誘拐犯のやさしさ

お客さんのアフターに付き合い、帰宅したのが午前の二時。気力だけで化粧を落として、化粧水だけをつけて布団に潜り込んだ。いつもよりアルコール摂取量が多いせいか酷く怠く眠く、起きた後の鏡を覗くのが怖いが、スキンケアより睡魔が勝った。目覚まし時計はセットせずに目を閉じる。おやすみなさい、と一人ごちた。

二度寝か、三度寝か。何回か起きた記憶はあるものの、名前がしっかり眼を冷ましたのは夕方の四時だった。寝過ぎたせいか頭が怠い。寝汗も酷いことだしとりあえずシャワーを浴びてすっきりしようと、着替えを箪笥から引き出してシャワーを浴びにいく。シャワーを浴び終わったら花壇の花にも水を遣らなきゃ。二階建てのアパート。花を枯らすと大家さんの雷が落ちる。冷たいシャワーを全身に浴びて身も心も引き締まりきった。

「白米はあるけど、オカズ…。大江戸マート行くか…」

一人暮らしの独り言はやけに響いた。空に等しい冷蔵庫の中に頭を突っ込んで冷気を堪能する。一人暮らしだと人目を気にしない分奇行が増える。濡れ髪が芯から冷えて背筋に寒気が走ったころ、やっと冷蔵庫を閉めた。軽くドライヤーをかけて着物を着る。乾き切ってない髪を適当に括ってアパートの階段を下りた。片手に財布、片手に水並々の如雨露。

「……」
「やあ」

やあ。片手の如雨露が滑り落ちて足元を濡した。大家さんが、大切に、大切に、していたお花が。確かどっかの星から一年待ちで輸入した珍しい花だとか。淡い朱色の大輪の花が。

「それ食べてるんですか!?」
「えっ、これ食用だヨ?」
「違います!そういう問題じゃなくてですね!人のものを勝手に食べちゃいけないっていつも…てか拾い食い…」

くわっと目を剥いた名前の視線は花をむしゃむしゃと食べる春雨第七師団団長に向いていた。茎までペロリと食べ、さらにもう一本へと手を伸ばす神威を慌てて止めた。

「名前。阿伏兎に聞いたんだけどネ、本当に船降りちゃうの?」
「ええっ」
「だって半年以上も戻ってこないし。もうこりゃ帰ってこねーな、って言われたヨ」

そう言って神威は花を手折りむしゃむしゃと食べる。名前は夜兎ではない。二年前に『第七師団団長は日本食がお好きらしい』と言う理由でいきなり拉致られた只の人間だ。労働環境の悪さに我慢して、我慢して、我慢して、やっと地球に寄ったとき阿伏兎に辞表を叩きつけて出てきたのだ。どうやらその辞表、神威のもとには届かなかったらしい。顔を盛大に引きつらせる名前に神威の機嫌は少しづつ悪くなっていった。

「戻っておいでヨ。お給料ならアップしてあげるからさ」
「別にお給料が低くて飛び出したわけじゃないんですけど」
「じゃあ俺専属の料理人にしてあげる。確かに団員全員のご飯を毎回作るのはか弱い名前にはキツいもんネ」
「団長のご飯作るのも十分キツいです」

あり?困ったな?と首を傾げる団長は無駄にかわいかった。そして何を思ったか顔の前で両手をゆっくり合わせた。

「……」
「お願い名前、戻っておいで。これは命令だヨ」
「……」

お願いから始まってるのに命令で終わってるよ。矛盾してるよ。ついでに神威は花壇の淵のレンガを軽く蹴る。それはドゴォッと鈍い音を立てて抉れた。脅すつもりはないんだろうけどね、脅すつもりはないんだろうけどね!パチンとウインクを飛ばす神威。名前の本能がヤバいと告げていた。

「つ、謹んでお請けいたします…」
「うん。名前の奇行が見れないのは寂しかったヨ」
「……」

私はあなたの奇行のせいで大家さんに殺されそうです。ボロボロになった花壇と大家さんの部屋を見比べる。バレる前に部屋から去らねばと考えるあたり、私も犯罪者だな。よしよし、と頭を撫でてくれる神威に名前は泣きたくなった。また連行されて生死の狭間をうろうろする羽目になるのか…。がっくりうなだれた名前の腕を掴み、ずるずると引きずって歩く。

「今日の夕飯はお味噌汁がいいな。わかめとお豆腐が沢山はいってるやつ」
「…お味噌汁だけじゃ足りないでしょう」
「んー。後は名前に任せるヨ」

お味噌汁と、柳葉魚でも大量に焼くか。手持ちは財布だけ。きっと神威は家に戻らせてはくれないだろう。腹を括った名前が自らの足で歩きだせば、神威も腕を解放して傘に名前を入れた。紫外線対策は有り難いので大人しく入る。久しぶりに隣にきた名前に自然と神威の頬は緩んだ。遠目に二人の姿を見た阿伏兎は笠の下で小さく喉を鳴らして笑った。
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