女型の巨人によってエレンを含む新兵を連れた壁外調査は大敗を喫した。エレンこそ失わなかったものの、精鋭揃いのはずのリヴァイ班はリヴァイを残して壊滅。そのリヴァイも足に重傷を負っている。先ほどまでリヴァイの怪我の処置をしていた名前はエルヴィンの執務室を訪れていた。エルヴィンは机の上に両肘を乗せ、両手の指を噛み合わせるようにした上に額を乗せてうなだれていた。
「兵士長の怪我の件です。日常生活に支障はありませんが、立体機動装置の使用は認められません」
「…そうか。いつになれば現場復帰できる見込みだ?」
「少なくとも三ヶ月間は安静にしていただく必要があります」
「わかった。引き続きリヴァイを頼む」
「はい」
名前は白衣のポケットから薬の入った小瓶を取り出してエルヴィンの机に置いた。エルヴィンがゆっくり顔をあげた。無表情に定評のある名前の顔が見え、一層気分が落ち込んだ気がした。彼女は小瓶を爪で弾く。チン、と軽い音がした。瓶の中身は軽度の睡眠薬だ。
「少しは休んでください」
「ああ。そうするよ」
「これ以上、医療班の仕事を増やさないでいただきたいものです」
抑揚のない声でそう言われ、エルヴィンは苦笑いを浮かべるしか無かった。彼女なりに心配はしてくれているのだろう。よく見ると名前の目の下にも隈があった。医療班班長の彼女も昼夜問わず治療に追われているのだろう。一礼して部屋から出て行く名前の背中はどこか寂しそうだった。
「リヴァイ。誰が立っていいって言った」
「早かったな」
「あまり動かないで」
医務室の奥にある私室に戻ると先ほどまで治療を受けていたリヴァイが立ち上がり、名前の本棚を漁っていたところだった。名前はそれを咎める。リヴァイの膝蓋骨の骨折は見られないものの、重度の打撲と内出血によって酷い有様になっていた。できることならば数日様子を見て水が溜まってこないか確認したい。だが、憲兵団にエレンを渡さなければいけない期限が明後日に迫っているのだ。そのためリヴァイは自分も計画に同行すると言ってきかない。
「早く前線に戻りたいのならば、医者の言うことを大人しく言うことを聞くのが正しい選択だと思うが」
「前線にも戻りたいが、あのガキをなんとかしてやりたいのも俺の本心だ」
「今のお前は足手纏いにしかならないと思う」
「どうだろうな。どっちみち王都に招集されたメンバーのなかに俺は入っている」
「怪我を理由に辞退してしまえばいい」
「馬鹿が。この怪我は公にできないと説明したはずだ」
リヴァイの腕を掴み、反対の腕で腰に手を回した名前は半ば引きずるようにしてリヴァイをベッドまで移動させた。ベッドに腰掛けたリヴァイは足元に膝をつく名前を上から見ることになった。左足のスボンを捲られ、膝の様子をチェックされる。熱を持った膝を軽く押されたせいでリヴァイの顔が歪んだ。
「人類最強が重度の負傷で前線から外れたとしれたらもう本当に調査兵団は終わりだろうね」
「だから隠し通さなければならない」
「理解はするよ。理解はするけど賛同はできない。それに調査兵団内なのにリヴァイの怪我は軽度ってことになっているのはどうして」
「無駄な不安を煽りたくないだけだ」
スボンの裾を戻し、氷袋をリヴァイの膝に当てた名前はゆっくり瞬いた。リヴァイは名前の頬をゆっくりと撫でた。今回の件で彼女を酷く心配させてしまったらしい。リヴァイの手に自分の手を重ねた名前はゆっくりと息を吐いた。
「やっぱり医療班も壁外調査に着いて行くべき」
「何度も言うが却下だ。お前は壁の中で待っていろ」
「お互い私情は抜きにしよう、リヴァイ」
「壁の外で医療行為…救命行為ができるわけない」
「やってみなければわからない」
何度繰り返したかわからないこのやりとりに一瞬の苛立ちが二人を襲うが、相手の顔を見てそれは不安に変わった。互いに死んで欲しくないのだ。だが、その心情は、お互いを信じられていないということでもある。名前はリヴァイの背中に手をまわして鎖骨に頬を押し付けた。無表情の仮面が剥ぎ落とされ、悲しみと不安と寂しさの混じった表情が現れる。リヴァイが壁外調査から戻ってくるたびに見る光景だった。
「すまない」
「別にいい。今のままで、今のままが続いてくれるならば、それでいいから」
「俺はお前に人並みの女としての幸せすら与えられない男だ」
「知っている」
「……」
「でも、幸せ」
抱きしめられる腕の逞しさになによりも幸せを感じられる。リヴァイが仲間を失って悲しむことが無くなるように、と願うものの名前では巨人から人間を救うことはできない。彼女にできることは壁の中に戻ってこられた兵士のみを治療することだ。白衣から香る消毒液の匂い。誰かが医務室の扉をノックするまで静かに抱き合っていた。