5


宇佐美は知らないのだ。
人に嫌われる事に慣れてはいても、人を嫌う方法までは分からなかった。
それは宇佐美がこれまでの人生で誰も嫌ってこなかったようなお綺麗で優しい人間だからではない。
自分に押し倒されたこの後輩には何もされていないから である。
無害な人間をどうやって嫌えるだろうか。
嫌う理由なんて毛頭ない。そりゃあいくら宇佐美が遊び歩いていたとしても、それは噂でもない単なる事実であるが、無理矢理押し倒されたり馬乗りになられたりすればそれは流石に嫌な気持ちにはなる。
けれどもこの後輩は、健気に宇佐美に弁当を作ってきたり何もせずただ傍で文句垂れつつも添い寝をしてくれたり、自分にも他人にも正直で、今回だって宇佐美に対しての感情にただ、嘘がつけなかっただけなのだ。

だから宇佐美は嫌いになれなかった。
だから真宏に嫌いになって欲しかったのだ。

……だけど愛を、受け入れる事も宇佐美には出来なかったのだ。





出来損ないヒーロー #5





真宏は自分を押し倒す目の前の端正な男の顔を見上げる。
この男は散々な噂があるくせに、擦れていないのだ。
真っ直ぐな瞳で真宏を見下ろす。
けれどその瞳はいつも、何かに縋りたがっているように見えた。
碧色の、世界でひとつの色の中に俺が写っている。

宇佐美はもしかしたら、知らんぷりして生きてきたのかもしれない。
……自分の傷に気づいていたけど気付かぬフリをして生きてきてしまったのかもしれない。
自分を守るために殺した心が、いつの間にか自分を蝕む凶器に、変わってしまったのかもしれない。
……それはあまりにも、残酷な話だ。
「……先輩は、"俺が先輩を嫌いになれるように手伝う"って言ったじゃないですか」
「せやな。有難いやろ、嫌いになれるんやで」
「それはなんで? どうして俺は先輩を嫌いにならなきゃいけないの?」
「それは……」
焦ったように言葉を続けようとした宇佐美は、ハッとした顔をしてふいっと真宏から目を逸らした。
真宏は思わず宇佐美に手を伸ばすと、バシンッと音を立てて振り払われた。
「っ触んなや!!」
完全なる敵意、憎しみ、怒り、拒絶……
それ以外の色はなくて、完全に、嫌われたんだと知る。

宇佐美は立ち上がりちゃぶ台上にあった白い箱の煙草とショッキングピンクの百均ライターを持ちベランダに出て行ってしまった。
真宏は振り払われた手が赤くなっているのを見て、グッと拳を握り締めて宇佐美がタバコを吸い終わるのを待った。










「悪かったなぁ」
暫く、タバコが吸い終わるのを体育座りで待機してた真宏は、ガラガラと音を立ててタバコの匂いを身にまとって戻ってきた宇佐美に謝られた。
パッと見上げると、宇佐美はへらりと笑った。
「いやぁすまんすまん! 叩くつもりは無かったんよ! 痣になっとらん? ほんまごめんなあ」
へらへらといつもの宇佐美に戻ってしまった。
真宏は宇佐美をじっと見つめ続ける。
「……なんで隠すんですか」
そう訊けば、宇佐美は「んー? なにがあー?」とニコニコする。
「俺、その顔嫌い」
ギッと睨めば、宇佐美は何故か嬉しそうに「そぉかぁ」と笑う。
どうしてそんなにわらうんだ。笑いたくなかったから、あんな暗い顔してたんじゃないのか。
……よく分かった。お前がそうくるなら俺だってやってやる。
「先輩は自分と向き合いたくないんですね。ビビってんですか?」
「……なんのはなし」
「今までもそうやって、苦しくなったら煙草吸って外眺めて忘れた気になってたんですね」
「……真宏」
「だから自分の気持ちも理解出来ないくらい麻痺しちゃったんだ。殺し続けたから」
「……真宏、ええ加減にせぇ」
「へらへらしたくないクセに笑ってなきゃ立ってられないんでしょ、自分で居られないんでしょ」
「おい」
「アンタのそれは、強さなんかじゃない。美学のつもりでも、そんなのは全然カッコよくねぇから!!」
「黙れ!!」
宇佐美は真宏の胸ぐらを掴み、思い切り怒鳴った。
ビリビリ、と体に響く大声を、真宏は初めてきいた。
これは、心の奥底から出た言葉なんだ。

「……俺の事知らんくせに俺を語んなや」

怒気をはらんだ低い声に、怖気づきそうになる。
けど、今ここで逃げ帰ったらそれこそもう宇佐美と関われなくなる気がして、それは殴られるよりも嫌だ。

「……ええそうですよ。俺は知らないんですよ先輩を全くこれっぽっちも。だったら、こんな奴の言葉になんて振り回されなきゃ良いじゃないですか。結局、図星だから苛つくんだろ。図星ってことは、俺は先輩を多少なりとも見れてるって事なんじゃないんですか」

