に扱ったんだ。突き飛ばして、怪我させた」
……そんなこと、あったっけ。
「泣くかと思って身構えていたのに、律くんはなんて言ったと思う?」
……えっ、俺なんて言ったんだ?

「"なんでなかないの?"って俺に、言ったんだよ」

……なんで、泣かないの
……思い出した。
「……あの時、ひとりで、ブランコで寂しそうに乗ってて……ずっと、我慢してたから……不思議で……声、かけた……」
由伊は、にっこり嬉しそうに、笑った。
「そうだよ。……律くんは、自分の手から血が出てるのに、赤の他人の俺に怪我させられたのに、君は俺の心配をしたの。おかしいだろ?」
「お、おかしいって……!!」
ムッとして頬を膨らますと、由伊は慈愛に満ちた微笑みを俺に向けた。
……ああ、陽だまりのように優しい

「律くんが言った、俺の優しさの源は、律くんが与えてくれたものなんだよ」

……由伊が優しくしてくれてたのは、俺が、優しくしたから?
そんな、今思い出したようなことを由伊はずっと覚えていて……?

「俺の全ては、律くんで出来てるの。途中、律くんに会えなくてグレたけれど、結局こっちで律くんをたまたま街で見かけて、必死に追いかけた。律くんのためにもっかい生きようって思えた」

……俺のために、生きてる大好きな人
由伊が俺のために生きてくれているのに……、
俺は由伊のために、死ぬのか

「……いちばん最初に告白した日、いっこ嘘ついちゃったね。……本当は律くんのこと好きになったのは、八年前だよ。でも覚えてないだろうし、引かれたら嫌だから、嘘ついた。あの日話した内容は、俺が見惚れた時の話」

世界は、残酷だと知った。
俺のために生きてくれている人がいると知っても、おれには、何も返せない。

「……ねえ俺はね、死んでも律くんを嫌いになんかなれないの。本当に嘘さえ辛かった。律くんはどんどん俺が居ない方がしっかりしてくし、寂しかった」

俺を愛おしそうに見つめてくれるこの人は、……俺のために生きてくれているこの人は、俺が死んだらどうするのだろうか。

「酷いこといっぱいして、ごめんね。俺は、これまでもこれからも、律くんだけを好きなんだよ。律くんの居ない世界で息なんて、したくない」
「……ゆいは、俺が居なくなったら……どうするの?」

悟られぬように、そっと聞いてみた。
由伊は、満面の笑みで言った。


「死ぬよ」


俺が死んだら、由伊も死ぬ。
……それは、俺の望んだ結末じゃないよ。
……それは、凄く困る。
どうしよう。
死んで欲しくない。
「……俺が、死んで欲しくないって……言ったら?」
恐る恐る見上げると、由伊は怪訝な顔をしつつも「ううん」と悩んだ。
「……律くんの望む事は何でもしてあげたいけれど、……それは律くんの居ない世界じゃ意味ないからなあ。……言う事は聞きたいけど……言わばそれは俺にとって呪いかな」
……呪い。
爽やかな笑顔でさらりと言われ、ちょっと不安になる。
この人は、俺のために死を選べる人なんだ。
……そう思ったら、何だかおかしくなって来てしまった。
「……くっ、……ふふっ」
「えっなあに?どうしたの?」
なあんだ、俺たち、本当に運命の赤い糸で繋がってるのかもしれない。
お互いが、お互いのために死を選ぶ、そんなの赤の他人としようなんて考えられないよ。
俺は由伊のために、由伊は俺のために、
自分の人生に終止符を打つ。
この人と死ねたら、幸せだなあ。

