18


「壱哉さんが、素直に付いてきてくださるなんて感激ですわ」

嫌味ったらしい話し方は生まれつきなのだろうか、と宇佐美は無表情のまま聞き流す。

「お義父様がいつものお部屋でお待ちですの。今夜はお食事、私もご一緒させていただきますわ」

へぇへぇそうですかい。
と、心のなかでため息をついた。
この女と3人で食事ということはいよいよ「あの話」が現実味を帯びてきたのだろう。
今すぐこの高級車から飛び降りて真宏をかっさらって地の果てまで逃げてしまいたい……と何度考えただろうか。
妄想で終わらせることしかできない自分のいい子ちゃんぶりに吐き気がする。

「壱哉さん。先程のあの子とはお付き合いされているのですか」

聞かれるとは思っていたその質問。
宇佐美はあいも変わらず車窓を眺め、いつものように感情も言葉も殺した。

「……お義父様に、見つからないと良いですね」

あの子の存在が、と彼女は付け足し、それきりかれんは何も話すことはなかった。




出来損ないヒーロー #18




かれんの専属運転手である洋士が運転する黒塗りの高級車が泊まったのは、都内で一番値の張る会員専用の超高級ホテルの玄関前だった。
学校帰りに連れ去られた宇佐美は、車内で着替えさせられ無駄に堅苦しい糊の効いたワイシャツとスーツに着替えさせられピカピカに磨き上げられた革靴を履かせられていた。

ハーフアップに適当に纏めていた髪は降ろされ、かれんによってブラッシングとヘアスプレーで軽く纏められ、品のある美男子の出来上がりだ。
ドレスアップしたかれんは、宇佐美の左腕に当然のように腕を組み、しなやかに歩きだす。
スタイルが良く顔もよく、おまけに宇佐美は186センチもあるため、車から降りた瞬間に周囲の者たちはみな2人に見惚れていた。

カツ、コツ、とヒールを鳴らして歩くかれんの姿は凛として美しく、洗練されており、その品の良さは育ちのおかげやな、と宇佐美は隣を歩きながら思う。
ちらりとロビーにあった時計を見ると、真宏たちと別れてから1時間半は経過していた。
アイツら今頃まだ真宏とおるんやろか、とぼんやり考えると羨ましい。
俺も真宏と居りたかったなあ、なんて思う。
でもあそこで駄々を捏ねていたら、きっと真宏が助けてくれてしまていただろうし、何より「まだ」かれんの存在は知られたくなかった。
というか一生知らないままでいてほしいから、やはりあそこでは真宏と離れて正解だった。

けれど結局、真宏にはバレてしまっていたのだろうな。
別れ際、追いかけてキスをしてくれた。
それに、自分がいつでも「指輪を返してほしい」という口実を付けて帰ってこれるように、「指輪を返す」という口実で真宏が宇佐美に会えるように、彼は宇佐美の指からリングを一つ奪っていった。

宇佐美がどんな状況になっても、彼は心に温かく寄り添ってくれる。
そんな人に出会えたのは過去でただ1人、真宏だけだ。
手放したくないのではない。

もう、宇佐美は手放せないのだ。
そんな選択肢を持てるほど、彼への愛の気持ちに隙間はない。
愛おしい、その思いしかない。

だからこそ、依存してはいけないし、だからこそ、彼の負担にはなれない。

”自分の将来に真宏を巻き込まない”

時が来たら、真宏を家族の元へ返す。
元の彼が歩くべきだった道へ戻すのだ。

だから今、宇佐美はかれんと共に世界で1番嫌いな身内に会いに行かなくてはいけない。

あの男がいつも宿泊に利用している、無駄に馬鹿高いスイートルームがあるフロアに到着した。
ベルドアマンがかれんたちの荷物を持ち、いつものように部屋まで案内をする。

このフロアに漂うあの男の気配が気色悪くて仕方がない。
隙をみせてはいけない。
感情を出してはいけない。
表情を歪ませてはいけない。
余裕ぶらなくていけない。

そして、真宏の存在をばらしてはいけない。

コンコン、ホテルスタッフがノックをすれば、中からは「はい」と聞き慣れた大嫌いな声が聞こえる。
スタッフが声をかけ、ドアを開け、荷物を室内に置いて去ったあと、室内は静寂に包まれた。

