#20


卒業生代表挨拶のアナウンスが体育館に響く。
体育館二階の窓からは揺れる桜の花が見える。
啜り泣く女子生徒の声や、どこか浮き足立つ生徒たちの雰囲気は卒業式独特のものだなと在校生である真宏は、開式の辞後の国歌斉唱を口ずさみながらぼんやりとその様子を眺めた。

桜が艶やかに咲き誇る今日、宇佐美とマオ含む三年生が卒業する。


出来損ないヒーロー 卒業


俺が宇佐美に恋した理由は、どれか1つ飛びっきりってわけじゃない。
強いて言えば全部中途半端に好きで、中途半端が沢山あわさって大好きになった。
やだなって思うところもあるし、大好きで大好きで仕方がないって所もあるし。

恋をして付き合ったら、無条件でずっと一緒にいられる。
漫画やドラマではよくそうやって綺麗な人生が描かれている。
でも、おじいちゃんおばあちゃんになったヒロイン達を描いて終わる作品は案外少ないのもまた相反して事実。
それは結局、ドラマや漫画のような作品になるほどの人生の瞬間が訪れたとしても、それが永遠とは限らないことを意味しているのでは無いかと俺は思う。
だから先は描かない、描く気がない。永遠とは限らないから。

宇佐美はきっとこの先も、義父とカレンと「宇佐美家の長男」として会社の跡を継いでキラキラした毎日を送るのかもしれない。
かれんさんは美人だし、宇佐美も綺麗だから生まれてくる子供はきっと世界一可愛いし。

派手な赤い髪は少し見ない間に黒く清楚に染められていた。
着崩していた制服が初めてきちんと着られていて感動した。
アクセサリーなどなくとも彼はカッコよかった。
うん、さすがは俺の『元』恋人だ。

卒業証書授与式に移る一同は席につき、名前を呼ばれ始めた三年生を一人一人眺めていく。
「宇佐美 壱哉」
「はい」
三年で特進組だった宇佐美は早いうちに名前をよばれていた。
誰よりも背が高くすらっとした目立つ彼がスッと立ち上がると、保護者席が一瞬ざわついた。在校生からもわずかに「きゃあ」などと声が聞こえてくる。
真っ直ぐ伸びた背筋に真宏は「あ」と思う。
宇佐美はいつも背が高いからかわずかに背を丸めているのが癖だった。
若干猫背だったのに今は全くそんな面影が微塵もなく、しっかりと胸を張っていた。
真宏はそんな宇佐美の背中をじっくり目に焼き付けて、一足先に体育館を出て中庭に向かった。
勿論人の気配などなく、真宏はベンチに腰を下ろして1人、空を仰いだ。

宇佐美と別れる事が決まってからこの1年間は、真宏の中で意図せず、心の準備期間となった。
これから宇佐美とやる事の全てに「最後の」という枕詞がつくようになるのだ。
そんな最後の1年間を振り返るように真宏は目を瞑った。


二人青空の下、お手製のお弁当を作って原っぱの上でピクニックをしたのは確か、春の晴天の日。
バイトで明け方帰宅した宇佐美を叩き起した。
真宏にとって高校生活二年目の春休み。
かれんから宇佐美との結婚を聞かされて数日後の日の話だった。
「宇佐美ー!デートしよぉー!」
布団にくるまる宇佐美の上にドスンっと、寝転ぶと、宇佐美は「うっ」とくぐもった声で目を冷ました。
「……まひ、俺さっき帰ってきてな……」
「今日は、デートですよほら先輩この間、どっかデートしたいーって言ってたじゃないですか!ほら!起きて!」
「まひくん……聞いてぇ……」
掠れた声で頭を抑え、顰めっ面をする宇佐美なんて気にも留めず、真宏は宇佐美をぐいぐい引っ張った。バイトで明け方帰宅の宇佐美はなかなか起きあがろうとしなかったが、しつこくひっぱていると宇佐美は欠伸をしつつ、真宏に引っ張られるがまま立ち上がり洗面所へと歩いていった。
「デートてどこ行くん?」
歯磨きと洗顔を済ませた宇佐美は、台所で準備をしている真宏に、うさひろから抱きついてきた。ふわっと香るのはミントの爽やかな香り。
「デートです」
「だからぁ、どこに?」
「んー、どこがいい?」
「きめてへんの?」
「うんー。でも宇佐美とどっか行きたいの」
「なんやねんかわええなあ」
後ろから、チュッチュとキスを落とされる。
真宏はクスクス笑いながら、手を動かす。昨夜卵液に付けといた食パンはお陰でひたひただ。フライパンを熱してバターをひく。じゅわあっと香ばしい香りが鼻腔に広がる。
「なぁ、ピクニックは?やった事ないねん俺」
「ピクニック?珍しいアウトドア思考だね」
宇佐美は後ろから真宏の腰に手を回し、肩に顎を乗せる。
「どーせやからやった事あらへん事やってみたいという好奇心やな」
「前向きー良いねぇー」
真宏は「よし」と呟き、フレンチトーストをお皿に盛り付ける。
フレンチトーストの皿を2皿、宇佐美が運び、真宏はホットコーヒーを入れたマグカップを2つとフォークを持って宇佐美の後を追いかける。
「いっただきまぁす!」
宇佐美の元気な掛け声に笑いつつ真宏も負けじと大きな声で「いっただきまぁす!」と言って手を合わせた。
黄金色に焼かれたパンはじゅわじゅわサクサクふわふわと口の中で沢山の音を奏で、真宏達を幸せ溢れる朝へ連れて行く。
食べ物の美味しさは1番幸せを感じやすい。
美味しいご飯にこだわる事は生きる上でとても大切なことのひとつなのだと、真宏は思う。
宇佐美も「んまいー!」と笑顔でフレンチトーストを完食していた。
2人で再び手を合わせ、コーヒーを飲みゆったりと食後を過ごし、今度は宇佐美が食器を洗う。
その間に真宏はお弁当のおかず本を眺めて、ピクニックに持っていく用のお弁当のメニューを考えていた。

