万事屋に帰宅した銀時は部屋の中に漂う紫煙の匂いに鼻をひくつかせた。玄関にはきちんと揃えられた靴が鎮座しており、来訪者が彼の家にいるのを告げていた。半月ほど前から雇っている新八の靴ではない。心当たりはある。その人物が此処にいるのならばつい数秒前に起きたちょっとした謎も解ける。特に急ぐこともなく、ブーツを脱ぎ、居間へと続く扉を開けた。社長椅子に座り、部屋中に煙をまき散らす女の姿を見て銀時は眉をひそめた。よく防災装置が作動しなかったもんだ。あ、そういえば点検断ったんだった。ぼりぼりと頭を掻きながら彼女に近づき、窓を開けた。新鮮な空気が部屋に雪崩れ込んでくる。
「あんたさあ、もういい年なんだから家賃ぐらいきちんと払いなさいよ」
「お前もいい年なんだからいい加減嫁にでも行け。嫁きおくれてんぞバカヤロー」
「うるせーてめーには関係ねー」
関係は無いが、関心はある。口には出さないが心の中で呟いた銀時は彼女の咥える煙管を奪い取り中身を捨てた。このままスパスパ吸われていては部屋に匂いがしみ込みそうだ。真っ赤に彩られた唇が歪み、不快感を露わにする。着崩れた着物の胸元にはなるべく目をやらないようにする銀時の様子に名前は一変して鈴のような声で笑った。項で一つにまとめられた癖のない栗色の髪の毛が揺れる。
「家賃の恩人にお茶もだしてくれないの?」
「てめーが勝手に払ったんだろ。ったくこっちは頼んじゃいねーよ」
「ばーか。利子つけて返して頂戴」
「どんな悪徳商法!?ほとんど詐欺だろそれ!」
胸元からタバコを取り出した名前は眼を剥いて怒る銀時に向かって空になった箱を投げつけた。口も手癖も悪い女に溜息しかでてこない。いくら器量が良くても性格がこれでは嫁きおくれになるのもわかる。こんな女にいつまでも惚れている自分が情けなくなった。惚れた方が負け。煙草を吸いだした彼女に客人用の灰皿を差し出した。電気のついていない部屋では煙草の煙と彼女の肌がよく映える。名前が煙を吸い込み、吐き出すのを銀時はただ見ていた。短くなった煙草をもみ消した名前が不意に琵琶をかき鳴らす。戦時中は腐るほど聞いていた彼女の音色は今も変わっていなかった。甘い戦慄に目を閉じる。葬送の琵琶だ。刀を振るわない、血を浴びていない彼女の血に塗れた音色。切ない余韻と共に手が止まる。ガキの頃から銀時は名前を見ていた。彼女はいつまで経っても大切な人だった。
「…何しに来てくれたんだ?」
「あんたの顔を見に」
「そうか」
「小太郎にも会いに行こうと思ってるんだけど、なかなか見つからないのよあいつ」
指名手配書を取り出した名前は嬉しそうに笑った。数か月に一回、名前はこうやってふらりと訪問してくる。本当に顔を見に来るだけ。だから銀時は現在、彼女がどこでどんな生活を送っているのかをしらない。身なりからして上質な生活を送っているのは分かる。それが彼女一人の生活なのか、それとも他の誰かに支えられての生活なのかは知らない。知りたかったが知る権利はなかった。自分の気持ちを伝えるには時が経ちすぎていて、その中で色々あり過ぎた。聞いたことのない曲を掻き鳴らす名前の閉じた瞳の奥に思いをはせた。