「掛けなさい」

宇佐美の義父──周──の一声で、2人は周の対面に座る。
ふかふか過ぎないソファーが座り心地がいい。居心地は悪いが。

「よく来たな。壱哉、かれんさん」

相も変わらない無表情で告げる周。
今この場で、表情の変わるやつはいない。
あーあ。こんな能面みたいな面のやつなんかより、真宏とおりたいなあ。

心のなかで盛大に溜息を吐いて、宇佐美はガラス張りの窓を眺めた。
今日は晴れだったな。

「あの件については、順調だろうか」
「ええ、お義父さま」

かれんがすかさず返事をした。
宇佐美は窓から目線を外し、大理石のテーブルを見つめた。

「壱哉。進路の件は上に話してある。お前は最低限の出席日数と単位の取得をすればいい。進路希望用紙は白紙で構わない」
「……」

自分の人生がコイツによって操られている。
コイツが敷いたレールの上を死ぬまで一生歩かなければならない。
好き勝手に搾取されて、死ぬのだ。

「卒業式には出させてやる。だが、来年の1月からお前のアパートを引き払う」

お遊びのバイトも終わりだ。
その台詞で初めから自分になんの居場所もなかったのだと感じる。

あのアパートなら息ができたのに。
あのアパートなら、真宏と居れたのに。

「お前にはまだ、”七緒”が通用するだろう?」

珍しく表情を変えたかと思えば、嫌味な微笑みを向けられ、宇佐美は顔をそらした。

「そういえば、お義姉さまは見つかったんですの?」

かれんの言葉に周はゆるく首を横に振って否定した。

「いや。まだだな」

ウソつけ。
コイツは俺を使うために探してなんかない。

「そう……。元気でらっしゃたら良いですね」

他人事のように呟くかれんに、宇佐美はムカつきつつも何も返さなかった。


数年前から宇佐美の実姉──七緒──が行方不明になったときいた。
はじめは周が何かをしたのでは、と宇佐美も疑ったがどうやらそうではないようで、本当に行方知らずらしかった。
そのことを知らせに来たのは、宇佐美の実母──かなえ──だ。
かなえは取り乱して泣きわめきながら周を責めに来た。
その時に久しぶりに周を自分に押し付けて母親に会った宇佐美だったが、皮肉にも「元気そうでよかった」とごく自然に思ってしまった。

周は泣きわめくかなえに動じず、「知らない」を突き通していた。
錯乱したかなえが刃物を取り出したときでも、周は動じずにさらりと躱した。

そうして言ったのだ。

「そんなに行方が知りたければ、探してやろうか」と。

周の台詞にかなえも宇佐美も驚くなか、周は整った顔を嫌に歪めて笑った。

「勿論。今後一生壱哉が私の言うことを聞くのなら、の話だが」
「……」

この瞬間から、宇佐美の人生は終わったのだ。
その台詞を聞いたかなえは、ぱっと宇佐美の顔を見た。
久しぶりに見るはずの息子の顔であろうに、彼女は「言うとおりにするわよね」と言いたげな目で宇佐美を見つめただけだった。

元気だったのね、変わりはない?、ごめんなさい、また一緒に暮らしましょう……

夢見ていた母親からの言葉はなく、宇佐美は二度も母親に突き放されたのだ。

「……もう、なんでも」

その時の宇佐美にはこう答えるしかできなかった。
それから宇佐美は他人に期待することも、信じることも、愛を持つことも、やめたのだ。

「かれんさん、お父上はお変わりないだろうか」
「ええ。相変わらず病室住まいですがぴんぴんしておりますわ」
「そのうち伺わせていただこうと思うよ」
「是非。父も喜びますわ。周さんのことが大好きですもの」

