小さな春-後編-



ガチャリと玄関が開く音がして目が覚めた。
いつの間にかダイニングテーブルに腰かけたまま眠ってしまっていたようだ。

「ただいまー……律くん今日も起きててくれたの。ありがと」

額に軽いキスを落とされ「うん、おかえり」と頷く。

「……夕飯は?」

「んー食べたいけど、先に風呂に入ってくるよ。俺が自分でやるから律くんは座ってて平気だよ」

「……うん」

陽貴は静かに寝室の扉を開け、こはるの寝顔をニコニコと眺めてこはるにも頬にキスを落として鼻歌を歌いつつ脱衣所へと入って行った。

陽貴の夕飯の用意をしながらぼーっと考える。
陽貴はなんで俺に何も相談してくれなかったんだろう。

俺らは確かに色々あったけど今は夫婦なわけだし、こはるの親は陽貴だけじゃない。
正真正銘俺が産んだ子だ。

なら二人の子供の問題には二人で取り組むべきじゃないのか。
確かに陽貴は昔から心配性で過剰なくらいだったから、今も俺の事を心配して仕事の愚痴も言ってこないし、嫌なことがあったとかも何も言ってはくれない。
「疲れた」という小さなことも陽貴は俺の前では一切言わなかった。

体の弱い俺に気を使ってくれているのはありがたいが、ここまで気を使われると、逆に自分が陽貴やこはるの生活を邪魔しているんじゃないかと思ってしまう。

事実、邪魔をしているんだけど。

でも二人が俺を頼れないのは、俺が頼りないからだっていうのも分かってるし、……わかってるんだけど、……俺は今、とても寂しい。

折角家族になれたのに、俺はまた家族を傷つけてしまうのは嫌だ。








「あれ?夕飯用意してくれたの?ごめんね。ありがとう!」

にっこり優しく笑う陽貴に、心がズキリと痛む。

「うん。体冷めないうちに温かい物食べたほうがいいと思って」

俺も口角をあげれば、陽貴は不思議そうな顔をしてじっと俺を見てくる。

「律くん、なんかあった?」

「え、なんで?」

咄嗟に声が上ずりそうになって慌てて唇を噛む。

「さっきこはるの頬に涙の跡があったし、目じりが赤かった。律くんの雰囲気もなんかもやぁってしてるし、……こはるとなんかあった?」

相変わらず陽貴は細かいことにすぐ気づく。
結婚してから、より俺たちの変化に機敏になった。

「……あのさ、陽貴」

俺は意を決して、口を開くことにした。

「……俺が体弱いのとか、あんまり気にしないでほしい」

「え?」

陽貴は思いもよらなかったというような顔をして、ぽかんと俺を見ている。

「俺さ、別に重い病気患ってるわけじゃないし、ただ体力ないだけだし、悪化するとかしないとかそれは俺が気をつければいいことだし、発情期もこはる産んでからは軽くなったし、最近喘息も出なくなったし、だから、陽貴は何も考えなくて大丈夫」

息つく間もなく一気に喋ると、陽貴は「ちょ、ちょっと待って!」と掴んでいた箸を置いて声を上げる。

「陽貴、こはるが起きちゃう」

目を見つめて言えば陽貴はハッとして口を噤む。

「……ねぇ、それってどういうこと?……まさか、別れ話……とかじゃないよね」

陽貴の雰囲気がピリつき、びくっと肩を揺らす。

「ねぇ律くん」

険しい口調で言われ、俺も口を開いた。

「……別れなんかしたらこはるが困るだろ」

俺のセリフに陽貴は「……は?」と声を震わせて立ち上がる。

「それは、こはるが居なかったら別れるってことかよ」

陽貴は拳を震わせているのが分かる。

「……今のままじゃ、遅かれ早かれそうなるでしょ」

ああ、俺は何言ってんだ。
こんなこと言ったらますます陽貴が怒ってしまう。

「……ねぇなんで?俺の事嫌いになった?俺なんかした?」

陽貴は俺の元へ来て肩に手を置く。

すがるような泣きそうな陽貴の顔に、俺も泣きそうになりながら口を開いた。

「……陽貴さ、こはるの事で俺に隠してること、あるでしょ……」

「隠してること?」

陽貴はキョトンとして俺を見つめてくる。

「……こはるがいじめられてる事は、俺も把握してたじゃん。でもこはるは俺に何も言ってくれないから、一人で溜め込んでると思ってたのに、……本当は陽貴にだけ言ってたって」

「あ……」

陽貴は思い当たる節があるのか罰が悪そうに目をそらした。

「俺ってそんなに頼りない?体が弱いのがダメ?心が弱い?こはるの親に、俺はなれないの?」

心臓がドクドクしてきて、目頭が熱くなる。

「律くん、ごめん。そんなことないんだ。律くんは弱くなんかない」

ぎゅっと陽貴に抱きしめられ、ふわりと”家族の匂い”がする。

「違うんだよ、律くん。律くんは立派すぎるから……一人で抱え込むの、大得意だろ?それに、俺よりもこはるといる時間が長いから、よりこはるとその問題と向き合わなきゃいけなくなる。そしたら律くんは、俺に言えない感情や考えに苛まれるでしょ、絶対。もう何年も律くんを見てきた俺は、そうなるってわかってたから……」

