16

ぐえっほ、と女とは思えない籠った咳をしながら船内を歩いて来島の部屋に向かった。まだ頭がクラクラする。来島は不在だったが、それを好機にと布団にダイブした。この部屋の布団は常時引きっぱなしなのだ。枕に顔を埋めて深く息を吐き出す。のそりと起き上がって部屋の鏡を覗くと首には赤黒い痣ができかけていた。

「困ったなぁ」

無理矢理に壊さない方がいいだろう。高杉の考えていることがわからない。名前を船に乗せてどうするつもりだろうか。もしも、二年前の名前が幕府密偵から鬼兵隊に寝返っていたら、船に閉じ込めておかなくとも記憶が戻れば自然にここに帰ってくるだろう。高杉の思惑は、なんだ。勝手に行動されては困る何かがあるのか。

「名前居るッスか?」
「あ、はい。居ますよ」

部屋に入ってきた来島の手には菓子屋の紙袋。名前の体は素直に跳ねた。あの紙袋は間違いない。布団から起き上がり、部屋の入口にいる来島の元に駆け寄った。

「食堂行くッスよ」
「ちょうど甘いものが食べたかったんです」

紙袋を覗き込むと保冷剤と餡蜜。食堂のいつも座っている隅の席に座り、カップを開けている来島と名前の目の前に武市が座った。彼独特の視線にさらされるのはあまり気持ちのいいものではない。そういえば来島がロリコンだと言っていた。名前は十分な年齢だが、そういう噂を聞いてしまうと偏見の目を持ってしまう。

「コホン」
「何の用っスか先輩。女子会の最中ですよ」
「名前さん」
「え、はい」
「あなたを鬼兵隊に連れてくるきっかけになった事件についてどのくらい知っていますか?」
「あの屋敷の幕吏が春雨と一緒に臓器密売をしていたことが発覚し、回天党に襲撃されたということぐらいしか」
「その臓器がどこから来ていたかはご存じで?」
「いえ」

折角、甘いものを堪能しているというのに臓器だ攘夷だ血なまぐさい話を。来島は盛大に顔を歪め、いまそんな話をしなくてもと口を濁す。来島と反対に名前は武市がその話を持ちかけたことに気を引かれていた。あの事件から仕組まれていたのだろうか。

「ぜひ調べてみてください」
「……?」
「話はそれだけです」
「待ってください」
「はい?」
「あの情報を流したのは貴方たちですか?」
「……ええ」

それでは、と武市は席を立って甲板の方に歩いて行った。餡蜜を食べる手を止めた名前の表情を来島はうかがう。食欲が失せそうな話だ。考え込んだ名前のカップから杏子をつまみ上げて口の中に入れる。

「あっ、また子さん酷い!」
「ぼーっとしている名前が悪いっす。弱肉強食ッスよ」
「覚えておいてくださいよ」

もうまた子にとられないようがっついて食べ始める。美味しい。特に寒天がおいしい。機会があったらこのお店に行ってみたい。きっと他の商品も美味しいのだろう。できれば、来島と一緒に行きたい。鬼兵隊のメンバーに情が移ってきているのが分かったが、感情を制御することは難しいものだとため息をついた。


■ ■ ■


斬りこむわけではない。あくまでも名前の奪還が目的だ。忍服に着替えた山崎は船に侵入し、名前の姿を探した。晴れている日は大抵甲板に出てきている。彼女の姿を見つけた山崎は土方に連絡を飛ばした。この計画は名前には知らせていない。土方と沖田達が港に到着したのを確認し、山崎は整備士を連れて再び船に乗り込んだ。万が一、バレた場合は土方達が斬りこんでくる。そんな展開にならないよう祈った。

「名前ちゃん」

倉庫に凭れ掛かり空を見上げていた名前に声を掛けると、彼女は髪を耳にかける。倉庫の中にいた浪士はあらかじめ伸してある。名前に倉庫の中にくるよう指示し、整備士の彼が素早くペンライトで首輪を調べだした。

「山崎さん……?」
「大丈夫、助けにきたよ。ちょっと待っててね」

見張りに立つ山崎を不安気に見つめる。整備士は風呂敷から取り出したドライバーを取り出して解体作業を始めた。息を殺して成り行きを見守る。思ったより複雑な構造をしている機器に汗が垂れる。この船も腕のいい整備士を配備しているのだろう。盗聴器が無いことは今、確認できた。

「GPSがついてるって言ってました」
「わかった」

プラスドライバーからマイナスドライバーに持ち替えた彼が名前の首輪に力を入れた時、山崎が小さく「やばいっ」と言ったのが聞こえた。甲板に高杉が出てきたようだ。きっと月見酒だろう。山崎が無線で土方に連絡を入れる。

「もうちょっとだからね」

ペンライトを口に咥え、もごもごと言う。このセンサーはなんだ。GPSのものなのか、それともなにかのからくりか。なんにせよ時間がない。できるところから解体していった。記憶の中で渋谷駅爆破事件がよぎる。あのときの爆発は振動振動センサーが使われていたはず。しかし、首輪でそれは無いだろう。最もまずいのが、光センサー。爆弾の蓋を開けたらドカン、のタイプだ。砂時計を見ると残り時間はあと一分。後一分で土方達が斬りこんでくる。落ち着いている山崎の背中だけが支えだった。

―名前

倉庫の隙間から高杉の様子を窺っていた名前は高杉の視線と自分の視線が絡み合い、彼の口がそう動くのを見た。ぶわっと全身の産毛が逆立つような感覚に襲われる。大きく見開いた眼の中で山崎が刀を抜いたのが見えた。鍔競り合いで押し負けた山崎は小さな爆弾を万斉と思われる男に投げつける。隊士に腕を引かれ、倉庫から飛び出す。いつ応戦が始まったのか分からなかった。甲板には真選組の隊服が見える。

「名前!」
「土方さん!!」

駆け寄ろうとした名前の足元に銃弾が走る。来島の撃った弾は名前の足をもつれされ、それを支えようとした整備士の首を打ち抜いていた。名前の顔面に血が飛ぶ。土方に手首を掴まれ、骨が軋むような強さで引きずられた。

「首輪は?」
「まっまだ」
「くそっ」

高杉が笑っているのが見えた。どうする?と窺っているような表情。どうせ名前には何もできないだろう、と思っているに違いない。五分で離脱するつもりだった計画は完全に崩されている。名前の手が土方の手を掴んだ。

「斬ってください」
「は」
「首輪、斬ってください」

その言葉に甲板の人間の動きが止まった。真選組が名前を奪い返しにくることを予想していないわけがない。そのための首輪でもある。無理に外せばどうなるか。甲板に緊張感がはしった。高杉は目を細め、空気を揺らすかのように紫煙をくぐもらせる。名前の目に土方も賭けることにした。

「……っ」

気合い一閃。カラン、カラン、と斬り捨てられた首輪が甲板で跳ねた。…何も起こらない。

「撤収しろ!」

沖田の鋭い声がかかり、一斉に黒い制服がひいて行った。退路はすでに確保されている。

「名前来い!」

土方に抱えられるように離れていく名前を高杉は眺めるだけだった。混戦に眉一つ動かさずいる彼が何を考えているかは誰にもわからない。万斉が被害状況を報告すると「そうかィ」とだけ言い、高杉は船内に消えた。

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