「調子乗んなガキ」

「乗ってねぇよタコ。俺は、先輩が好き。もう嘘つかない誤魔化さないよ」

「そんなんやったら犯したるよ。レイプ魔やったら嫌いになれんねやろ」

久々に、凄く、頭にきた。
真宏は宇佐美の胸ぐらを掴み返して、ダンッと壁に押し付けて睨みあげた。



「俺は、宇佐美 壱哉が好きだ!!
犯すなら犯せ!!
だけど、俺はお前に何されても、

絶対嫌いになんてなってやんねェからな!!」




ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく。
何がこんなにムカつくんだろうか。
今、驚いた顔で自分を見下ろしているこの男の顔が歪むぐらいにムカつく。
「……なんで、お前は……」
宇佐美は言葉が出ないようでぽかんとしたまま、何も喋らなくなってしまった。
そのまま手を離すと、ずるずると脱力してしゃがみこんでしまう宇佐美。
真宏は久しぶりに出した大声に、息が切れてしまい肩で息をした。
「……なんでって、先輩が逃げるからですよ」
「……え?」
力無く見上げられ、真宏も宇佐美の目線に合うようにしゃがみこむ。
「先輩が、俺から……人から逃げようとするから、絶対離さねぇって思っちゃいました」
宇佐美は顔をぐしゃりと歪ませ、頭を抱えた。
「……意味分からん。……俺が、嫌いにさせたるって……」
「そういうの、求めてないんで」
「……っでも!」
何故か今の宇佐美が、怯えた小さい子供のようでどうしようもなく……愛おしくなる。
好かれることを怖がる宇佐美の気持ちを、好かれることが当たり前の人生だった真宏には分からない。
けれど、ただ真宏は宇佐美の事が好きなだけなのである。
宇佐美が好きで、宇佐美と共に居たくて、たとえ好かれていなかろうと自分が相手を好きな事に変わりはないのだ。
真宏はただ、宇佐美を好きである自分を信じているだけなのだから。
「俺は先輩が好きなんです。俺の好きな人をこれ以上卑下しないでください。それが例え先輩本人でも、俺は嫌です絶対」
唖然とする宇佐美の両手を優しく握れば、その手は僅かに震えていた。
「……先輩、怖いですか?」
「……」
「人が、怖いですか?」
目を見開く宇佐美は、まるで何かを怯えていた。けど、ふいっと目を逸らされてしまう。この人がどうしてここまで追い詰められてしまったのか分からない。
「ねぇ先輩」
けど真宏には、宇佐美の過去なんて関係ない。
真宏が宇佐美を好きな気持ちに、暗く深く渦巻く何かはこれっぽっちも関係ない。

「俺と、一緒に生きませんか」
「……は?」

ぱっと目が合った宇佐美の頬をパシン、と優しく挟む。
「"『はぁ?』て言われんの嫌い"でしたっけ?」
微笑めば、宇佐美の肩がピクリと揺れた。
「……なんで……なんでお前はいつも、そんなまっすぐなん……」
宇佐美は弱々しく呟いた。この人は時折、苦しげに吐き出す。
それを、拾ってやらなきゃ、次二度と言ってくれることはないんだろうな、なんて直感で思った。

「なんだかんだ言って俺はきっと人が、好きだからです」

人は、時に傷つけ合い憎しみ合い、非道な事をする。
癒えない傷を与え合い、抱えていく。
けれどそんな人を、救い、造り、愛すのもまた、人間なんだ。
人がひとりで生きていけない、というのは、
"傷ついたまま死ぬな"
そういう意味でもあるんだと、真宏は思う。

どうせなら、足掻いて、もがいて、愛されてその幕を閉じたいだろ。
誰だって、人生の主役なんだから。

「……はは。あーあ、なるほどなぁ」
宇佐美は俯いて、前髪をかきあげ乾いた笑いを零す。
「……俺は人が嫌い。自分も含めて、心底憎いし嫌い」
綺麗な瞳を、そこまで濁してしまったのは何なのか。
底なし沼のような暗さを持つようになってしまったのは、どうしてなのか。
……知りたい。彼をもっと、もっと、知りたい。
相手を知らなきゃ、愛せないのだ。
「俺は、お前みたいにはなれへんわ」
悲しく、全て諦めたように、捨てたように、微笑む宇佐美は、か細く切ない。
「せやから、バイバイや、真宏。お前は元いた場所に帰れ」
「俺の居場所は俺が決める。俺がしたい事も俺が決める。そんなに俺に離れて欲しいんだったら犯すなりなんなりやれよ。でも絶対俺は、先輩から離れない」
「……ッしつけぇな!! 俺はもうお前と関わる気はない。何言われてもお前の気持ちには応えられへんし、お前を好いてへんねや俺は!!」
「じゃあ俺の気持ちなんて無視しなよ。先輩は人が嫌いなんでしょ? 憎いんでしょ? 俺も先輩が言うような"人"と同種なんでしょ、じゃあ、無視して俺をズタズタにすればいいじゃん」
「……」
「……ほら、出来ないんじゃん。出来ないよ、先輩は。……だって先輩は、優しいもん」
自分のいい所を知らないなんて、可哀想なひと。
「俺は、……お前に優しくしたつもりは……」
「したよ。先輩はもれなくしちゃってるよ、俺に。痴漢を助けてくれた、弁当美味しいって言ってくれた、俺の友達を邪険にしないで接してくれた、喧嘩に巻き込まれそうな時助けてくれた、……今も、俺が傷つかないように、自分が悪者になって嫌いにさせようとしてくれた」