かれんの言葉に周は、僅かに雰囲気を柔らかくした。
かれんの父親は持病の悪化により入院中らしい。
詳しくは宇佐美も特に訊いていない。

周がなにか口を開こうとした時、プルルルと電子音が鳴った。
どうやら周の胸ポケットからのようだ。
周は「失礼する」と言って部屋から出ていった。
残された宇佐美とかれんはしばらくの沈黙を過ごしたが、やがてかれんが口を開いた。

「壱哉さん。貴方本当にこのまま日本を離れるのですか」
「……今その話したとこやん」

顔をそむけて返答する。

「お義姉さまのこと、本当に生きてらっしゃるとお思いで?」
「失礼なやっちゃな」

宇佐美の悪態にも物怖じせず、かれんは言葉を続けた。

「何年も探しております。けどこれだけ素性が明らかにならないのはやはりおかしいですわ」
「探してるって、あのクソがやろ。探してるわけ無いやんアイツが」
「違います」

かれんの否定に宇佐美は思わず彼女を見つめた。

「私が探しているのです」
「は?」

かれんは宇佐美から目をそらし、言葉を続ける。

「私だって、財閥の娘ですからそれなりの権力や地位があります。一般人1人探し出すことくらいわけないのですよ」

そりゃそうやけど、探し出したところで自分にはなんのメリットもないやんけ。
と思いつつも言わずにいれば、かれんは口を開いた。

「でも見つかりませんの。素性を故意に隠しているのか、それとももう……」

その先は言わなかった。
けれども宇佐美にだってわかる。
姉貴はもう死んでいるのではないか。
でも探してもらわなければならない。

姉は頭がとても良かった。
実父や義父から逃げるときはいつも姉の入れ知恵だった。
彼女は常に冷静で、必要以上に語らない、優秀な人だ。
そんな頭のいい彼女が母親を置いて黙って自死するなど、宇佐美にはどうしても考えられなかった。
彼女は自己犠牲を好むタイプではない。
自己犠牲などせずとも他に解決策を導き出せるからだ。

宇佐美は信じている。
姉貴はどこかで必ず生きている、と。

「あんたが探してること、アイツは知ってんの」
「いいえ。周さんにはお伝えはしてません。けれど、あの方は何を考えてらっしゃるのか皆目検討もつきません。私が手出ししていることを気づいていて尚、何も言ってこないのかも」

それはありそうだな、と1人納得した。

「なんにせよ、お互い無事に日本を発って、成し遂げられると良いですね。

……結婚を」

”成し遂げる”

その表現は、結婚の気持ちがないお互いにとってはベストな表現だな、と宇佐美は苦笑した。










「じゃあねー!杏ちゃん、今度は学校で会おうねー!」

元気よく手を降って出ていったハゼたちに笑顔で手を振り、真宏と杏はリビングに戻った。

「真宏ー、夕飯の残り壱哉んちに持ってくかあ?なら車も出すぞー」

涼雅の言葉に真宏は考える。

「んー、いいや。それ弁当に詰めていくよ」

ねえ宇佐美。
あの子とどこに行ったの、何してるの、あの子は誰、宇佐美にとっての何……

恋人は、俺でいいんだよね。

聞きたいことは山程あるけれど今そばに彼はいない。
帰ってきたいと思ってくれてれば、今日、もしくは明日学校で会えるだろう。

今はただ大人しく、宇佐美がしんどい思いをしていなければ良いなと思った。







1日の授業が終わり、真宏は帰るために教室を出た。
今日はハゼは部活、久我はバイト、マオは家の用事があるらしく、見事に真宏以外残らず、悲しくも1人下校となってしまった。
宇佐美には今日も会えずじまいだった。