「……やっぱり、由伊が大好きだよ」
「っじゃあ……!」

キラキラと表情を明るくした由伊に顔を近づけ俺は、ふにっと自分の唇を重ねた。

「……り、つ……くん」
「……でも、ダメ。……生きて幸せになってね、由伊」

最後の、キス。
最初で最後の、愛の告白。

いちばん大切で愛おしいアナタに、出来て良かった。

呪いは、老いて死ぬまで有効なんだからね、由伊。







「律、おみくじ大凶だったぁ」
メソメソと泣きついてくる文崇に、律は苦笑しつつ俺のと交換しようか?と返した。
「えっ!?律、大吉!?すごいね!?さすが僕の息子だ!!」
ぱあっと抱き着いてくる文崇を宥めながら、甘酒を飲みに行こうと誘導する。
あれから、律は泣いて何も言えなくなってしまった由伊を宥めて、二人、無言で家に帰ってきた。
家族は既に起きていたけれど、由伊はろくに挨拶もせず自室へ篭ってしまった。
京子たちに訳を聞かれたけれど、「喧嘩しました」と誤魔化した。
「わあ!律くん大吉引いたの!?縁起がいいわねぇ!」
由伊の、ご両親も一緒に来ていたので律のおみくじを見て喜んでくれる。
寛貴や真も一緒に来たけれど、早々にお参りをして先に二人で帰ってしまった。
四人で色々回っていると、いつの間にか居なくなっていた父さんが嬉しそうに駆け寄ってくる。
甘酒を飲みつつ目をやると、目の前にチロリン、と鈴の音が聞こえるお守りを差し出してきた。
「どうしたの?買ったの?」
「うん!律にだよ!何処へいっても、このお守りが守ってくれる!はず!」
ふふ、はず、って。
「……ありがとう、大事にするね」
素直に律を言うと、文崇は満足そうに「うん!」と頷いていた。
「さあそろそろ帰る?お家でお汁粉でも食べましょうか」
京子の声に、そろそろか、と律は息を吐いた。

「あ、皆さん先に帰っていてください。俺、少し寄っていきたい所あるので……」

そう言うと、皆は「着いていくよ」と言ってくれた。
そういう人達なのを分かっていたから、律は首を横に振ってわらう。

「良いんです、俺、一人で行きたいので。……なので皆さん、ここまでで大丈夫です。色々、ありがとうございました」

ぺこりと、頭を下げると文崇も含め、京子たちも不思議そうな顔をする。
「あらなあに?どうしたの?お家に帰ってきてね?お汁粉あるんだから」
京子は、困ったように笑う。
律も、しっかりと、本物の笑顔を作る。
ここでもう、一生、皆とお別れだ。

「……はい、楽しみです」

最後の、嘘。

「……律?」

怪訝な顔をする文崇に焦り、律は慌てて言う。

「ちゃんと帰るよ!お汁粉食べたいから!だから、ごめんね」
「……そう。なるべく、早く帰ってくるんだぞ?何かあったら連絡しなさい」

文崇は、厳しめの声でそう言った。
律は、それに「うん」と笑って返した。

「じゃあ、またね」

京子と孝は優しい顔で手を振った。
文崇も、「待ってるぞー!」と大きく手を振っていた。
皆に嘘をついた罪悪感もあるし、みんなの元へ帰れない寂しさもあるし、なんだろうな……。
整理したつもりなんだ、自分の中で。
死ぬ事への葛藤は、必要ないはずだった。
だってそれ以外の選択肢は俺に残されていないのに、足掻いたって無駄じゃないか。
悲劇のヒロインを気取りたいわけじゃない。
被害妄想をしたいわけでもない。
単なる事実なんだ。
三人の後ろ姿を見て、律はぽたりぽたり、と滴を落とした。