宇佐美は納豆とか、キムチとか、臭みの強いものが苦手な傾向にあるし、ガッツリお弁当っていうのもなぁ……。
でも朝はフレンチトーストにしちゃったから、お昼はお米とかが良いよなぁ。

朝食と昼食で献立が被らないように考える癖は、普段家で炊事をしているからこそのものだった。宇佐美的には被ったとしても真宏の作った物ならなんだって納豆オンリーだって食べるつもりだが、真宏からしたら食事のバランスはきちんとしておきたいらしい。
「ねえ宇佐美ー。俺が食事の用意するから宇佐美は俺の分も含めて出かける準備だけしておいてください」
真宏はレシピ本から顔を上げずに宇佐美に話しかける。宇佐美も泡だらけの手で皿を擦りつつ、「りょーかい」と返事をした。
「あ、ついでに俺洗濯溜めとるから洗濯と掃除機やるわ」
「おっけー」
まるで同棲してるカップルのような会話だが、宇佐美の家に真宏が居座ってるだけである。
宇佐美が自分の部屋を掃除すんでぇと宣言しただけなのだ。
しかしそれがもう当たり前に違和感を覚えなくなるほど、二人は長い年月をこの部屋ですごした。
長いといってもたった1年程かもしれないが、この場所で愛を育んだのは事実だった。

ふと顔を上げた真宏は、カチャカチャと溜まってた分の洗い物をしている宇佐美の出す物音を聞き流しながら、風に吹かれる白いレースカーテンをのんびり眺めた。
外ではチュンチュンと小鳥が囀っている。

小鳥の言語数は幾つぐらいなのだろうか。

真宏は頬杖をついてのんびりそんな事を考えていた。
小鳥は歌を歌いチュピチュピとお話をする。
人間が歌を歌いはじめたのは、小鳥の歌が綺麗で真似をしたかったからという説は案外気に入っているのだ。
「ねぇー声変わりがあるのって人間だけなのかなあ」
「なんやねんきゅーに」
宇佐美はケラケラ笑う。
「だってさー、小鳥ってオスもメスもなんかみんな同じ声の高さで鳴いてるよね?だから声の違いとかは無いじゃんか。体の大きさとかはあるだろうけど」
「あー。気にしたことあらへんわ」
尚もケラケラ笑う宇佐美。宇佐美は真宏のこういう何気ない着眼点から始まる会話が気に入っていた。
自分と全く違う物の見え方を共有して貰えてるようで、楽しくて嬉しいのだ。
宇佐美も手元のタッパーを擦りながら、小鳥の声変わりについて思考した。

確かにど低音響かせるスズメがおったらあんま嫌かもしれへんわ……
レゲエとかパンチ効かせとったら嫌やなぁ……

頭の中でお笑い芸人の低い声で有名な彼の声ですずめを鳴かせてみると、妙にハードボイルドな鳴き声になり、宇佐美は思わず吹き出した。
「えっ何」
急に吹き出した宇佐美に驚いた真宏は怪訝そうに宇佐美を振り返る。
「いや、低い声のすずめ想像したらシュールでしんどいわ」
その言葉に真宏も脳内でそれを想像したのか少し遅れて吹き出した。
一頻り2人で笑い合う。
「はぁーもーくだらないなぁー」
「まひが言い出したんやで」
「さあて準備するかー」
真宏は宇佐美の指摘を聞き流し、ぐいっと背伸びをしつつ立ち上がった。










