長時間パソコンの画面を見つめていると目が疲れてしまうのは仕方ない。軽く目を閉じただけだと思っていたのにしばらく眠ってしまっていたようだ。慌てて木箱を探すと微動だにしない位置にあり、もちろん錠もかかっていた。沖田は相変わらず名前の背に凭れ掛かって眠っている。名前が調べているのは例の実験が今どうなっているかだ。プロジェクトは、ほぼ休止状態。データ等全て抹消し、研究員は皆殺しにしたから仕方がないといえば仕方がない。目を閉じれば、駅爆破テロの日が蘇る。
あの日名前は高杉の命令で京都に行くよう指示されていた。付添は来島また子。朝一番の列車で京に向かうはずが、二人して寝坊したせいで昼の列車になった。「なんか昨日は興奮して眠れなくて」「晋助様には内緒ッス」「フロントのモーニングコールは使えないっスね」と来島と言い合わせた。京にいるメンバーと連絡をとると言った来島を置いて、ホテルのフロントでチェックアウトの手続きをする名前に笑顔で話しかけてくる男がいた。チェックアウトは十二時まで。
「名字名前さんですね」
「……どちら様でしょうか?」
「安藤様からお話があるんです。少しよろしいでしょうか」
「申し訳ありませんが、今ここを離れるわけにはいきません」
「ならばそこの喫茶店で少しだけでも」
部屋に仲間がいると告げた名前に男は頷く。安藤がなんの用事か予想はついていた。名前のせいでパーになった実験と、その細菌のありかについて、密偵総力をあげて探し出せというのだろう。あなたを信用してすべてを話します、との言葉通り、男は実験のことを全て話した。そして、情報を集めて欲しいと言ってきた。どこにでもいそうなこの男は笑顔を保ったまま血なまぐさい話を語りだす。傍から見ればこんな物騒な話をしていると思わないだろう。
「わかりました。こちらでも調べてみましょう」
「ええ。よろしくお願いします」
男と別れ、来島のまつ部屋へと向かった。扉を開けると鞄に荷物を詰め込む来島が見える。無駄に多いその荷物の中身は着替えだ。普段のセクシーな着物ではなく、街娘が着るような地味な着物。その分かさばってしまうのだろう。来島の荷物整理が終わるのを待ち、二人そろって部屋をでる。
「名前!伏せるっス!」
パンっとサイレンサーが付いた来島の銃が鳴った。廊下に転がった名前の視界に写るのは先ほど名前と話していた男と、他数名の侍。何故、との疑問が頭を走る中、色々とやばいことは理解していた。護身刀を抜き、鬼兵隊隊士として振る舞う。
「貴様らのテロ、うまく行くと思うなよ」
「……なんの話っすか」
「赤い弾丸は斬れ。生きて明日を迎えられると思うなよ」
鬼兵隊がバイオテロを起こそうとしていることがバレたのか、と名前は臍を噛んだ。だが、男が言ったのは今日計画されている渋谷駅爆破テロのこと。この計画は彼女には隠されていた。来島は名前に悟られぬよう余計な神経を使うことになり舌打ちをした。男たちが刀をぬく。来島の射撃のせいでうかつに近づいてこないが、接近戦になったら確実に不利だ。どうする。
「名前、一人で逃げるッス。落ち合わせは、目的地で」
来島が小さな声で言った。今日の旅籠で待ち合わせとは無謀な。けれどもここに名前がとどまっていても仕方がない。頷いて男たちとは反対の方向にかけだした。追おうとするも来島が立ちはだかる。彼女なら大丈夫だろうと信じて名前はホテルを飛び出した。タクシーを捕まえ、新宿駅に向かう。新宿駅に向かったはずだった。
「ちょっと、こっち新宿方面じゃないですよね」
「大丈夫ですよお客さん」
「……」
タクシードライバーが制服をめくって見せた。そこに捲きつくのは数本のダイナマイト。脅しのように笑ってみせた。こいつもグルか。どれだけ周到にわなが張り巡らされていたのか。朝、フロントからのモーニングコールがこなかったのも彼らの作戦のうちだろう。押し黙った名前を乗せたタクシーが付いたのは渋谷駅だった。予想外。タクシーを降りた名前を迎えたのは、安藤と先ほどの密偵だった。
「何故こうなったかは、わかるな?」
渋谷駅地下の一部屋。駅関係者しか立ち入りできないその場所で名前は尋問に合っていた。自白剤を打たれ、全身を殴られ。それでも吐かない。そう仕上げたのは皮肉にも安藤だ。密偵のイロハを叩きこんだのは安藤。隠し場所を断固として言わない名前に溜息しかでてこない。
「知っているか?名前。鬼兵隊が今日、この場所でテロを起こそうとしているのを」
「……」
「知らないだろうなぁ。お前に重要な情報を渡すわけがない。一度組織を裏切ったものを誰が信用するものか」
「……ごもっともで」
「来島はそのお目付け役だったのだろう。高杉は偉くお前を気にいっているらしいじゃないか。それでも傍に置くとはアイツも甘い男よ」
「……」
「鬼兵隊のテロで死ね。名前」
名前の他にも鬼兵隊に密偵はいたらしい。誰だ。顔を顰める名前に安藤は憎らしげに舌打ちをした。細菌について知っているのは幹部だけ。一般隊士には知られていないはず。どこから情報が漏れた。心身ともに虫の息となった彼女をおいて安藤と密偵の男は部屋からでていった。本当に鬼兵隊はテロを起こすのか?幕府からの裏切り者である彼女にテロの情報を流すわけがないと知っている。鬼兵隊は甘い組織ではない。それでも名前が生き延びてこられたのは、女だったからと、細菌兵器という武器があったからだ。名前がその細菌を隠している限り、鬼兵隊はバイオテロを実行できない。
「結局なにもできなかったな…」
腫れあがった唇が痛む。きっと見るも無残な顔だろう。意識を失い、次に気が付いたときは病院だった。鬼兵隊のテロの被害者として。