幸せはとても不味かった

薄く目を開けながら、死んだように横になる銀時の隣に腰を降ろし、名前はそっと目を閉じた。壁越しに聞こえる雨音と雑踏の声。それらが酷くくぐもって聞こえてくるせいで二人だけが別世界にいるようだった。少しだけ暖房をかけた生温かい部屋。床に投げ出された銀時の手をそっと握り、頬に寄せた。温かい。いつだって銀時の手は温かかった。

「昔を思い出すな」
「…うん?」
「雨で戦に出れねェ日はお前とこうやってだらだら過ごしてたな、って」
「そうだったっけ?」
「あァ。それでヅラが士気がさがるとか喚いてた」
「あぁ…そうだったかも」
「忘れちまったか」
「うん」
「そうか」

忘れるはずはないのだけど、忘れていたフリをした。銀時にはもう忘れて欲しいのだ。忘れることなんてできないと知っているが。今の彼を作り上げているのは確実に昔の彼があったからで、それを否定することなんて許されない。でも、もう昔の彼とはかかわってほしくない。桂が尋ねてくることもあまり喜ばしくないと思っている。困っている人は見すてておけない。一度情を持ってしまうと捨てられない。その優しさが何よりも彼の負担だというのに。いつだって厄介ごとに巻き込まれて、戦って、傷ついて。

「銀ちゃん」
「うん?」

こんな優しい人なのに修羅のような顔つきて刀を振るう。そんな彼を愛しいと思う反面、やめてほしいとも思う。静かに幸せに暮らしていて欲しいのだ。銀時が幸せになるのにお金が必要だというのなら、骨を粉にして働こう。銀時が幸せになるのに力が必要だというのなら、刀を握ろう。癖のある銀髪を軽く弄る。耳に指が当たるとくすぐったいのか身をよじった。銀時が名前の為に刀を振るっていたと気づいてから、素直に彼と向き合えなくなったような気がしている。

「白夜叉」
「…うん?」

好きだよ、と名前が小さく声に出せば、銀時の重たげな瞼が少しだけ開いた。だらしなく放り投げていた腕を少しあげ、名前の髪を掬った。恋人同士ではない。しかし腐れ縁というわけでもない。確かに自分たちの判断でいま一緒にここにいるのだ。均衡の取れないシーソーみたいにふらふらと揺れ続ける関係。どちらかに何かが加わればそれはもう動かせないのだろう。

「このまま、死んでいくのかな、って」
「どういうことだ?」
「ううん」
「…何かあったか?」
「何もないよ」

幸せなだけ。高杉が憎むこの世界が、桂が変えようとする今の世の中が、幸せなだけ。胸からあふれ出しそうになるこの感情の名前は知らない。甘く、濁った感情を垂れ流すように銀時の手を握る。伝われ、この想い。ぎゅっと握った手は先ほどよりも熱を持っていた。

愛してる

そう呟いて、名前は違う、と首をひねった。銀時は瞼を完全に閉じた。ボキャブラリーが足りないのだ。決定的に。博識な桂なら知っているかもしれない。意外と世話好きな高杉なら教えてくれるかもしれない。けれど、目の前にいるのは自分と同じ銀時なのだ。二人で答えを探しても一緒に迷子になってしまうだけ。

「寝ちゃうの?」
「寝る」

敷きっぱなしの布団のほうに体を転がした銀時は掛布団を頭まで引き上げた。ここで彼の寝息を聞くのもいいが、それは退屈だ。そっと襖を閉めて隣の居間のソファーに腰かけた。先ほど飲んでいたお茶はすっかり熱を冷ましてしまっている。机の上に掲げられた『糖分』の文字と、雨が滴る窓。新八も神楽もいない万事屋は静かだ。彼らが来る前は二人きりだったのに、その面影はもうない。にぎやかになった。

「あぁ…」

小さく溜息のような喘ぎを出せばそれは予想以上に大きく木霊した。血と臓物の匂いが自分の身体からするのだ。嗅ぎ慣れた硝煙。自らの腕に爪を立てて、ほっと息を吐く。皮膚が割け、生暖かいだろう血液が少しだけ滴るのを見て安心した。
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