快晴とはまさにこの事だ、と叫びたくなるような雲ひとつない青空に目を輝かせ、帽子のつばを浅くし、空を見上げた。
まさしく青のキャンバス。
「おーむっちゃええ天気やなあ」
黒い野球帽を被った宇佐美はサングラス越しに晴天を確認し、草原に腰を下ろした。
バスケットボックスに入れた食べ物の保冷具合を確認しつつ、水筒に入れてきた麦茶を紙コップに注ぐ。
「シートひくんめんどいなあ」
既にくつろぎモードの宇佐美は、紙コップから麦茶を啜りのんびりしている。
真宏は自分の紙コップを宇佐美に預け立ち上がり、尻についた芝生を払って適当な日陰にレジャーシートを敷いた。
「ここの方が涼しいし風通りますよ」
そう声をかけてバスケットと紙コップを持ち、自分は一足先にシートに座る。
宇佐美も「おっこらせ」というジジくさいセリフを呟いてのろのろと立ち上がり、真宏の隣にどすん、て座りそのまま体を倒して横になった。
「光合成やわぁ
真宏は「たしかに」と笑い、持ってきた文庫本の栞をを挟んだページまで捲り、目を通し始める。
真夏ではない春の風は肌には心地よく、薄手の上着を着てきて正解だった。
半袖になるにはまだ肌寒く、かといって長袖の上着を1日中着てられるほど涼しさが持続しているわけでもない。
湿気は無いし、風も程よく気持ちがいい。
雲もないが、夏ほど陽の光が強い訳でも無い。
今日は1年の中で1番過ごしやすいのではと思う程に、天気が良かった。
さっそく小腹が空いた真宏は、隣で寝息を立て始めた宇佐美を起こさないようにバスケットのボックスを開け、その中に入れてきた保冷バックのチャックを開けて中からおにぎりを1個取り出した。
結局、ピクニックの用意や家の掃除が早めに終わった宇佐美が料理も手伝ってくれたのだ。
真宏の手と宇佐美の手では握るおにぎりの大きさが違う。
おそらく宇佐美が握ったであろう大きめのおにぎりを手にして、そっとアルミホイルを剥ぐ。
体の横に置いておいたスマホを持ち、こっそり無音でおにぎりを空に掲げて記念に撮った後、大きな口を開けてぱくっと頬張った。
まぶしたのりたまのふりかけがほんのり味わえるぐらいでまだ具には辿り着かない。
宇佐美がキッチンに合流した時、「俺の握ったやつの具は真宏には内緒やから」とか言って、真宏から見えないように冷蔵庫から具材を漁り勝手に詰めて勝手に握っていた。
だから何が入れられているのか真宏はワクワクしながらおにぎりを食べ進める。
暫く本を読みつつパクパク食べていると、不意にサクップチッと不思議な感触の具材に行きあった。
「……?」
首を傾げておにぎりに目をやる。そこに鎮座していたのは、クリーム色のプチプチした見た目の数の子、そして細切りにされている昆布がチラ見していた。
若干ネバネバしていることから恐らくこれは……
「……松前漬け?」
そんな物を宇佐美の家の冷蔵庫に入れたかなぁ……
なんて考えつつ、案外松前漬け入りおにぎりの美味しさに食べ進めるのがとまらなかった。
炊きたての白米に合う、濃くてしょっぱい味の松前漬けはおにぎりにしても十分美味しかった。
そのおにぎり1個じゃ止まらない大食い真宏が次に手にしたのは、1口サイズのサンドイッチ。
具材は、ハムチーズマヨサンド、タマゴサラダサンド、昨夜の夕飯で食べて余っていたトンカツサンド、ポテトサラダサンド、トマトレタスチーズサンドだ。
即席にしてはだいぶ豊富に作れたなと真宏は自分の出来に感心する。
トンカツサンドを手に取って1口頬張った。
ふわり、とはじめに食パンのパンの部分を通り過ぎ、サクッとトンカツに行きあたる。
ソースと辛子マヨネーズのアクセントが最高にマッチしていて後を引く美味しさだ。
トンカツも軽く揚げ直したお陰でサクサクで美味しい。音が耳に届くほどサクサクしている。
これまた手が止まらず、次は簡易的に作った卵スープをスープジャーの蓋を開けてスプーンでかき混ぜる。
スープジャーは宇佐美用と真宏用の2つがあり、それぞれ1個分飲めるのだ。
真宏はインスタントの中華風卵スープを溶かしてきた。
宇佐美はインスタントの豚汁を溶かしたらしい。
くるくるとかき混ぜ、卵をよく解いて、ワカメをすくう。こりこりした食感が楽しく、次にスープを啜った。ごま油の香りが鼻腔に広がり、もう一度おにぎりを齧りたくなるほど、食欲を加速させる。

いっぱい作ったし……と自分に言い聞かせ、宇佐美が寝てるのをいい事にもう1つのボックスを開ける。
真宏はピクニックの為に、おにぎりボックス、サンドイッチボックス、スープ、そしておかずボックスを作った。
ほとんど残り物や作り置き、冷凍食品を温め直したり加熱し直したりで詰め直しただけで所要時間は2時間程度で済んだ。
おかずボックスには、もやしのナムル、冷凍のたらこパスタ、塩唐揚げ、真宏特製ツナマヨ入り卵焼き、赤いたこさんウィンナー、アスパラの肉巻き、チーズ入り卵焼き、にんにくのホイル焼きが入っている。

真宏は迷わずツナマヨ入り卵焼きを割り箸でつまむ。
宇佐美と真宏の大好物だ。ツナマヨをふんだんに入れて、マヨも多めに味を濃いめに作ったのでおにぎりによく合うのだ。
2個目のおにぎりは自分で握ったたらこおにぎりだ。
「んーんまいー」
幸せすぎて思わず呟いてしまった。
その声に宇佐美は「……ん?」と薄く反応し顔をこちらに向ける。
真宏が何も言葉を返さずに黙々と口を動かして味わっていると、宇佐美がのんびり起き上がり、くぁと欠伸をした。
「……もー食うてるやんーはやぁ」
間延びした言い方で言うと、真宏の膝の上に再び頭を乗せ寝転がる。
「お腹すいちゃいました」
「まひ、よぉ食うもんなぁ」
「先輩たべないの?」
「さっきトースト食うたばっかやん
食欲より睡魔が勝っているようで、宇佐美は再びウトウトしはじめ、そのまままた真宏の膝の上で寝息を立てはじめてしまった。
サラサラと風にそよがれている宇佐美の髪の毛が、ズボンからはみ出した足首をさわさわ撫でていて少しくすぐったい。
口の中でプチプチ潰れるたらこの食感を楽しみつつ、片手で宇佐美の頭を弄ぶ。

