兵士には娯楽が少ない。ウォールシーナー内で贅沢に過ごす憲兵団はともかく、駐屯兵団や調査兵団に娯楽と呼べる娯楽は少なかった。休日の酒場で娯楽について討論する調査兵団団員の姿にウェイターは目を止める。酒はもちろん娯楽だ。しかし、兵士という立場上、浴びるほど飲むわけにもいかない。リヴァイはそんな中途半端な娯楽である酒のおかわりを頼むために片手を上げて様子を伺っていたウェイターを呼んだ。もしかしたら、自分たちを見ていたから気を聞かせてくれたのかもしれない。ウェイターは憧れに目を輝かせてリヴァイに近寄った。
「ウイスキーを一つと…おいミケ。お前飲み物は?」
「俺もウイスキーを」
「はいはーい!私はワインがいいな。銘柄は任せるよ」
「なにかつまめるものを適当に頼む…以上だ」
言われた内容を反復し、メモに書き留めたウェイターは視線を感じて顔を上げた。正面に座るエルヴィンはアルコールのせいか少し頬を赤く染めていた。凛々しい団長の姿しか見たことがない彼にとってその姿は意外なものだった。団長に兵長、分隊長二人という顔ぶれに緊張が走った。
「少し聞きたいんだが、君の娯楽とは何だい?できれば具体例がほしい」
「僕の娯楽ですか…楽器を弾くことですかね」
「楽器?」
「バイオリンを始めまして。まだ全然弾けませんけれど」
「ほう…」
楽器についてエルヴィンとリヴァイが話を始める。機を見計らってウェイターは席から離れた。少し惜しくはあったが、注文されたものを運んだときにまた話す機会はあるだろう。彼は厨房に入り注文を伝えたあと、ウイスキーとワインをグラスに注いだ。トレーに乗せて、再びエルヴィンたちの席へ戻る。ハンジはワインを受取り、少し匂いを嗅いだ後、口に含んだ。どうやらシャンパン・ワインのようだ。
「アルマン・ド・ブリニャック…?」
「はい。たまたま手に入ったので。お口に合えば嬉しいのですが」
「すごく美味しいよ!しかしよく手に入ったね…これは珍しいから」
「実はこれ、売り物じゃないんです。僕の幼馴染が貰ってきたもので」
「私が飲んでいいのかい?」
「ええ。あいつ調査兵団の大ファンなのできっと喜びます」
調査兵団の大ファン、との言葉にエルヴィンは苦笑いを浮かべ、リヴァイは眉を寄せた。それにしても高級なワインが出てきたものだ。ウェイターは4つのグラスにワインを注ぎ、それぞれの前においた。
「あの、そいつ、歌がすごく上手いんです。一昨日も貴族のパーティーに招待されていて、最近ではローゼの歌姫って呼ばれるようになりました」
「エルヴィンなら知っているんじゃないかい?」
「ローゼの歌姫ね…ああ、彼女の歌、聞いたことがあるよ」
ウェイターは少し誇らしげに胸を張った。その幼馴染がパーティーに行くたびに珍しい酒を貰ってきてくれるおかげでこの店は一流店の仲間入りを果たすことができていた。今こそ借りっぱなしの借りを返すときだ。
「是非、みなさん名前の歌を聞いてやってください。あいつも喜びます」
「今度調査兵団の本部に招待させていただこう」
「ありがとうございます」
エルヴィンは胸ポケットから取り出したメモ帳を破り、名前と連絡先を書き留めた。それをウェイターに渡した。両手で受け取ったウェイターはどうやって彼女に伝えようかと思案する。もしかして、勝手なことをして怒るかもしれないとも思った。
「是非とも彼女に渡してくれ。都合がいい時に連絡をくれると嬉しい」
「は、はい」
エルヴィンから紙を受け取ったウェイターは嬉しそうに礼を言い、自分の業務に戻っていった。彼の背中を眺めながらリヴァイは酒によって熱くなった息を吐いた。ハンジはニヤニヤしつつエルヴィンの肘を自分の肘で小突いた。
「よかったね、リヴァイ。で、予想以上にことが進んで満足?こんなストーカーちっくなことをした甲斐があって本当によかったね」
「人聞きの悪いことを言うな。たまたまだ」
「でも、期待してたんでしょう?」
ハンジはマドラーをリヴァイに向けた。名前という名前に反応を示したリヴァイは複雑そうな顔でハンジのにやけた顔を眺めた。名前は最近、知名度を上げてきている歌姫だ。彼女のファンになったリヴァイのために、彼女がよく来るという噂の酒場まで足を運んだのだ。あまりプライベートを明らかにしたがらない名前は個人的な連絡先さえも残さない。調査兵団の団長、兵士長という肩書を使えば会えないことはなかったが、二人はそれを良しとしなかった。
「最近パーティに行くのを渋らなくなったと思えばコレだから、笑っちゃうよね。そうでしょエルヴィン?」
「私はむしろ彼女に感謝したいがね。リヴァイが機嫌よく顔をだしてくれるお陰で商会からも寄付金が入る」
「お前ら…」
リヴァイは決して名前に恋心を抱いているわけではないが、こうも茶化されるのは気恥ずかしい。彼女の幼馴染のウェイターが差し入れてくれたワインを煽り、周囲を見渡した。すでに酔っ払ったハンジは顔を赤くして対して汚れていないメガネをしきりに拭いていた。ミケはしきりにワインの香りを嗅いだ。
「調査兵団の大ファン…か。これは喜ぶべきことなのか」
「さてな。せいぜい失望されないよう気をつけることだな」
「それは君自身も気をつけることだ」
心当たりのありすぎたリヴァイは顔を顰めた。嫌われようとどうってことはない。だが、できれば良好な関係を築いておきたい。リヴァイのなんとも言えない葛藤を読み取ったエルヴィンは綻んだ口元を隠すようにビスケットを噛み砕いた。