……それは、そうだ。
でもそれぐらい、陽貴が仕事を頑張ってくれている時間ぐらい俺だって頑張れるんだ。

「でもごめんな。これは二人で考える問題だった。俺が悪かった」

陽貴はぎゅうっと俺を丸ごと抱きしめてくれる。
この暖かさが心地よくて、さっきまでドクドクしていた心臓が、緩やかになった。

「……俺、こはるの事は陽貴と考えたい……。頼りないかもだけど、……こはるの親で居たいし、俺だって家族を守りたい……」

「うん」

「俺が、女じゃないから、こはるがいじめられてるってわかってる。だから、こはるも陽貴も言いづらかったのも分かってる……俺が、女だったら、こんな事起きなかったのも……」
「律くん、それは違う」

陽貴は俺から体を離し、顔を覗き込む。

「律くんは男だけど、それは律くんが産まれたときから決まってることで、それを承知で俺は律くんと結婚した。たまたま律くんが子供を産める体だったからこはるが産まれた。それは全部奇跡なんだ。逆に俺が女だったら、って俺だって思うんだ。俺が女で律くんが男だったらって。でももうそんなの関係ない」

陽貴は穏やかに笑う。

「だって俺らはもう家族なんだよ、律くん。女だったら男だったら、そんな悩み不毛なんだよ。他人になんて言われようとこはると血がつながって、こはるの親になったことは誰にもひっくり返せない事実。こはるはさ、幸せだと思うよ、俺は」

「え?」

「だって、他人の家庭環境や、性別なんかをネタにして他人を簡単に攻撃するような親の元に産まれたら自分で気づかない限り、子供もそういう大人になる。でも今こはるは、俺たちが世間から言われていること、自分がいじめられてる状況を“おかしい”と思えてる。それは紛れもなく素晴らしく正しい成長で、俺らが沢山頑張って生きてこはるを、俺らお互いをお互いが愛した結果じゃないかな、律くん」

陽貴の言葉が固まっていた心にじわりじわりとしみこんでいき、涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「ねぇ律くん、俺はねすごく幸せなんだ。俺が律くんやこはるの前で愚痴を言わないのは、幸せな空間を汚したくないからなんだ。律くんが頼りないからなんかじゃない、絶対。その証拠に、俺は律くんにいっぱい甘えてると思うよ?」

「え、いつ?」

陽貴の言葉にびっくりして訊き返すと、陽貴は俺の腰を引き寄せた。

「こうやって夜起きて待っててくれるのも心配だって口では偉そうなこと言ってるけど、本当は毎日期待してるし、朝、律くんは絶対俺より早起きして起こしてくれるでしょ?でも俺時々律くんより早く起きてるときあるんだけど,律くんに起こしてほしくて待ってるし、ネクタイもわざと曲げてつけたり、それに……」

「ま、まだなにかあるの……」

思わぬ暴露に俺は顔が熱くてたまらない。
朝起きてたときあるって、もしかして俺がこっそりキスしてから起こしてるもバレてるかもってこと!?
ああああああああああああああ恥ずかしぬ!!!!!!!

「……あと、夜の営みも、たくさん甘えてるでしょ?」

艶めかしくささやかれ、ボッと顔が熱くなる。

「よ、よるの、ぃと……なみ(小声)とか、親父くさいんだよ!!」

「まあ俺らももう30近いからねぇ」

軽快に笑う陽貴に呆れつつも、俺もなんだか悩んでたのが馬鹿らしくなってくる。

「今日さ、こはるを公園に連れてったら、こはるがクラスの子に暴言吐かれちゃってさ。やっぱり俺の事で……。でもこはるはそれを怒ったんだ。ちゃんと、俺みたいに逃げずに立ち向かってた」

陽貴にそっと寄り添ってすりすり頭を擦り付ける。
陽貴は俺の頭を優しく撫でた。

「あの子はさ、色々話聞いてるとさすっげぇ強いんだよ。俺らなんかよりよっぽど人に流されず生きててさ、こはるの方が相手にやりすぎてる時もあるらしい」

陽貴は楽しそうに話す。

「俺も、こはるが危険だと思ったら流石に律くんに話したし、転校させるなりなんなりする。けど現状、こはるを見ている限り、子どもたちは周りの大人に流されて言っているようなもんだったから、まだ様子見にしてる。でも律くんが心配だったら、こはるの気持ちを訊いて別の所に引っ越すのもいいかもね」

陽貴の言葉に俺は頷く。

「もし、こはるに何かあったら俺は何でもするつもり。でもそれは俺もちゃんと陽貴に話すから、陽貴もこれからは俺に話してほしい」

「うん、そうだよね。ごめんね」

陽貴は優しく微笑み、見上げる俺の唇にそっとキスをした。

ふふ、と笑いあった俺たちは二人で夕飯を温めなおし、二人でソファに並んでココアとコーヒーを飲みながら、これまで俺が知らなかったこはるの話をたくさん聞いて、二人でこはるの元へ行き、川の字になりこはるの上で陽貴と手を繋ぎ、眠りについた。

その日の夢は、家族でピクニックに行く幸せで楽しい夢を見た。

陽貴と律がこはるの授業参観日に赤面することになるお話は、また後日……。



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画像はでこや様より
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