こんな日々がずっと続けばいいのになんてわがままな気持ちになってしまう。

青空を見上げて真宏はため息を吐いて、再びおにぎりを口に含んだ。
「まひ、一口ちょーだい」
「えーもう白米の部分しかない」
「えーよぉー。あ」
宇佐美は「あ」と口を開けて、真宏が「あーん」してくれるのを待つ。
仕方ないと思いつつ、宇佐美が目を瞑ってるのをいいことに、真宏はたこさんウィンナーをピックで刺して、宇佐美の口に無理やり詰め込んだ。
「んぶっ
突っ込まれた宇佐美は、ゲッホゲッホ蒸せて恨めしそうな目で真宏を睨んでいる。
真宏はケラケラ笑って宇佐美を見る。
「痛いやんー」
「なら自分で起きて食べてくださぁいー」
ペシペシ背中を叩くと、宇佐美はあくびをしつつ体を起こした。
「え、まひおにぎりにこめなん?」
剥いたアルミホイルの残骸を見つかって、真宏は目をそらした。
「俺、まひのくいたぁーい」
宇佐美はボックスを覗いて、真宏が作ったサイズのおにぎりを手に取る。
「散ったいまひの手の握り飯」
「やめろ」
真宏はむっとして宇佐美の鼻を摘んで抗議する。
宇佐美は気にも留めず、アルミホイルをペリペリ剥いてニコニコしている。
「まひのやつ、具なに?」
「秘密ー。そういえば、宇佐美の握ってくれたやつ一個食べたよ」
「お、何やった?」
「松前漬けでしょ?」
「せいかーい!」
宇佐美はおにぎりを頬張りながら、「あれ、天哉さんがくれた松前漬けやねん」とモゴモゴ言った。
「松前漬けのおにぎりなんて初めて食べましたよ。意外と美味しいんですね」
「白米に合うんやもん、おにぎりにはもちろん合うわなあ」
最もなことを言う宇佐美に苦笑した。

宇佐美が真宏に内緒で握ったおにぎりの具は松前漬けだったり、わさびだったりして2人でギャーギャー騒ぎながら食べた。
宇佐美が握ったおにぎりの1つが、塩がききすぎてきてからかったのを覚えている。

膝の上で眠る宇佐美の髪を撫で、風に揺られる。
時折聞こえてくる無邪気な子供の声が平和を教えてくれた。
愛おしい髪ひとふさ指を通すたび、骨張った肩を撫でる度、彼のご飯を1口味わう度、別れが近づいていく。
目を瞑って、時が止まる事を願うしか出来なかった。
まだ、宇佐美は真宏に別れ話をする事はなかった。



星が見たいという真宏の要望で、免許取り立ての宇佐美と、ドライブがてらコテージに泊まったのは夏の少し肌寒い日だったと思う。
ハゼや久我や猫宮も、その恩恵に預かり皆で海に行き、BBQをして花火をして、コテージに行って空を眺めて星を見た。
お小遣いを出し合って買った花火は煙が多くて目が痛くなった。噎せるから、と猫宮はカメラ係になり記録を残した。

花火にはしゃぐハゼから逃げる宇佐美。
花火の火でタバコをつけようとする久我。
星は写らず、一面黒しかない空。
笑いすぎて顔が崩壊した真宏。
そんな後輩たちを眺めて苦笑している宇佐美。
海に押されてずぶ濡れの猫宮を真宏が写した。
怒った猫宮がハゼを追い回し、そのハゼを花火を持った宇佐美が仕返しとばかりに追い回す。

そんな様子を一服してる久我と真宏がのんびり眺めていた。この時真宏は初めて久我も喫煙者というところに驚いた。
久我曰く、宇佐美に1本貰ったらしい。あとで説教だなと思いつつも、真宏は笑顔いっぱいの友人たちを眺めて、また自分も微笑んだ。

夏の夜、みんなで川の字になって寝た。
クーラーをつけても蒸し暑くてとても寝れたもんじゃなかったけれど、遊び疲れたハゼ達は思いのほか早く寝てしまったので、こっそり起きてた真宏と宇佐美は笑いあって触れ合うだけのキスをした。
二人でコテージを抜け出して海辺を歩く。ビーチサンダルは砂を延々と迎え入れてしまうので、風呂で綺麗にした足の裏がすぐに砂まみれになった。
それでもペコペコと砂場を歩き二人は話をした。
「今日風ないですね」
「せやなぁ。もうちょいしたら出るかなぁ」
「どうかなぁ?」
そんな他愛ない会話。
ペコペコ歩き疲れて、砂場の上に腰を下ろす。
その隣に宇佐美もあぐらをかき、二人で星を眺めた。
「空って繋がってるんですよね」
「せやなぁ」
間延びした宇佐美の声が心地よい。セミの声が夏を思わせて、涼しい気持ちになる。
「真宏は、将来なんになるん?」
「夢ってこと?」
「うん」
一際目立つあの星は、北斗七星だろうか。真宏は星座に詳しくないから、ただ見つめるしか出来ないけれど、その一つ一つの名前を知れたらもっと楽しいことはわかる。
知らないことを知りたい。やった事ないことをやってみたい。
自分の為でもいい。誰かのためでもいい。
やりたい事など、やってみないと分からない。
「……世界で活躍、とか?」
もっと広い世界を知りたい。
もっと色んな人を知りたい。
世界に散らばる色んな興味をありったけ知り尽くして、理解して、そこから生まれる新しい興味にまた向かって歩いていきたい。
「ハリウッド?」
宇佐美が理解してないような顔でそんな事を聞く。真宏は「ぷはっ」と吹き出して「それもいいね」なんて言った。
「……それもいいけど、そうだなぁ……」
世界を知って、自分を知って、それから……
「夢とか希望とかそういうのをなくさない人生を子供たちに歩んで欲しい」
「……」
「諦めなければ、意志を強く持って、知識を増やして、行動して……。そうしていけば掴めるものは絶対にあるんだよってことを伝えたい」
それは何も子供たちに限った話ではない。
大人になってから諦める人間もいるだろう。そういう人の目の輝きを灯す手伝いが出来たら、こんなに光栄なことはないと思うのだ。
「立派な人間になりたいわけじゃないんです。立派な人間っていうのは死んだ時に初めて周りが感じることだと思うので……。だから、教えたい、とか、伝えたいとか、思う自分がいるなら、まず自分に相応の実績が欲しいなぁとは思います」
黙って聞いていた宇佐美は暫く真宏を見つめたが、ふと視線を空に戻した。
夜空が二人を静かに見下ろしている。
「……そうかぁ」
宇佐美はのんびりそう呟いて、それ以上はなにも言わなかった。