「さようなら、みんな」





最後に、さっきまで由伊と居た高台に行き、人生最初で最後の愛の告白をかましたベンチに座り景色を眺める。
橘と仲野に感謝を伝えるためだ。
お世話になった人にはしっかりとお礼を言いなさい、って、言わずに死んだら天国で母さんに怒られそうだ。
母さん怒ると怖いからなぁ……。
父さんが激甘な分、母さんは怒った時とても怖かった記憶がある。
でも、母さんは理不尽な事では怒らない人だ。
筋の通った理由があれば、ちゃんと受け入れて納得してくれる。
……だから、大丈夫かな
そういえば、死んだら俺はどっちにいくのだろう。
天国?地獄?
……由伊を沢山傷つけたから、地獄かな……。
ふふっ、と笑って律はまず、仲野に電話をかけた。
プルルル、とコール音が鳴る。
ツッと途切れると、「はーい!」と元気な声が聞こえてきた。
「もしもし?仲野さん、おはよう。今平気?」
『宮村くん!久しぶりー!なになに、どったの?
元気な仲野の声に安心する。

「ううん、新年の挨拶したいなと思って。あけましておめでとうございます」
『えー!なに律儀ー!でも嬉しい、あけましておめでとうー!』
「ふふ、仲野さん元気だね」
『宮村くんも、なんだか楽しそう!どうかしたあ?』
「どうもしないよ。ただ、楽しそうで嬉しくなった」
『何それ素直だね!可愛いこというー!』
ケラケラ笑われ、何だか恥ずかしくなった。
「仲野さんは今、恋してる?」
『えっ!?恋!?してないしてない!どうした?』
「ううん、仲野さん恋多き乙女そうだから居るかなあって思っただけ」
『はは!なにそれぇー!居ないよぉ、居たら紹介して欲しいくらい!』
「紹介かぁ……橘とかは?どう?」
『宮村くん、それ、橘くんしか友達居ないからでしょお』
「ふへ、バレた?」
『ばればれ!橘くんは、多分なんか違うよぉ。こっち側じゃないと思う』
「こっち側?」
『……ううん、なんでもない!それより宮村くんは?由伊くんとどんな感じ?』
「……ふふ、両想いになっちゃった」
『えっ……えーっ!?うそー!?おめでとう!!おめでとう!!やだあ!!早く言ってよ!!』
「ごめんね、恥ずかしくて」
『何よ可愛いなあー!えっいつから付き合ってるの!?』
「付き合っては……いないんだあ」
『え、なんで?両想いなんでしょ?』
「うん。でも付き合ってはないんだ」
『そう、なの?……そっかあ、まあ色んな愛の形があるもんね』
「うん、仲野さん、良い人見つけて幸せになってね」
『……なあに?急にー』
「ううん。仲野さんの子供可愛い絶対!俺が保証する!」
『なぁんで宮村くんが保証してんのよ!でもありがとうね、嬉しい』
「俺も、仲野さんが幸せだと、嬉しい!
『ふふ、今日どうしちゃったの?可愛いね』
「可愛くないよ、ただ感謝したくなっただけだから!じゃあ、そろそろ切るね」
『うん、分かったよ』
「朝から電話出てくれてありがとう」
『とんでもない。また学校で会おうね』
「うん、またね」

ツーツー、と切なく電子音が聞こえ、仲野の声がなくなった。
色んな事があったけれど、こうして仲良くなれたのは本当に奇跡だと思う。
最後に、橘の連絡先をタップした。
コール音が長く流れ、出てくれないかも、とちょっと焦ったけれどツッと途切れ、眠そうな声で『はい……』と聞こえてきた。
久しぶりの橘の声が、嬉しい。
「……もしもし、橘?寝てた?起こしてごめん」
『んー?……おー!?りっちゃんかあ!?珍しなあ!どないしたん?なんかあったん?
秒速で心配してくれる橘に、相変わらずだなあと微笑みながら街に目をやる。

