12

名前の鞄の奥底に押し込められている携帯は酷く傷ついていた。パッションピンクのカラーリングはところどころ禿げてしまっているし、スライド式の携帯なのに、スムーズには画面が滑らない。けれども彼女はそのボロボロの携帯電話をいつでも近くに置いていた。なぜならこの携帯電話は思い出の品でもあるのだ。他界してしまった両親との思い出が詰まっているもの。名前と高杉がのんびりとランチを楽しんでいる現在、その携帯電話は持ち主の操作なしに電話を発信し、切った。履歴を消し、何事もなかったかのように沈黙する。名前がそれに気が付くことはなかった。

高杉の運転で羽田空港に向かう名前は酷い眠気に襲われていた。恐らくアドレナリン値が異常に上がった後の反応だろう。しばらく実戦から離れていたせいで体が鈍っていたらしい。欠伸を繰り返す名前に寝るように高杉は促したが、頑として目を閉じようとしなかった。ぼんやりと交差点の赤信号を眺める。缶コーヒーに手を伸ばして、ひっこめる。

「あ…コーヒー無くなっちゃった」
「出発時刻間際まで適当に車動かすから寝てろって」
「ううん」
「……」

名前の乗る飛行機は十八時発だ。あと二時間ほどある。スーツケースもないし、身一つで飛べる彼女は三十分前に空港に着けばいいと言っている。それまで空港の周りをドライブするつもりだ。名前が寝ようとしないのは、一緒にいる時間を無駄にしたくないためか、信頼していないためか。赤信号が青に変わり、高杉がアクセルを踏む。交差点を渡りきる、その二秒間、名前の視線は歩道橋の上に立つ地雷亜の姿をとらえていた。

「……」
「名前、シートベルトしろ」
「……いや、いい」

助手席のシートを最大限まで倒した名前はIMIデザートイーグルを取り出した。平日の午後で車道が空いているのは幸運だった。助手席のドアを薄く開ける。名前がマスクを着用したのを確認してから高杉はアクセルを踏み込んだ。脇道から次々に車が出てくる。日本の車道は左側通行だ。対向車から運転席が狙いやすい。何故左ハンドルの車を持ってこなかったのかと名前は高杉に不満を言う。

「一応防弾ガラスだぜ?」
「なら一安心だわ」

後部座席を指差す高杉。名前が後ろに視線を投げた時、発砲音が聞こえた。
追ってきているのは紅蜘蛛党の残党だろう。さすがに街中で手榴弾を投げてくるような真似はしないが、いきなり発砲してくるあたりなりふり構わずということだ。
足をサイドボードの中に押し込み、爪先をひっかけ、態勢を整えた。高杉が勢いよく右にハンドルを切り、名前の頭は窓ガラスに軽くぶつかる。衝撃でドアが開いた。そこから身を乗り出した名前は対向車で来ていた運転席に銃を向けて発砲した。
防弾では無かったらしくガラスを突き破り被弾した男の白いシャツがみるみる赤く染まる。助手席の男がハンドルを取ろうとするのを見て、その男にも一発撃ちこんだ。歩道に突っ込む車を確認してから名前は体を車内に引っ込ませた。助手席のドアを閉め、後部座席に移動し、今度は進行方向右側のドアを開けた。運転席のシートにヒールをひっかける。バックミラーを確認した高杉の合図を受けて後続車のタイヤを撃ち抜いた。脇道から隣の大通りへと出、振り向きざまに新しく追ってくる車を視認、発砲。こなしてきた数が違うのだ。名前の真似をして車から身を乗り出そうとした対向車の男だが、バランスを取れずに銃を構えられない。スピードを落とした高杉。名前が腕を掴み、車道に引きずりおとした。タイヤを狙い、撃つ。

「今、四台」
「まだ居るだろ」
「地雷亜がどっかにいるはずなんだけど……」
「もう空港じゃねーの?」
「やっぱり?」

待ち伏せされているのだろうか。再び助手席に収まった名前は周囲に目を配った。今頃通報されているだろう。ナンバープレートを張り替えたい。大きく息をついた名前の眼前のフロントガラスに銃弾が撃ち込まれた。一発、二発、三発。射撃ライフルからの狙撃だ。前方に目を凝らす名前がビルの上に人影を見つけた。狙撃の準備をするほどに余裕があったのか?そもそもどうやって居場所を掴んだのか。名前はちらりと高杉を見た。

「外出るなよ」
「……はいはい」

名前をおびき出すかのように後ろの車が車体をぶつけてくる。舌打ちをした。どうせ空港で待ち伏せされているならば、時間をぎりぎりにしても意味がない。

「空港に向かって」
「……」
「いいから」
「空港内にハンドキャノンは持ち込めないぜ」
「いや、大丈夫。倉庫の方にまわれる?」

地雷亜が空港に罠を張っているとしたら危険度は限りなく高い。武器を持ち込まないわけにはいかなかった。セキュリティを潜り抜けるのは難しい。搭乗便を変えるよう高杉は言うが、名前は渋った。

「……どちらにせよ、今のまま空港に向かうのは得策じゃねェだろ」
「待ち伏せされているのがわかっているんだからこちらから迎え撃つわ」
「……」
「高杉、約束通り空港まで届けてくれたら仕事は終わり。ありがとう」

両手の手の平を勢いよく打ち付けて名前は高杉に言った。制限速度を無視した車は追ってを撒いていく。スマートフォンをぽちぽちと押したのち、高杉に空港の滑走路近くで車を止めるよう頼んだ。納得がいかないような表情を浮かべる高杉だったが、名前は車から降りると電信柱に凭れかかり、高杉に手を振った。見送るということだろう。これ以上の干渉をするさない、高杉を拒絶する瞳に諦め、未練の残る足を動かしてアクセルを踏んだ。高杉の車が視界から消えるまで名前はずっとその姿を追っていた。

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