こんな風に1人で下校するのなんて、中学生ぶりでなんだか寂しく感じてしまう。
1人のほうが心地よいと思っていたりもしたのに、人は現金だなと思った。

靴を履き替えて、昇降口を出ると桜並木はもう散っていて、すっかり緑の葉だけが元気に陽に照らされていた。
そんな木々を見上げつつ、校門を出かかると目の前に一台の黒い高そうな車が止まっている。
なんだか怪しいな、なんて思い不審がりつつ車を避けるように歩いていこうとすると、ガチャリ、とドアの開く音と、カツンとヒールがアスファルトに当たる音、バタンと閉まる音がして少し背が緊張した。

「そこの黒髪の御方」


誰かが黒髪の御方を呼んでいる。
少しキョロキョロと視線を彷徨わせた。

「貴方ですわ」

ぽん、と肩を叩かれ驚いて振り返ると昨日見かけた美しい顔があった。

「へ、俺ですか!?」

真宏が大声で自分を指差し確認すると、昨日宇佐美を掻っ攫った超本人かれんが真っ直ぐに真宏を見上げていた。
彼女より背の高い真宏は彼女を見下ろして、「な、なんですか?」と吃りつつも聞いた。

「貴方にお話がありますの。私と来てくださらない?」

至極丁寧な口調で、ついてこいと言われた真宏は戸惑いながらも頷いてかれんに着いていくことにした。

かれんが車内に入りシートに腰掛けたあと、真宏も躊躇いなく車内に入りシートに腰を掛けたところで、かれんがじっと真宏を見つめているのに気づき、「……?」を浮かべながら見返すと、かれんは呆れた顔をしてため息を吐いた。

「貴方、警戒心というものがないのですか。私達が悪人だったらどうするの」

若干、砕けた口調になったかれんが呆れたように言うと、真宏は目を丸くして口を開いた。

「え!?悪い人なんですか!?」
「いえ、違うと思いますけど」
「なんですか、その曖昧な返事!怖い!」

うるさ……そう呟いたかれんの横顔は年相応の幼さが垣間見えた気がして真宏は少し魅入った。

「ところで、俺はどこに連れていかれるんですか?」
「悪い場所ではないわ。私とお話をするだけの場所よ。大人しく乗っていて頂戴ね」

有無を言わさないかれんの言い方に真宏は「はあい」と間抜けな返事をしてしまう。
まあなんにせよ、悪い場所ではないのは本当だろうし、この人は俺になにかしようと思っているわけではないのだろう。
お話ってなんだろうな。宇佐美のことだろうか。
宇佐美とかれんさんは知り合いっぽいしな。
宇佐美なんて下の名前で「かれん」なんて呼んでいたしな。

真宏は車窓を眺めながら、自分はどんな話を聞くのだろうかと考えを張り巡らせていた。





着いたのは、こんな場所にこんな豪邸があったのかと思うほどの大豪邸だった。
真宏は背筋が自然と伸び、車を運転していた洗練された付き人のような男性が門を開けてくれ、かれんの後ろを控えめについて行った。

大豪邸の邸宅の中はまさしく大豪邸のまま素晴らしく、こんなに大きくて広いのに塵一つなさ気な綺麗さに圧倒された。
ステンドグラスも、シャンデリアも、全てが本来の輝きを存分に発揮できているような、それほどに美しい内装だった。

「こちらです。洋士、お紅茶を」
「かしこまりました」

ずっと運転してくれていた運転手の名は「洋士」というらしく、命令された彼は短く頭を下げすぐに部屋から出ていった。

「おかけになって」
「失礼します……」

ふかふかなソファーは、ふかふか過ぎて尻が思ったより沈み込んで驚いた。
良いものはこんなにも尻を包み込んでくれるのか、やっぱり高いものは違うな、なんて1人感心していると、先程出ていったはずの洋士がシルバーのトレイを持ち、湯気を立たせたティーカップを静かに小指からガラステーブルの上に置いた。