「何も無いよ。ただ、新年のご挨拶はしとかなきゃなあと思って」
『そら嬉しいなあ。あけましておめでとぉ』
「ふふ、おめでとう」
『なんやりっちゃん嬉しそうやなあ?なんかええ事あったん?』
「ううん。久しぶりに橘の声が聞けて嬉しいだけ」
『……なんやそれー!可愛ええこと言うやん!由伊とは上手くやっとるんか?』
「うん、……両想いになれたよ」
『えっ!?えっそうなん!?そら良かったやん!!ってか、新年の挨拶よりそっちのが早く聞きたかったわー!』
「ふふ、今さっき告白したところだよ」
『そぉかあそぉかあ、良かったなあ。ほなこれから、沢山楽しみが待っとるな』
「……うん、そうだね」
『ん?どないしたん?』
「……たちばなぁ、……俺ね、こっちに引っ越してきてから橘が、初めての友達なんだ」
『……りっちゃん友達居らんもんな!それが俺は嬉しいんやけど!!』
「……初めての友達が、橘で本当に良かった」
『……りっちゃん?なんかあったん?どないしたん、急に』
「何にも無いよ。なんかいい景色見てたら、感傷的になっちゃった!」
『……りっちゃん、泣きたいんやったら泣き?そこ誰も居らんのやろ?泣いたってええんよ』
「……泣かないよ。大丈夫!」
『なぁ、りっちゃん。俺はいつでもりっちゃんの味方やで?なんかあったなら言うてくれ』
「本当に何も無いんだよ、これから由伊のお家に行ってお汁粉食べる予定なんだから!」
『りっちゃん』

……言ってしまいたい、助けて、と。
言えたらどんなにラクだろう。
誰かがどうにかしてくれる事実はどれだけラクだろうか。
「橘、本当に本当に大丈夫!冬休み明け、会おうね。会って、……えっとねぇ、カラオケとかゲーセンとかいってみたい!」
言えるわけない。
大切な人を、巻き込むわけにはいかない。
『……そうか。せやなあ、カラオケ、ゲーセン行こかあ。プリクラなんかも撮る?』
くしし、と笑う橘に安堵して、律も笑う。
「うん!やりたいこといっぱいある!卒業しちゃう前に、ちゃんと、遊ぼうね」
卒業も、出来ないんだけど。
……いや、この場合出来たことになるのか?

『せやな!悔いなく遊んどこうや!俺も学校行くようにするしな』
「へへ、待ってるからなあ?」
『りっちゃん友達居らんもんな!俺が行かなぼっちになってまう!』
「あー!それ言わない約束ー!」
『しとらんもーん!』
「ふふ。じゃあ、そろそろ切るね。朝から出てくれてありがとう」
『おう、電話ありがとな。気ぃつけて帰れや』
「うん、本当にありがとう」
『……学校で、絶対会おうな』
「うん!またね!」
『おう』

終了のボタンをタッチして、橘の声が、消えた。
あれ?俺二人に由伊との事話してたっけ?二人ともどうして知ってたんだろう……。まあもういいか。
すべて、終わった。
最後の最後は、母さんに挨拶をしよう。
立ち上がり、ボーッと道を歩く
ポケットの中で、文崇に貰った御守りの鈴が歩く度に音を立てる。
あそこの公園は、子供たちがよくはしいで駆け回ってる公園。
ここはサラリーマンがよく通っていた。
あそこのカフェは、由伊が一回だけ連れてってくれた。
あのコンビニはよく行く御用達のコンビニで、優しいおじいちゃん店員さんが居た。
……あ、あの花屋さんは……。

