明日の話をしよう

 
それは前触れもなく起きたことだった。名前がたまたま仕事帰りに立ち寄った喫茶店の外のテラスで冷えたココアを味わっていた時、その男は突然現れた。歩道に面しているテラスの柵から身を乗り出すようにして名前の腕を掴んだ男は、目を丸くして固まる名前の顔を睨むように凝視し、名前の名前を呟いた。誰だ。固まっていた名前だったが、掴まれた腕に鈍い痛みを感じて声を出した。

「えっと、すみません。私、人の顔を覚えるのが苦手で……何処かでお会いしたことありますか?」

名前の記憶には男の顔は無い。パリッと着こなしたスーツの仕立ての良さから稼ぐサラリーマンの印象を受けるが、名前の勤める会社で彼を見た記憶もない。大学時代に交友のあった人かとも思ったが、それにしては少し年齢が離れているように見えた。

「そうか。覚えていないのか」
「すみません……。あの、宜しければ手を離していただけると……」
「あぁ…悪い。思わず掴んでしまったが、大丈夫か?すまない」

ぱっと手を離したリヴァイは赤く手の跡をつけてしまった名前の腕を見て申し訳なさそうな顔をした。名前もその顔を見てどうも申し訳なくなって来た。本当に覚えていないのだ。

「覚えていないならば、仕方ない……思い出せないなら思い出せば」
「えっ?は、はい」
「俺の名前はリヴァイ・アッカーマンだ。もう忘れるなよ」

テラスの柵を軽々と乗り越え、リヴァイは名前の前の席に腰を下ろした。不審者?変質者?と戸惑う名前の前に名刺入れから取り出した名刺を出した。新人教育で叩き込まれた新社会人の悲しい性か、とっさに両手で受け取ってしまう。そこに書いてある社名は誰もが知るような超一流企業だった。肩書きは課長。出世コースに順当に乗っている男らしい。

「大丈夫だ。いずれ思い出す。まあ、まずはお付き合いだな」
「いや、あの私、恋人が……」
「あ?別れろ」

リヴァイの顔は凄みを増していて名前は泣きたくなった。テラスにいる客はイヤホンをしてスマートフォンを弄っている者ばかりで、こちらの異変に気がつかないようだった。助けを求めてキョロキョロとする名前のスマートフォンがポーンと音を立ててメッセージの受信を告げた。名前とリヴァイの目が画面に向く。

「Eren……エレン・イェーガーか?」
「ご、ご存知なんですか?えっと、彼がその付き合ってる彼氏で」
「………ほぉ、エレンがな」

エレンと知り合いの様子に名前は安堵の息をついた。全く見ず知らずの不審者というわけではなさそうだ。リヴァイは名前のスマートフォンを勝手に操作し、エレンに電話をかけ出した。リヴァイは慌てて取り返そうとする名前を宥め、エレンが電話に出るのを待った。

「もしもし?名前さんか?どうした?」
「エレン。俺だ、リヴァイだ。久しぶりだな」
「なっ!兵長!?なんで兵長が…って今どこにいるんですか!名前さんは!?」
「落ちつけ。今はトロスト駅からすぐの喫茶店に居る」
「すぐ行きますから、絶対にそこを動かないでくださいね!?絶対ですよ!あと、名前さんに余計なこと言わないでくださいね!?」

エレンの声の大きさにリヴァイは顔を顰め、スマートフォンを耳から離した。漏れる声は名前からも聞こえ、どうやらエレンが来てくれるらしいと力を抜いた。

「いつからだ?」
「何がですか?」
「いつからエレンと付き合っていた?」
「えっと二ヶ月前です」
「そうか。エレンのどこが好きなんだ?」

突然の質問に名前は口籠った。どうして目の前の男にそんなことを答えなければならないのかと思ったが、彼の目が発する鋭すぎる眼光におずおずと答えた。

「その、一緒にいるととても懐かしい感覚がして居心地がいいんです……それにエレンはすごく優しくて」
「お前それ本当に好きなのか?普通ドキドキして落ち着かないとかいうもんなんじゃないのか」
「ドキドキって……私もうエレンと出会ってから三年経ってますしそれまでずっと後輩だったので、そういった変化は……」

リヴァイさんに話しかけられた時の方がドキッとしましたよ、と冗談のように言えば、リヴァイは切れ長の目を見開いた。暫く無言が続き、いい加減気まずくなった名前の元に、リヴァイと同じようにテラスの柵をまたいでエレンが駆け寄った。

「名前さんっ!」
「エレン。入り口はそこじゃないでしょう」
「すみません、でも」

エレンは名前の背中から抱きつき、威嚇するように、でも怯えるようにリヴァイを睨みつけた。リヴァイは椅子の背もたれに凭れ掛かり、手持ち無沙汰に持っていたボールペンをくるくると回す。

「エレンよ、返してもらうぞ」
「ダメです。今の名前さんは俺の恋人です。兵長だって言ってたじゃないですか、早い者勝ちだって」
「兵長……?」

渾名か何かだろうかと首をひねる名前にエレンは慌てたようにオンラインネットのゲームでの渾名だと告げた。其方に疎い名前は曖昧に納得したように頷きながら二人の会話を見守っていたが、巨人やら兵団やらと意味のわからないワードが飛び交う会話を聞くのも飽きてしまい、名前は自身のスマートフォンでネットサーフィンを始めた。

「兎に角、名前さんは俺の恋人です!諦めてください」
「おい名前、お前が全て思い出せば万事解……何してんだテメェ」
「えっ?」

スイーツの食べ放題の特集を見て頬を綻ばせていた名前はリヴァイに突然凄まれて慌てた。そんな名前をエレンが庇う。

「名前さん疲れちゃったんですよね、お仕事帰りですもんね。そろそろ帰りましょう」
「おいエレン」
「今日は!帰らせてください!」

エレンは立ち上がり名前の手を取り走り出した。訳の分からぬ名前は呼吸を落ち着けたエレンに説明するよう言うが、エレンは頑として口を割ろうとしない。

「またあの人が現れたらすぐ俺に連絡してくださいね。絶対ですよ!」
「あ、うん」
「……今度の土曜日、スイーツの食べ放題に行きましょうね」

その言葉に名前はエレンに抱きついた。エレンは優しい。いつも名前を優先してくれる。エレンの柔らかい猫っ毛をかき混ぜるように撫でながら、幸せを噛み締めていた名前だったが、土曜日のデートになぜかエレンがリヴァイと共に来た時には、思わず年下の可愛い恋人を殴り飛ばしたくなってしまった。
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