暫く二人で黙っていたが、ふと真宏が沈黙を破った。
「……先輩の、夢ってなんですか?」
これだけ一緒にいて会話をして知った気になっていたけれど、そういえば宇佐美の夢を聞いたことがなかった。
真宏自身も、宇佐美に夢や希望を語ったのは今が初めてだ。
同じことを聞き返された宇佐美はそっと目を瞑り、ゆっくりと口を開いた。

「……明日も生きること」

夜空を写した宇佐美の淡い緑の瞳には、星が映り込んでいて美しいとしか言いようがなかった。
まるで澄んだ泉のような神聖ささえ感じてしまうほどに、彼の瞳に映る星を真宏は黙って見つめ続けた。
「飯食って、寝て、起きて、また飯食って、食っちゃ寝食っちゃ寝出来るってむっちゃ幸せやん」
真宏はそっと頷く。
「そないなこと、やれる人生を送れるなんて思われへんかったし、けど今出来とる。今出来んねやったら明日も出来る。明日も出来たら明後日も、1週間後も半年後も1年後も10年後も絶対に出来んねん。やるしかないねん。そう思て生きれたらええなぁ……」
真宏はゆっくりと体を起こし、砂を払って宇佐美に覆いかぶさった。

「できるよ、あなたなら」

かわいた唇を額に押し当て、微笑んだ夏の夜。
二人の瞳にはもう星は映らなかった。
この夏も、宇佐美から結婚の話をされる事は無かった。それでも真宏は、何も言わなかった。


秋にはたらふく食欲の秋を楽しんだ。
栗ご飯を食べたり、さんまを焼いたり、きのこの雑炊を食べたり。
夏から秋に変わり衣替えを経て、肌寒さに居心地の良さすら感じる。
やっとくっついても鬱陶しく思われない季節がやってくるのだ。

行われた体育祭では相も変わらず運動音痴の真宏以外の人間は、それぞれの得意分野で活躍した。
日帰り電車旅をして箱根の温泉に入りに二人で行ったりもした。
露天風呂は意図せず貸切で、思う存分二人でイチャついた。

結局、秋も、宇佐美から別れ話を切り出されることは無かった。
真宏も何も言わなかった。


そして、宇佐美と別れるまで残り3日ほどとなった。
クリスマスの夜、あと数日で解約してしまう宇佐美のアパートに二人肩を並べる。
ケーキ屋さんで奮発したショートケーキには、クリスマス用らしくサンタやトナカイの砂糖菓子が乗っかっていた。

テレビも何もないワンルームのこの部屋は、世界から切り取られた二人だけが存在しているような空間だった。
ケーキ屋からの帰り道、イルミネーションの前にはたくさんのカップルや親子が幸せそうに光を見上げ笑みをこぼしていた。
きっと彼らには明日があるのだろう。
そんなことをぼんやり思いながら彼らの横を通り過ぎようとした真宏の手を、宇佐美がグッと掴んだ。
驚く真宏が宇佐美を見上げると、宇佐美は全てわかっているとでも言いたげに微笑んで、真宏の手を離さないまま一緒に歩き出した。
「イルミネーション、ここでもやってたんですね」
ケーキ屋に寄る前に真宏たちは都外のイルミネーションに行っていたのだ。
六年連続人気No.1らしいそのフラワーパークのイルミネーションは、どの角度を瞳に映しても光で溢れていて美しかった。
昼間は花が、夜は光が溢れるその場所は幻想的で宇佐美も真宏もまた他の客たちもみんな、圧巻だった。
「近場でも綺麗なもんやな」
「光ってどんな色でも綺麗に見えるの不思議ですよね」
「液体だと赤とか不気味やんな」
「確かに」
吹き出した真宏に対して、真面目にそんなことを呟いて考え込んでる宇佐美。
そんなことを真剣に考えていて真宏はまた笑ってしまった。
イルミネーションの帰りに前からずっと気になっていた屋台ラーメンを食べて、満腹のお腹をこさえてケーキ屋に行く。
宇佐美はお腹いっぱいで食えないと言っていたが、真宏は相変わらずまだ食べられたので、渋る宇佐美を引っ張りケーキ屋に連行したのだ。
レジ打ちの綺麗なお姉さんにケーキを取ってもらい、白いケーキ屋のロゴが入った箱にしまってもらう。
二人で再び手を繋ぎ、箱を持って店内からでる。
「さぶぅ」
「ほんまになぁ」
白い息を吐く。二人して寒さで鼻が赤くなる。