ほのかに香る紅茶の茶葉は清らかで、いきなり大豪邸に連れてこられた心の緊張も強張った体もほぐしてれた気がした。

「ありがとう。しばらくこの方と2人にしてくださるかしら」
「かしこまりました。隣室に控えておりますのでなにかございましたらベルでお呼びくださいませ」

洋士は今度は深々と頭を下げて部屋から出ていった。
その様子をぼんやり見つめていると、「まずお名前をお伺いしようかしら」と声が聞こえてきてハッと意識を戻した。

「あ、伊縫です。伊縫真宏」
「私は櫻庭かれんと申します。まあ昨日ご挨拶させていただいたのでご存知かと思いますけれど」

そう言ったかれんに真宏は頷き「はい。覚えてます」と返した。

「ときに真宏さん。貴方は壱哉さんとお付き合いされてらっしゃるのですね」
「はい」

間髪入れず、かれんを見つめ返し答えると、かれんは驚いた様子もなく「そう」とだけ呟いた。

「そんな貴方にお話をしておこうと思って今日はここまで足を運んでいただいたの」
「……?お話って?」

かれんは紅茶を静かに啜って僅かに息を吐いたあと、品よくカップをソーサーに戻し真宏をじっと見据えた。

「おそらく、壱哉さんは貴方に知られたくないことなんでしょうけど、知っておいていただかなくてはならないことなのでお話しますわ」

え?
宇佐美が俺に知られたくないこと?
それを今からこの人は「勝手に」俺に話をするのか?

「私と壱哉さんは─……」
「ちょ、ちょっとまって!」

真宏はバッと立ち上がってかれんに手を伸ばし、ストップの意を伝える。

「なんですの」

不機嫌そうに眉を寄せるかれんに真宏はバクバクする心臓を無視して口を開く。

「お、俺……聞きたくないんだけど」
「え?」

真宏は僅かに震える己の手を反対の手で包み、胸のあたりで抑えた。。
引き継る口角を上げ、真宏は下手な笑いを浮かべてかれんを見た。

「……宇佐美は言いたくないって思ってるんでしょう?なら、なら俺も聞きたくないんですけど……」

真宏のセリフにかれんは目を見開き驚いていたが、すぐに顔を引き締めかれんは言った。

「貴方のために言うのですよ。あの方は─……壱哉さんは狡いから、きっと貴方を傷つけるでしょう」
「ど、どいうことです?」

かれんはじっと真宏を見つめる。

「貴方は、近い将来壱哉さんと離れることになるのです。それもほんの少しなんてものではない。今後、一生です」

「え……?」

何を言われているのか分からなかった。
なんでこの子はわかったように宇佐美を語るのか、なんで俺と宇佐美は離れるのか。

「貴方は壱哉さんとは幸せにはなれないのです」

断言されたように言われた台詞に真宏はカッと頭に血が上り、バンっとテーブルを叩いてしまう。
かれんがその大きな音にビクリと肩を震わせたのに気づき、慌てて「ご、ごめ……」っと謝ると、その音を聞きつけたのか洋士が部屋に飛び込んできた。

「お嬢様!今の音は─…」
「平気よ。私が頭に血が上ってやってしまっただけよ。洋士、私が呼ぶまで外にいて。真宏さんは乱暴するような方ではないわ」
「か、かしこまりました」

失礼しました、と再び頭を下げて出ていったが、最後に少し真宏は彼に睨まれた気がした。

「すみません、俺のせいだったのに……」
「いいえ。それよりも先程のお話の続きを」
「あ、はい……」

洋士が飛び込んできたことにより、少し怒りの熱が冷めた真宏はもう一度ソファに腰掛けかれんをまっすぐ見る。

「申し訳ないのですが、先程の台詞を取り消すことはできませんの。これは、壱哉さんが貴方とお付き合いされるずっと前から決まっている事実ですから」

決まっている事実?
一体なんなのだ。宇佐美が俺に伝えたくない、言おうとしていないことって。
それと俺らの幸せと、なんの関係があるというのだ。

それは本当は宇佐美から聞きたかった。
俺らに関わることは、宇佐美の口から直接聞いて、責めるのなら宇佐美を責めたかった。
けれどきっと、あの人は俺をかかわらせないのだろうな。
もしかしたら「真宏には関係ない」だなんて言うのかもしれないな。