「あれ?キミ、この間の子じゃん」

見た事のある店員が、パッと笑顔になって声をかけてくれた。
律は駆け寄ってニコリと笑う。
「この間は素敵なお花ありがとうございました!父がとっても喜んでくれました……!」
「そっかあー!お父さんのためのお花だったのかあ、良かった良かった!今日は?初詣の帰りかなんか?」
綺麗なお兄さんはにっこり笑ってくれる。
優しい笑顔の人だなあ。
「はい、さっき行ってきて今帰るところです」
「そうなのか。あ、じゃあこれあげるよ」
お兄さんは仕舞おうとしていた花を適当に見繕ってくるくるっと簡単に包んで花束を作ってくれ
「今は営業してないんだけど、こいつらを見に来たんだ。ちょうど片付けをしてた所だからあげるよ。お花好きなお父さんにあげてみて。もしくは好きな人でも可」
「好きな人?ですか?」
「うん、君は何となく居そうだから」
ドキリと胸が鳴った。
なんで分かったんだ?
「俺はねぇ、そういう勘が人一倍鋭い!因みにキミは、今日は真っ直ぐおうちに帰りなさい。フラフラしていて危なっかしいよ」
ビシッと言われ、ビクッとする。
……な、なんなんだこの人……なんか、怖いな。
怖いというか、見透かされていて不安になるというか……。
「……ありがとうございます、これ、大切にします」
「ふふ、可愛いね。切り花だから長くはもたないけど、大切にしてやって」
「はい!」
「また来てね」
「はい!また……!」
切り花でも手入れをこまめにやれば、それなりにもつ。
これは、母さんにあげよう。
あ、そのまえにこの花の写真を由伊と父さんに送ろう。
父さんと、好きな人にって言ってたしな。
この花、なんて名前なんだろう?
まあいっか。
律は心做しかルンルンで、母の待つ家へと帰った。
ガチャリと、合鍵で鍵を開けてまだ央祐が居ないことを確認して、ホッと息を吐く。
靴を脱いで、花を持ち仏壇の前に座り、線香を焚いて手を合わせ目を瞑る。



助けて欲しかった。
誰かに引っ張ってもらいたかった。
そばに居て欲しかった。
いい子にするから、悪いことしないから、
だから、
幸せになりたかった。
いや、幸せだった。
母さんと父さんの子供に生まれたこと、
二人に愛されたこと、
素敵な友人に出会って、
恋をしたこと。
人を愛する大切さと、嬉しさ、あたたかさ、優しさ、
色んなことを知って死ねるのは、幸せな事だと思う。
ねえ、母さん。
俺は母さんの息子で凄く幸せだよ。
母さんが亡くなっても、それは永遠に変わらない
母さんの本読んでいた時のあの横顔がすごく好きで、父さんとよく眺めていた
母さんが亡くなって絶望して、それでも父さんと何とかやってき
途中、辛いことが沢山あったけど、素敵な人と出会えたんだ
母さんが出会わせてくれたのかなあ?
あとね、父さんにはいっぱい迷惑かけちゃった。
だから、守りたいと思った。
そう!守りたい人が出来たんだよ!
友人や、友人の家族……
まさか俺にそんな人が出来るなんてね!びっくりでしょ?
母さんだったら、なんて言う?
俺が男の人好きになったよ、なんて言ったら、笑ってくれるかな?
母さんも父さんも、きっと笑うんだろうね。
「良かったね」って言ってくれる?
言って欲しいなあ
俺ね、母さんに毎日会いたくなるよ
なんで居なくなってしまったのって毎日思ってた
母さんと一緒に行きたいところいっぱいあったんだ
もし母さんが行けなくても、俺がいって写真なりなんなりして見せてあげたかった
母さん
なんで居なくなっちゃったのか
何度俺が代わりに死んでればって思ったことか
でもね母さん、俺もうすぐそっちに行けるんだ
母さんとまた会えるんだよ
会ったら抱き締めてくれる?
頭撫でてくれる?
頑張ったねって言ってくれる?
……怒らないで欲しいな
怒られるのは、いやだ
母さんと笑って過ごすんだ
だから、死ぬの、怖くないよ
……でも母さんは、怖かったのかな
俺は母さんが居ると思えるから安心出来たけど、母さんは先に誰も居なくて、怖かったのかな。
俺、生まれ変わっても母さんの子供に生まれたい。
今度はお互い、元気で健康に生きたいよね。
俺もし、央祐さんと何も無かったらどんな人間になってたのかな。
いっぱい笑って、怒って、泣いて、やっぱり恋したりしたのかな。
今更何考えても無駄だよね。
未来を捨てると決めたのは、 俺だ。
ゆっくりと目を開け、写真の中の母さんと目が合った。
微笑めば、どことなく微笑んでくれた気がした。
父さんが、引っ越した先でもわざわざ一軒家にしてくれたのは、俺が他人と関わるのを避けれるため。
他人の生活音にさえ怯えた俺は、父さんにそこまで迷惑をかけていた。
それでも、父さんとの思い出が詰まるこの家は宝物だ。