鍵を回し、がちゃん、と音を立てて玄関を開ける。ふんわり香る宇佐美の甘い匂いを嗅げるのももう今日で最後。
「……このアパートなぁ、明後日解約すんねん」
クリスマスを最後に、アパートを引き払うことになっていると宇佐美は言った。
不動産などの手続きが年末年始の休みに入ってしまうからだ。その前に手続きを終わらせなければならない。
引っ越すための荷造りも、ちゃぶ台くらいしかない宇佐美には必要が無いと言う。
「そうなんですか」
あまり驚かない真宏をチラリと見やって、宇佐美は特に何も言わず中に入った。
2日後にはここを退去し、彼は海を渡りカナダの地へと降り立つのだろう。
卒業式には参加するため、1度帰国するらしいが、その後はもう二度と日本の地は踏まないのかもしれない。
これは、かれんから聞いた話だ。

ケーキをちゃぶ台に置いて、真宏が2人分の暖かい飲み物を用意して、宇佐美は皿とフォークを用意して、二人で座布団の上に並んで腰を下ろす。
同じショートケーキを皿に並べて、写真を撮る。
「これ待ち受けにする」
真宏の呟きに宇佐美は微笑む。
「いただきます、しよか」
「はぁい」
二人で手を合わせて最後の「いただきます」をした。
「あまぁ
真宏がクスクス笑いながら言うと、宇佐美も「甘いなぁ」と笑った。
宇佐美は今日も、とうとう言わないで俺の前から消えるのかな。
真宏はケーキをフォークで刺しながら、ぼんやりと思う。これまで幾度となく言うチャンスがあったにも関わらず、結局お互い何も言わずに今日のこの時間まで過ごしてきてしまった。
宇佐美から言って欲しい気もするし、このまま何も言わずに去ってもらいたい気もするし、何とも難しいお年頃だな、と真宏は苦笑した。
「?なにわろてんねん」
宇佐美は口の端にクリームをつけながら不思議そうに真宏を見る。
「……ううん。ちょっと笑いたくなって」
「理由なしに笑うんいっちゃん不気味やで」
引いた顔をしながら言う宇佐美の頬をムニッと摘んで「うるさいよ」と言い返す。

二人してぺろりと平らげて、暖かいココアを飲む。牛乳で作ったココアは格別の美味しさ。
皿を片付けて、もう一度温かい飲み物を入れ直す。
「まひ、オリオン座見に行かへん?」
「オリオン座?どこに?」
湯気が揺蕩うマグカップを宇佐美に手渡し、首を傾げる。
「そこ」
宇佐美がイタズラ顔で指さしたのはアパートのバルコニーだった。
真宏は笑って、「ちょっと待って」と言って、壁にハンガーでかけておいた半纏2枚と、もこもこの靴下を持って宇佐美に渡す。
「これ着て出ましょ。冷えちゃうから」
受け取った宇佐美は「あんがとぉ」と笑って半纏を着て、モコモコ靴下を素直に履いた。
二人で手を繋いでマグカップを持ち、引き違い窓をバルコニーに出て、少しでっぱってるところに腰を下ろし、二人で上を見上げた。
寒い分、空気が澄んでいて星がよく見えた。
「あ!みっけた!」
真宏が指をさして言うと、宇佐美も「あ、ほんまや!」と同じ場所を見つめた。
鼻の頭も耳も寒いので、宇佐美に擦り寄る。
「見えましたね、星」
「見えたなぁ」
真宏は寒さを理由に宇佐美の肩に頭をぽてっと預けた。
二人で並んだ足を見つめる。
来年の今日、この人はもう俺の隣には居ないのだ。
やはり、自分から切り出すべきなのだろうか。
……そう、考えていると宇佐美が沈黙を破った。
「真宏」
「ん?」
向かいの家からは子供がはしゃぐ声が聞こえる。
壁が薄いのか、こんなに寒いのに窓を開けているのか。
楽しそうな家族の笑い声、犬の鳴き声、車の走行音、下の階からはバラエティ番組の笑い声が聞こえてくる。
美味しそうなカレーの匂いや、お味噌汁の匂い。
冬の風に漂って、色んな幸せが流れ込む。
そんな世界で二人、ここではひとつの幸せが終わりを迎えていた。

「……終わりにせぇへんか、俺ら」

唐突に……否、真宏からしたら唐突では無かった。
既にこうなる事はかれんから聞いてしまっていたから。
神妙な声音の宇佐美の腕に抱きつき、真宏は
小さく口を開いた。
「……寒いらしいですよ」
「え?」
「……すっごく寒いんだって、カナダ」
真宏の言葉に宇佐美は息を飲む。
「……やっぱ、かれんに聞いとったんか」
脱力して微笑む宇佐美に、真宏も微笑む。
「先輩、食べないしヒョロいからきっとさむすぎて動けなくなっちゃうよ」
「……」
クスクス笑って言う。これ以上ヒョロヒョロになったら、子供が生まれても子供に抱っこされちゃうよ。
かれんさんの方が力持ちかもよ?
ガタイは良いんだから食べて筋トレしたらめちゃくちゃカッコよくなると思うんだけどなぁ……なんて、余裕ぶってそんな事を考えた。
「だから、いっぱい食べて。辛くても、苦しくても、泣きたくても、ご飯はしっかり、食べてね」
そう言い切ると、宇佐美は思い切り真宏を抱き寄せて、強く、強く抱きしめた。
これ以上抱きしめるものなど無いのに、それでも足りないとでも言いたげに強く、何度もずっと、抱きしめ続けた。
「……まひ、ごめん。……ごめんな」
泣きそうに震えた声で謝る宇佐美に、真宏は微笑む。
「……大丈夫だよ」
そう言うしかない。こうとしか言えない。
本当は全然大丈夫なんかじゃないね。
でもこの一年一緒に過ごして、宇佐美が言い出さない様子を考えたら、きっとこればっかりは俺のワガママじゃ変えられないんだと嫌でも自覚してしまうよ。
きっと、1年前に言い出さなかったのは俺に考える隙を与えたくなかったからかな。
もしくは綺麗な思い出のままにしようとしてくれたのだろうか。
……もしくは、宇佐美が望んでいない現実だったからかな。
そんな、都合のいいことばかり考えて、俺は本当に諦めが悪くて嫌になっちゃうね。