しばらく黙りこんだ真宏は意を決して顔を上げた。

「宇佐美が言いたくないこと、本当は聞きたくないです。でも、俺らが離れる事実がなにかあるのなら、あの人はきっと何も言わず消えていきそうだから……。今回だけ、狡いけど……嫌だけど、あの人が隠してること教えてくれますか」

そう真剣に伝えると、かれんは僅かに頷き「私達は」と言った。

「……結婚するのです。壱哉さんと私が共に今の学校を卒業したら」

「……へ」

思った以上の事実に、真宏は何も言えなかった。
頭が真っ白になって、耳の奥でかれんの声と共になにか金属を打つような甲高い音が響いている。

なに、けっこんって……
だれとだれが……

「先日はそのお話をまとめるために壱哉さんをお迎えに行ったの。彼には恋人はもういないと思っていたけれど、こんな負けん気の強い方とお付き合いされていると知って、伝えなければと思ったのよ」

「な、なんで……」

真宏がやっとのことで口を開くと、かれんはきっぱりとした口調で言った。

「邪魔をされたら困るからです」

じゃ、じゃま……?

「私と壱哉さんは五年前から約束された仲ですのに、ぽっと出の貴方が間に入ってなにか引っ掻き回されたら面倒なことこの上ないでしょう?私がこの結婚を現実にするためにどれだけ苦労したか。それを水の泡にされたら困るの」

かれんの言い分に「ああそうか」なんて思ったが、「いや何納得してんだ」とすぐに頭を振って、思考を変える。

「そ、その結婚って宇佐美も同意してるってことですか?」
「ええ」
「ってことは、かれんさんの大切な人は宇佐美で、宇佐美の大事な人はかれんさん……ってこと?」

ああなんだこれ。

「……まあ、そういうことになりますわね」

かれんは僅かに顔を歪めて、真宏から目を逸らした。

ああいやだ。
なんだよそれ、なんなんだよ。
俺は宇佐美を信じていたのに。こんな裏切りってない。
決まっていたことを隠して、俺が好きだって思っていた気持ちを弄んでたってこと?
宇佐美も俺を好きだって言ってくれたのも、嘘だったの?

俺ばっかりがはしゃいでいて、俺ばっかりが好きで、大好きで、仕方なくて、本当に好きなのに──……

宇佐美じゃなきゃ嫌なのは俺だけ──……

「けれど、高校生活残り1年は壱哉さんは貴方のものです」
「え?」

かれんの謎に上から目線なその台詞に真宏はぱっと顔を上げ、彼女の顔を見た。

「なので残りの1年間……正確には今年の12月末までの時間は、真宏さんにあげます」
「じゅ、12月末?」
「はい。私達は籍は日本で入れませんの。カナダで籍を入れて卒業を待たずに壱哉さんは私の父の会社の跡継ぎになります。私はそのサポートをします。一応お互い卒業式には参加できることにはなってますけれど、1月から拠点はお互いカナダになりますの」

かれんの紡がれる台詞全てに真宏は困惑し、彼女を見つめるしかなかった。

「壱哉さんのお義父上のことはご存知ですか」
「……あ、はい。話程度は……。お会いしたことはないですけど……」
「周さんといいます。周さんは私の父とは深い繋がりがあります。父は周さんを溺愛しているので、壱哉さんというよりかは周さんと仕事がしたいようです。そんな父はもう永くはありません」

かれんは無表情に真宏を見つめている。
淡々とした口調から感情はあまり感じられない。
真宏はそんなかれんの言葉を一つ一つ漏らさずに聞く。

「私は父に可愛がられて育ちました。今すぐ結婚しても、卒業後に結婚しても父は孫の顔を見られないそうです。父の願いは、私が学業を立派にやり遂げることと、大切な人と結婚することだそうです」
「その、かれんさんの大切な人が宇佐美だったの……?」
「はい」