「そいえば、由伊も看病するのに、来てくれたっけ」

あの時は本当に死ぬかと思ったなあ。
喘息が出ちゃって……本当。
由伊家族のみんなにも迷惑しかかけてなかったなあ。
俺、ほんとダメダメだな。
このまま生きていたらどんな人生を歩んでいたんだろう?
サラリーマンかな?俺、働けるのかあ?
畳にごろんと横になり、自嘲気味に笑う。

「……ふしぎだ、……本当にこわくない」

これから死ぬと言うのに、全く怖くない。
笑ってしまうね。

「律、本当に来てくれたんだあ」
視界にバッと顔が映り、少しビックリした。
「嬉しいなあ、居ないと思ってたもん」
央祐さんはニコニコで律を見下ろしていた。律はにっこり笑う。
「約束したし、待っててくれたから」
そう伝えると、少し驚いた顔をされる。
央祐は、はにかみながら俺を見た。

「……律、俺と死ぬの?」
「……えっ、なんで?」

まさかバレてるとは思わなくて、ビックリしてしまう。
「怯えてないから。律、全部諦めてきたんだ」
……諦め……?
俺は何も諦めてない、終わらせてきたんだ。
「……そっかあ、俺も死ぬのかあ」
……何を言ってるんだ相変わらずこの人は。
殺されるってわかっていて呑気な。

「死ぬなら、文崇に殺されたかったなあ」
「……っ」

それ、俺も同じこと思っていた。
俺は、由伊に殺されたかった

「……でも、こういう結末もアリかもね」

にっこり、笑う央祐は相変わらず何を考えているのか分からない。
大体俺は、なんでこの人を殺そうとしたんだっけ……。

「……俺、央祐さんのこと大好きだったんだ。……今でも央祐さんは、俺が言う事聞かなかったら、父さんに酷いこと、するの?」

最後の、望みだった。
央祐は、切なく、笑った。
……そう、この人は昔から悲しくても怒っていても、ずっと笑っていた。
そんなあなたを、慕っていた。

「……それが俺の、"アイノカタチ"だからね」

あいの、かたち。

「……なら、……仕方ないよね」

律は、仏壇に置いてあるマッチを手に取った。
シュッと火をつける。
初めは怖かったマッチも、いつの間にか母のためだと思って練習したら、つくようになった。
この日のためにじゃ、無いんだけどな。
ポイッと畳に放れば一瞬で火が回る。
手を動かした瞬間に、御守りの鈴の音が鳴った。

「……律は、これでいいんだ?」

律の頬に手を伸ばす央祐は、微笑む。

「……うん。全部、終わらしてきたから」
「……そう。切ないね。お前は……誰よりも、……」

煙を吸って、肺が苦しくなる。
ひゅう、ひゅう、と呼吸が荒くなり、律は胸を抑えて蹲る。
央祐はそんな律を何故か、抱き締めていた。
最後に、抱き締められるのがこの人にだなんて、
ああ、由伊はもし俺が生きていたらどんな愛をくれたのかな。
今までみたいに、大好きー!って言ってくれたかな?
結婚しよう、だなんて言われたりして。馬鹿だなあ、俺は男だから結婚も、子供も産めない。
当たり前の幸せは、由伊とは迎えられない。
胸に抱いた母さんの遺影にも笑われている気がした。

「……ふふ、馬鹿なんだあ……俺は……」

一人呟いた声は、轟々と燃え盛る炎が家を焼き尽くす音に消えていった。

ああ、これで終わり。

知りたかったなぁ最後に、

未来で笑う俺の大切な……

愛おしいアナタの

『アイ』の形を。




"さようなら"









ai


【第一部:Iと蛇】





※「ai 第一部」文庫本販売中です。次ページに詳細あります。


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