土方は覆面パトカーの助手席に座りながら目の前の赤信号を睨んでいた。山崎がハンドルを握りながら車内に流れる音楽に合わせてコツコツと指でリズムをとっている。後続の車には沖田と近藤が乗っている。今回の踏みこみで使う人数は三十人ほど。随分な大捕物ものだと伊藤からも嫌味を言われた。警察庁から四十分弱で目的地につく。残り五分ほどという場所で土方が携帯電話を取り出した。
「山崎、黙ってろよ…?」
煙草を灰皿に押し付けてスマートフォンの電話帳を呼びだした。ある名前を親指でタッチし、マイク付きイヤホンのイヤホンジャックをスマートフォンに差し込んだ。発信ボタンを押す。
「もしもし…土方だ」
「こんばんは。随分ゆっくりした出発でしたね」
「…あと五分で着く。金は出る前に振り込んだ。確認してくれ」
「もう確認済み、引き出し住みです。どうもありがとうございました。じゃあ、御武運を。あ、地雷亜、居ますよ」
軽やかな女の声を残して電話は切れた。忌々しげに画面を見た土方は乱暴にイヤホンを引き抜いた。機嫌が悪くなる土方に山崎は車内の音楽のボリュームを下げた。今回の逮捕目標は紅蜘蛛党という組織だ。海外からの麻薬密輸容疑が出ている。もともと沖田が暴力団関係としてマークしていた団体だが、山崎の知り合いである女からのタレこみで本格的な麻薬捜査に入った。彼女が提出した証拠は逮捕に踏み切るにあたり、十分すぎるほど。
「あのビルです」
「取引日時まで親切に教えてくれるとはな。二千万の価値はありそうだ」
「俺は別で三千万搾り取られてますけどね」
「五千万か…」
「現在はあっちの仕事はしてないみたいですからね、金が要り用なんでしょう」
「愛人してるだけじゃ足りねェってか」
土方がマヨボロを咥えるとすかさず山崎がライターを差出し、火をつけた。名前の情報が正しければ、現在このビルの中で春雨と紅蜘蛛党が取引をしているはず。頭領の地雷亜も居るとか。名前は紅蜘蛛党のNO2の筈である。地雷亜の腹心として動いているようだという沖田の報告書があった。
「内部の裏切りほど怖いものはねェな…うちも引き締めるか」
「お手柔らかにお願いしますよ」
山崎と軽口をたたいている間に近藤もパトカーから降りてきた。ビルから少し離れた場所に、土方と近藤の乗ったパトカーが二台。残りはビルを包囲させる。沖田が指令を出すために無線を取り出した。踏みこみの合図をすると同時に車がビルの各入口をふさいでいく。特殊武装した警官の後に麻薬捜査官が踏みこんでいくのが見えた。銃撃戦の可能性もある。沖田と目配せをした土方は山崎と近藤をパトカーに残してビルに向かった。
「土方さん。名字と連絡は済ませたんですかィ?」
「あぁ、さっきな。しっかし、あいつ自分の組織裏切って今後どうするつもりなんだろうな」
「さァ。まあ聞くところによると紅蜘蛛党にいたのも本意じゃないらしいですからねェ。あてはあるんじゃないですかィ?」
沖田は名前を思い出す。接触するにあたり彼女のことを調べたが紅蜘蛛党に入る前はフリーの殺し屋だったということしか出てこない。ただ厄介だったのは、名前が殺しをしていたという証拠が何一つでてこないということだ。子飼いの情報屋も詳しくは知らなかった。そこそこに有名だったとは言うが。
「桂との目撃情報もありますし、万事屋の旦那とも仲良いみたいでしたよ」
「ますますキナ臭い女だ」
「この町はアウトローですからね。一つ一つさらって行っちゃあキリがありやせんぜ」
土方と沖田がビルの入り口の自動ドアを通り過ぎると罵声が聞こえてくる。手こずっているのならば、応援を呼んだ方がいい。無線で様子を確かめると応援はいらないと原田が答えた。地雷亜の姿は今のところ見られていないらしい。だが、どこかに居るはずだ。探すよう命じた土方は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けて火を消した。一時間ほどで喧騒は収まり、手錠をかけられた男たちが次々にパトカーへと押し込まれていく。出てきた原田に手を上げた。
「紅蜘蛛党が五十人弱と取引相手の男を一人、どうやらこいつは中国人のようです。それと…」
「なんだ」
「地雷亜の姿は見られませんでした。目下捜索中ですが…」
「…そうか」
原田の報告に土方はこめかみを掻いた。名前が土方達に地雷亜がいるというガセを流したのだろうか。それならまだいいが、もしも逃がしたのならば彼女の身が危ないだろう。情報提供者の身元は割れていないはずだが…。警告だけはしておこうとスマートフォンを取り出し、リダイアルの文字を押した。だが通じない。三回ほどその動作を繰り返し、漸く諦めた土方はスマートフォンをスーツのポケットのなかにしまった。
「絶対に居るはずだ。草の根分けても探し出せ」
一発の発砲音が聞こえた。ビルにいる人間の注目が一気にそちらへ向く。ビルの中からではない。ビルから少し離れた場所、近藤がいるパトカーの方向だ。土方と沖田が走った。逃げるように去る人物を追うように沖田に指示した土方は近藤が無事であることを確認して胸をなでおろした。防弾ガラスは自分の役割をちゃんと遂行したらしい。安堵の溜息を吐いた土方は時計を見る。丁度日付を跨ぐころ、先ほどの人影が沖田に連行されて土方のもとにやってきた。