世界中の嘘吐きを集めて

 
壁外調査の翌日は休暇となる。多くの兵は何をするわけでもなくぼうっとしている。基本的に死体は持って帰れないため、縋る縁がないのだろう。そんな部下たちとは違い、隊長以上の上官は殉死した部下の名簿整理や遺品整理の指示で働いている。名前は調査兵団本部の中庭のベンチで人の気配が薄くなった本部を背景に本を読んでいた。そんな彼女の前に立ち、彼女の読んでいる本を上から覗き込むようにサシャは声を掛けた。

「名前。なんの本を読んでるんですか?」
「外の世界の本だよ。アルミンが薦めてくれたの」
「ふーん。名前も外の世界に行きたいんでしたっけ?」
「ううん」

名前は持っていた本を閉じて首を横に振った。セミロングの髪が胸元でフルフルと揺れ、サシャの鼻孔を甘い香りがくすぐる。名前は砂糖菓子のような、甘ったるいいい匂いがする。壁外調査の後でさえ、彼女からは泥のように甘い匂いがしたものだ。

「私は壁の中で安全に暮らしたい」
「じゃあ、なんで調査兵団に入ったんですか?」
「もちろんサシャがいるからだよ」

顔を上げ、ニコッと笑った名前に、サシャはもしかしたら自分はとんでもないことをしてしまったのではないかと思った。名前は成績優秀者の10位以内には入っていない。彼女は憲兵団にこそ入れないものの、駐屯兵団を選ぶ道もあった。安全度で言えば、調査兵団は選ばない。

「私がいたから調査兵団に入ったんですか?」
「うん」
「……そうですか」

子供がリヴァイに憧れて調査兵団を目指すように、ミカサがエレンを守るために調査兵団に入ったように、名前はサシャがいるからここにいるのだという。サシャは首を捻る。

「私は人に憧れられたことなんてありません。リヴァイ兵長のように強いわけでもありませんし…」
「サシャは優しいよ。もしかしたら、クリスタよりも優しいかもしれない。馬鹿だ、馬鹿だって言われているけど、物事の本質を直感的につかめている人だと思うの」
「そんな…買いかぶりすぎですよ。104期で一番やさしいのはクリスタですし、アルミンにはどうひっくり返っても頭脳では勝てません」
「うーん…。私は、別にサシャを褒めているわけでも、憧れているわけじゃないんだよ」
「名前が何を言いたいのか…私には難しい話はわかりません」
「私はね、サシャが初めての友達だから、一緒にいたいと思ったんだ。別にサシャが飛び抜けてすごい人間とは思ってないんだ。特別な人間じゃなくても、私はありのままのサシャが好きだから」
「…すっごいことを言われた気がします」

まるで愛の告白のようなセリフにサシャの頬は赤く染まった。嬉しさと恥ずかしさが半々になった気持ちだ。つまり、悪い気はしない。手を後ろで組んで、サシャは本部を眺めた。重々しい雰囲気もどこか薄れたようだ。

「じゃあ、サシャ。私は部屋に戻るね。眠くなっちゃった」
「あ、はい。じゃあまた後で」

立ち上がった名前はズボンについた砂埃をぱんぱんと払う。バイバイっと手を振り、ゆっくりと歩いていった。彼女は何かの皮をかぶっているように思えてならない。三年間、共に過ごしていた時から感じていた薄ら寒さが消えないのだ。名前は悪い子ではない。だが、彼女から一皮剥げば、そこには得体のしれない何かがいそうで怖いのだ。

「不思議な子だねェ?」
「え?!あ、ハンジ分隊長!こんにちは…」
「やあこんにちは。サシャ・ブラウスだね」
「はい…?」
「名前がこないだの壁外調査で討伐した巨人の数を知っているかい?」
「えっ…討伐?」
「そう、討伐だ。補佐じゃないよ。れっきとした討伐だ」
「…知りません」
「右翼索敵にいたんだよ、彼女」

女型がつれてきた巨人のせいで右翼索敵は壊滅的ダメージを受けたはず。伝達係の名前もその近くにいたのは想像に硬くない。サシャは自分が奇行種に追い掛けられた時の記憶が蘇り、無意識に背筋を震わせた。討伐。名前は巨人を倒したというのだろうか。

「報告では、四体だ。正直、彼女の存在を見落としていたよ」
「ええっ…え、いや…名前はやればできる子ですから」
「やればできる子、ね。だが、やらないのは罪だ。そして同期の君達でさえ、彼女の力を見誤っている」

ハンジの目は細められ、口元は笑っていなかった。新兵の様子は伺っていたが、誰一人名前に注目、ましては期待をする人物はいなかった。だからこそ、驚愕したのだ。成績は上の下。特技も無い。そんな彼女が初戦で見せた働きは、想像以上のものであったから。ハンジはメガネを抑え、名前が入っていった宿舎に視線を飛ばす。サシャもまた、言いようのない不安のようなものを感じることになった。
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