「……俺は信じてる。貴方を信じてます。……だからちゃんと、生きていて」

それくらいのワガママは許してよね。

「俺もちゃんと生きてるから、遠くてもちゃんと生きるから、先輩も勝手に居なくならないでね」

震える手で宇佐美の頬を包む。
宇佐美は柄にもなく、綺麗な碧い瞳から涙を流していた。
こんな時、いつもなら俺の方が泣いているのに今泣いてるのは宇佐美だけだ。
なんだか不思議だな。
泣き虫は俺の代名詞だったのに。

「真宏、世界でいっちゃん、愛しとる」
「壱哉さん。俺は宇宙一愛してますよ」

こんな言葉1つ交わしたところで、何も変わらない。
そんな事は真宏も宇佐美も分かっているのだ。
けれど言わずに居られなかった。
どうせもう会えないのなら、安っぽいこんな言葉だって言わずに居られない。
使い古された在り来りな、こんな言葉でさえ、拾い集めたって言い足りない。

愛してる、なんてそれだけじゃ足りなかった。



そして宇佐美は、アパートを引き払い日本を発った。



こうして、ウサミとマヒロの最期の1年が終わりを告げた。













『邂逅』

「先輩、卒業おめでとうございます」
目を開け、隣に座った宇佐美に顔を向けて開口一番そう告げた。
「うん。色々あんがとな真宏」
「何が?何もしてませんよ俺は。こちらこそ沢山お世話になりました」
久しぶりに会えたというのに、あまり会話は弾まなかった。
真宏はぼんやり中庭に聳え立つ桜の木々を眺める。
「ねえ、何時に発つの?」
「12時半くらいの便やな」
「そっか」
それを最後にまた黙る真宏。宇佐美が空を眺める。
これが正真正銘、最後。

ほんの少ししか、会ってないだけで、この関西弁が懐かしい。
懐かしいと思わなければならなくなるなんて思いもしなかった。
交際期間たったの2年。こんなに呆気ない恋愛になるなんて。
「俺なあ、真宏と初めて会うた時ほんっまによぉわからんやつやなあと思っててん」
突然の宇佐美の言葉に真宏は吹き出す。
「なにそれ」
「でも思ったよりしっかりしとって芯があって、男前やった」
思い出すように語り続ける宇佐美。
「真宏なら、美人な奥さんみっけてかわいい子供にも恵まれて幸せに暮らせるやろな。もちろん、男前な旦那さんでもええな」
「そうだね。俺だしね」
「せやせや。元気に幸せに笑顔で生きとってな」
「それはこっちのセリフだよ。体には気をつけて」
「もう、壊したくても壊されへんわ。いらへん言うてもプロのちまっこい料理がアホみたいに出てくんねん。真宏のちょい焦げ卵焼きが何度恋しくなったか」
空を仰いでうんざりしたように言う宇佐美に、真宏は呆れる。
「卵焼きより美味しいでしょ。プロのは」
「いいや。愛がないねん。あれは仕事やから作っとるだけで全然食うてもうまないわ」
本気で嫌がってるようで、説得させるように真面目な顔をしてそんな事を言う。
「何だそれ、わがままな舌だなあ」
「やろ?真宏のおかげで舌が肥えたわ。向こうの料理は案外美味いで」
そんな言葉に、真宏は宇佐美から目を逸らした。

うそ。最後にあった時より痩せてる。きっと本当に味がしなくて食が辛いんじゃないのか。
……そんな事に気がついたって、今の恋人ではない真宏には何も出来ない。
今の俺にはなんの権利も持ち合わせていない。

「……髪、染めたんだね」
話題を変えるように視線を髪に向けた。
「ああ、仕事やともう染めれへんからなあ」
「ピアスも……あ、」
「せやねん。ピアスも外せ言われてんけど、これは外されへんて大げんかしたったわ。ピアス一つで仕事の能率が変わるか言うてな」
二人お揃いでつけていたピアスを、宇佐美は外さないでいてくれていた。
真宏の頬は自然と緩む。
「嬉しい」
きっと宇佐美と別れてから1番の笑顔をここで見せられた気がする。
それ程までに嬉しくて顔が緩んだ。
「当たり前やん。これは真宏との思い出やもん」
誇らしげにする宇佐美に、真宏は笑む。
「……でも結婚したら外していいよ。かれんさんに申し訳ないし」
真宏の言葉に一瞬何かを言いかけたが、宇佐美は結局言わずに一言だけ返した。
「……そのつもりや」
そしてまた無言の空気が二人の間を流れる。卒業式は既に終わっていて、正門の方で在校生と卒業生の交流する声が微かに聞こえる。
中庭には誰も来ない。
きっと宇佐美を探してる生徒も大勢いるだろうなと思うと、ほんの少しの優越感だ。
でもそれも、もう最後だけれど。
あーあ。
どうして俺は女じゃないのだろう。どうして俺には権力が無いのだろう。どうして俺はお金持ちじゃないんだろう。