表情を変えないかれんからは宇佐美への愛情など微塵も感じられず、真宏は余計に混乱してしまう。

宇佐美が黙っていた事実にも、これから待ち受ける自分たちへの宿命にも。
全てが重く、苦しい。

「小さな命を見せてやることはできないけれど、結婚することはできます」

父を安心させたいというかれんの願いは強く真宏の心を動かしてしまう。
真宏も家族に愛されているから、気持ちがわかってしまう。
家族に何かあったら何がなんでも家族の願いを叶えたいと思う。
兄や杏や、両親が苦しんでいたら悲しい結末へ向かわなければならないとしたなら、自分ができることは何でもしたいと思ってしまう。
だからかれんの気持ちは痛いほど分かってしまう。
この人は宇佐美を幸せにしてくれるのだろうか。
この人は、宇佐美に愛溢れた家族を作ってくれるのだろうか。

男同士という事に引け目を感じたことは過去のいちどもない。
自分が女だったら良かったのに、なんて思ったこともない。

だけれど、子供が産めないのも、まだ同性が受け入れられていない世の中を見ても、自分たちが恋愛をし続けることが、宇佐美の幸せになるのかと言われたら、断言はできなかった。

家族はどんな形であれ作れる。
子供を産まなくても、家族にはなれる。

宇佐美が俺を選ばなくても宇佐美は幸せになれる?
俺は宇佐美に何もしてあげられないまま終わってしまうの……?
宇佐美は俺といて幸せだった?

俺は……



俺はすごく、物凄く、今でもずっと、幸せだよ



「……お話は分かりました」
「……」

真宏の言葉にかれんは見つめたあと、目をそらし俯いた。
真宏はそんなかれんを見つめて言葉を続ける。

「正直、なんでアイツ言ってくんねぇんだよ、とか、裏切りやがって、なんて一瞬思っちゃいましたけど……」

かれんは顔を上げずに黙って真宏の言葉を聞いていた。
真宏は、ふ、と頬を緩めてかれんを見つめる。

「でも俺、やっぱり宇佐美を信じます」
「え……?」

かれんはぱっと顔を上げて真宏を見た。
微笑む真宏にまた驚きを隠せないといった顔をして見つめる。

「かれんさんのお話を信じないとかじゃないです。宇佐美がわざと俺を傷つけようとして黙っていたわけじゃないってことと、俺への愛を、俺は信じるって意味です」

かれんは目を丸くしてなおも真宏を見つめた。
真宏はかれんから目をそらして僅かにうつむく。

「もしかしたら、1番は俺じゃなかったのかもしれません。でも、愛されていないな、なんて思ったことはないんです。宇佐美は真面目でいい人だから、きっとなにか理由があると思うんです。1番にかれんさんが大切でも、愛の順位の中に俺が少しでも入っているのなら、俺はそれを信じて宇佐美を好きでいることに変わりはないので」
「でも……、でも、今貴方が壱哉さんをどれだけ愛しても貴方は報われないのですよ?貴方とは結ばれないのです。どうあがいても」

かれんの台詞に真宏は下唇を噛む。
わかっている。
結婚は、命をつなぐ証明であるし、何より宇佐美に必要な家族を作るものだ。
俺は、それをあげたかった。
俺の家族と、家族になってほしいと思っていたし、それが俺の夢だったりした。
宇佐美が安心して笑って暮らせる居場所を俺が作りたかった。

宇佐美の幸せの手伝いが、したかったよ

「……初恋って、叶わないっていうじゃないですか」

そう笑って言うと、かれんはさっと立ち上がって真宏を強く抱きしめた。
杏とは違う女の子の香りと、強さが真宏を包む。

「……誰しもが幸せになれる選択ができないのは、私達が、まだ無力で非力な子供……だからなのかしらね」

優しく包み込まれた真宏はそのかれんの台詞に、一筋涙をこぼした。

強くなりたい。
早く大人になりたい。
宇佐美を大人から守りたかった。
家族をあげたかった。
家族になりたかった。

俺が、年下で子供なせいなのかな。
俺が弱いせいなのかな。

どうして、誰も笑っていないのだろう。

この選択で笑うのは、ここの誰でもない、大人たちでしかないんだな。


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