横浜駅のビジネスホテルで阿伏兎はベレッタM84を握りしめていた。部屋に備え付けられている固定電話が鳴ったと思ったら留守電で名前と名乗る女がメッセージを残した。電話越しの声では本人なのかそうではないのか判断できない。それにどうやってここを調べ上げたのか。たまたま入ったホテルが此処なのであって、計画性はゼロだ。退路を確認したのち、シグを構えて阿伏兎は扉に意識を飛ばしていた。ノックが数回繰り返される。チェーンを嵌めたまま外を除くと確かに名前がいた。その後ろに人がいる気配はない。ドアを薄く開け、彼女をひっぱり、すぐに閉じた。へたり込んでしまう名前を支えた所で阿伏兎はあることに気が付いた。
「もしかしてお前さん…そのコートの下に何も着てないのか…?」
「お水、いただけませんか」
酷く擦れたハスキーな声で名前は水を求めた。阿伏兎がペットボトルを渡すと一息で500mlを飲み干した。大きく息をついた彼女は気分が悪いのか口元を抑えている。落ち着いた名前は時計を見て目を開いた。
「あ、阿伏兎さん。あの……」
「神威なら捕まっちまったよ」
「鬼兵隊のトップって、高杉って男ですか?」
「あ?あぁ。聞いたところによると春雨と鬼兵隊で手を組んでうちの師団を潰そうとしていたらしい。昨日のやつも高杉の入れ知恵だ」
「そうなんですか……」
「で、お前さんに二つ質問がある。一つ目はどうしてここが分かったのか。二つ目はどうして俺の元にきたのか。取引は終わったはずだろう?」
阿伏兎の目が疑うように細くなる。名前は質問に答えた。ここが分かったのは、乱闘の最中阿伏兎と神威に発信器を付けていたから。二つ目は高杉に殺されそうになって頼る人がいなかったからだ。銀時の顔が浮かんだが、巻き込むわけにはいかない。そこでもともと巻き込まれている阿伏兎を選んだのだ。名前と高杉が恋仲だと聞いて阿伏兎は苦笑いを浮かべた。なんという運命のいたずらだ。だが、そんなこと彼にはどうでもいい。
「……つまりあんたは団長の居場所もわかるってことか」
「はい」
「団長の奪取、手伝ってくれるのか?」
「ええ」
愛する人に殺されるなんてロマンチックだなんて思った頃もあったがとんでもない。実際に殺されかけて何よりも大事なのは自分の命だと実感した。それに名前は神威のことが気に入ったし、高杉に一矢報いたいという気持ちもある。だから救出の手助けをしようと思った。
「それにしてもよく逃げ切れたな」
「まぁ……」
言葉を濁した名前に眉をひそめるものの、彼女の身に何が起こったのかはなんとなく察した。阿伏兎は自分の部下たちも同時刻に春雨に襲われていたことを名前に告げた。援軍は望めないということだ。あと二時間もすればデパートも開く。名前の服はそこで買おう。
「今、神威さんは東京湾近くにいます。たぶんどこかの倉庫だと思うんですけど」
名前のスマートフォンの画面は確かに東京湾を示していた。赤い点が点滅する。そういえば今、自分も発信器を取り付けられていることを思い出した阿伏兎は彼女に取るように言った。阿伏兎のズボンの裾に手を伸ばした名前は直径二センチ、厚さ一ミリほどの透明シールを剥がした。真ん中に小さな黒点がある。
「知り合いの試供品で貰ったんです」
「ほォ……スゲェな……」
「で、神威さんの事なんですけれど……」
■ ■ ■
名前が阿伏兎のいるホテルに駆け込んだ時、高杉は銀時の万事屋を訪れていた。高杉の姿を見て銀時は新八と神楽に外に出ているよう告げた。茶も出さない銀時に舌打ちしつつ高杉は銀時に向けて鋭い視線を投げる。
「名前、来てねェか?」
「知らねーよ」
「……匿ってんなら出しやがれ」
「知らねーってば。なにイライラしてんだよ。目イッてんぞお前」
普段はあまり感情を表に出さない高杉がここまであからさまに苛立ちを表に出していることに銀時は驚いた。高杉はソファーに腰を降ろし、机に脚をのせた。胸元から煙草を取り出して火をつける。
「銀時ィ……お前、名前が薬売ってたの知ってやがったな」
「……さぁ?」
「てめーと知り合いな時点で疑っとくべきだったな。昨日、仕事中に名前と会った」
「は?」
「俺が名前を撃った。他人の空似かと思ったがまさか本人だったとはな」
「ちょっと待て、どういうことだ」
「ある男を始末するときに、名前がそいつといたんだよ。あいつはエクスタシーの取引中だった」
家で待ち伏せされたこと等をかいつまんで話した。頭を抱えた銀時を醒めた目で高杉は睨みつける。教えて欲しかった。きっと名前も昨夜初めて高杉が裏社会に関わっていると知ったのだろう。銀時はそういう男だ。
「今名前はどこに居るんだよ?!」
「俺が知りてェんだよ!油断した隙に逃げられちまった」
「……高杉。名前に手ェ上げてみろ……俺が許さねェぞ」
銀時の赤い目が暗く光った。高杉は銀時を通して彼女と知り合った。ほろ苦い過去の記憶が蘇り重苦しい空気が立ち込める。高杉は名前を痛めつけるつもりも殺すつもりは無い。ただ無理やりにでもこの世界から足を洗わせたいだけだ。そのためになら何でもする。そう言い切って高杉は万事屋を後にした。大学の友人にも名前の居場所を聞いたが何も知らないという。高杉の知らない名前が誰と親しくてどんな事をしていてどんな場所にいるのか。彼女の行きそうなところが分からなかった。