……どうして俺は、子供なのだろう。

「……夢だったり、しないよね」
「夢?」
「宇佐美が結婚するのも、外国行っちゃうのも、もう会えないのも……夢だったりしないかなあって」
微笑む真宏に、宇佐美は何も言わなかった。
「本当なら卒業だってしてほしくないのに、そんな時限の話じゃなくなってるしさあもう。何に悲しめばいいのか」
自嘲気味に言う真宏に宇佐美は「……せやなあ」とだけ言った。
もう抱きしめてもくれないんだね。恋人じゃあないもんね。

「……もう戻ってこないんでしょ」
「ああ」
「もう会えないんだもんね」
「せやな」
「……そっか」

なんで、こうなっちゃうのかなあ。
どうしてもう、会えないんだろう。
クリスマスの夜、泣いてくれたのは宇佐美だった。
泣くほど嫌がってくれたはずのに、今はもう俺を見ても泣きそうな顔すらしてくれないね。
短い言葉で、別れを惜しむこともしてくれない。

「ほな時間やから。もう行くわ」
「……うん」

ほら、そんなに呆気ない。
そうだね、恋人じゃない。

恋人じゃないって、こんなに辛いんだ。

真宏は無意識にピアスに触れる。もうお守りになっているその癖をはじめて見た宇佐美は、そっと立ち上がった。

「まひ、体に気をつけて」
「うん」
「元気ーへん時はちゃんと食うて」
「うん」
「真宏は真宏らしくそのまんまで」
「……うん」
「ずっと、元気で生きとってや」

何も言わずに俯く真宏。

「……じゃあな」

しばらく見下ろしていたけれど、これ以上居ても仕方がないと思った宇佐美は、最後の言葉を言いかつての愛おしい恋人に背を向けた。
そして、ゆっくりと歩き出す。
もう永遠に会えない、愛おしい彼から遠ざかる。


一歩、また、一歩、着実に望まぬ未来へと足を踏み出す。
そして、中庭から抜けようとしたその時、




「宇佐美!!」




強く、懐かしい呼び名で叫ばれた。
そういえば、こうやって名前を呼び捨てして叫ばれるのは何度目やったか。
振り返った先にいた真宏は、満面の笑みで宇佐美に言った。




「逃げませんか!!」




……え?


「一緒に!!」

「遠くに!!」


そして、

そして、




「ずっと2人で生きようよ!!」




笑顔の真宏の瞳から、とめどなく涙が溢れていた。
陽の光に反射して、キラキラと輝くその涙。


「ねぇ」

ねぇ、

「宇佐美……っ」

ねぇ……

「……おねがい……っ」

最後の真宏の懇願を聞くのが早いか、真宏が言うが早いか、宇佐美は駆け出して真宏を抱きしめていた。
今度こそ真宏はわぁわぁと声を上げて泣いていた。
宇佐美のシャツにしがみついて、離したくないと言わんばかりに泣いていた。
額に汗を浮かばせて、目からは涙をこぼし続けて、宇佐美にしがみついて激しく泣いていた。
中庭だったからギャラリーが出来ていたかもしれない。
でもそんなのどうでもよかった。
今だけは自分たちの世界でいたかった。

どうして離れなきゃならないのか、なんて宇佐美の方が沢山思った。
だってそれは、真宏と付き合う前から分かっていた事だった。だから宇佐美は真宏と付き合う訳にはいかなかった。
けれど、どうしたって真宏を好きになってしまった。
真宏を好きで、好きで、たまらなくなってしまった。
だから付き合ってしまった。
そしたらもっと好きになってしまった。
そしたら離れたくなくなってしまった。

けど、神様なんていないのだ。
結局宇佐美は、真宏と離れる。

泣き叫ぶ真宏の肩に顔を埋めて、宇佐美は涙を押し殺した。


─……真宏、俺はお前をずっと愛すよ。


言ってはいけないその言葉を、吐き出した息とともに心で呟いた。

真宏は、呼吸を落ち着かせてから、宇佐美の両頬をいつものようにあたたかく包む。
涙を拭うこともせず、流し続ける。

「これだけは絶対に覚えておいてください」

「生き続けること。何があっても絶対に」

「俺はずっと貴方を信じています。これだけは何があっても忘れないでください」

涙を零しながらも、しっかりと宇佐美の瞳を見つめ、真宏は伝えた。
宇佐美も苦しそうに微笑んで「分かった」と頷く。
こんな顔を見るのもお互い最後なのだ。
目に焼き付けて、目を瞑ったらすぐに思い出せるくらいに。

「宇佐美」
「うん」

「大好きだよ」
「……っうん」

「ずっとずっと、大好きだよ」
「っ、うん」

「この世で一番愛してます」
「俺も愛しとる……っ」

「大好きだよ」
「俺もや」

「……へへ。最後は、笑顔にしましょっか」
「はは。せやな」

「ばいばい、うさ先輩」
「……元気でな、伊縫」


最後に、どちらからともなく顔を寄せ合いキスをして、どちらからとも無く距離を離す。
もう何も、思い残すことがないとでも言いたげに背を伸ばして、今度こそ1度も振り返らず宇佐美は真宏の前から去って行った。

見えなくなった宇佐美の後ろ姿をいつまでも見つめ、真宏は呟いた。


「さよなら先輩。俺はずっと貴方のものです」


陽の光に当てられてキラリと光るピアスを指先で弄びながら、空へ向かって微笑んだ。


END.

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