これのどこが、"優しくない"と思うんだよ、宇佐美。

「……っそんなの、全部社交辞令やろ」
「でも俺はその優しさを信じた」
「……」

「信じたんだよ、宇佐美。
……やらない善よりやる偽善の方が、俺は好きだ」

宇佐美の白い頬を両手で包み、綺麗な瞳を覗き込む。
……ああなんだやっぱり、綺麗じゃないか。
光を取り込めば、キラキラ輝いて、美しいよ。


「……そんなに不安ならさ、先輩。
夏休みの間だけ……43日間だけ俺を信じてみてよ、
絶対 後悔させないから」

その光を守りたい。二度と、暗闇に閉じ込めたくない。
俺は宇佐美を、守りたいんだよ。

「…………確証がないもんは、信じられへん」

小さく震える宇佐美は、ゆらゆらと瞳を揺らして惑う。
だから真宏は、こっちだよと、道標になる為に光をうつす。
俺が先輩の光になる。
だから、先輩は俺を信じて歩いてきて。

「……ゆっくりでいいよ。ゆっくり、先輩の持ち前のマイペースさでさ。笑って、泣いて、怒って息してれば、あっという間だよ」

人生なんてあっという間なのだから、一分一秒でも早く長く、笑おうよ。

「……出来んのやろか、俺なんかに」

泣かない宇佐美は、代わりに弱々しく俺の手を握った。
真宏の手首に跡をつけた人間と同じとは思えないくらい、弱々しく頼りない手だった。




「何言ってんの、当たり前でしょ!
先輩は超ゴーイングマイウェイのナルシスト、
宇佐美 壱哉だろ!
そこに俺が加わるんだ、出来ないはずがないですよ」



……だからお願い、今日を最後なんかにしないで。









「なんでお前は、俺を好きになってしもたん? やっぱ顔か?」
一悶着経て、ボーッとスコーン齧りながら言う宇佐美の横で、真宏は「アホか」と突っ込む。
「まあでも顔に惹かれなきゃ中身を知ろうとは思わないよね」
「うわぁ!! まひくんピュアハートやと思っとったけど、強かやなぁ!!」
ゲラゲラ笑われるけど、それをチラリと横目で見て溜め息吐く。
「ね、先輩。ちゃんと夏休みだけ付き合ってくれる?」
念の為先程の会話の確認のためにそう問えば、宇佐美は「んぉー? んー」と曖昧な返事をした。
「え、何、嫌なの? なんで?」
ジリジリ詰め寄ると、宇佐美はパッと目を逸らしつつ諦めたように再び真宏に視線を戻した。
「……別にええけどさぁ……俺、……お前を好きにならへんよ?」
少しだけ、ツキリと胸が痛んだ。でもそれは初めから分かっている。
この人は、俺を好きになってはくれないだろう、と分かっている。
「お前に近づいたのも、頼ったのも、お前が他の人間より裏表無いからやし、……せやから、勘違いさせてしもたんはすまんのやけどさぁ……」
「……いいんです別に。貴方が俺を好きになるとか端から思ってないんで」
「へ?」
真宏の中で何となく諦めはついているんだ。
「……けどその上で、俺は貴方と恋人ごっこがしてみたいんです。好きにならないんなら、こんな年下の遊びに付き合ってくれても、いいでしょう?」
ただの遊びなのだから。
「……まあええけど。……俺、マジで好きな奴居るで。ほんまにそれでええの? 真宏は、そういう遊びするタイプとちゃうやん」
じゃあ付き合ってくれるのか、……そう言ってしまえたら、ラクだけど、宇佐美の困る顔は見たくない。
……てか好きな人、居たんだ。
「いいんです、ごっこで。その好きな人に呼ばれたらそっち優先してくれて構いません。俺は単なる暇つぶしとして付き合ってもらえればいいので」
にっこり笑って言えば、宇佐美は「はぁ……」と深い溜息を吐いた。
「……なら、……ええけど」

迷惑なんだろうな、きっと。
分かる、分かるけど、……ちょっとぐらい俺も宇佐美に愛されてみたいんだよ。


……だから、ごめん。
少しだけ、俺を見ていてください。


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